(2)(5)ウェスパシアヌスのことでは

1-2-5-1ペトロニウスはこれとはくらべものにならぬほど数奇（すうき）を凝らした豪華な邸宅に住んでいたが、にもかかわらず、ここでは自分の趣味に反するようなものは何ひとつ見出すことができなかった。1-2-5-2−−−−で、そのことを話そうと思ってウィニキウスのほうを向いたとたん、幕ひき奴隷（ウエラリウス）がアトリウムと記録室（タブリヌム）との間にある垂れ幕をひき、それと同時に家の奥から急ぎ足でこちらへ近づいてくるアウルス・プラウティウスの姿が目にはいった。 1-2-5-3それは人生（じんせい）の夕暮（ゆうぐれ）に近い年配（ねんぱい）の、頭（あたま）に白髪をいただいていた人物であったが、いまだに矍鑠（かくしゃく）として、顔は精悍（せいかん）の気にあふれ、いくらか短くはあったがどこか鷲（わし）の顔に似ていた。 1-2-5-4この顔にそのとき一種（いっしゅ）の驚き、いな不安の色さえ浮かんでいたのは、この思いがけない来訪者がネロの友人（ゆうじん）でもあり、側近者（そっきんしゃ）でもあり、相談（そうだん）相手でもある人物だったからである。 1-2-5-5しかしペトロニウスは世故（せこ）にたけた慧敏無比な男で、すぐそれに気がついたから、そこでここぞとばかり得意の雄弁（ゆうべん）をふるい、ごく自然な調子（ちょうし）で、自分が参上（さんじょう）したのは、姉の息子（むすこ）がお宅で受けた手厚い看護（かんご）のお礼を申し上げるためであり、今回の来訪の動機（どうき）はひとえにこの感謝ということにあるが、自分があえて参上する気になったについては、ひとつには自分が御主人と古い知り合いの間柄（あいだがら）であるという事情も手伝っていたのである、と言った。 1-2-5-6するとアウルスも、よく来てくださった、だが感謝ということになれば、わたしのほうこそあなたに感謝せねばならぬと思っている次第（しだい）である、もっともその理由はお察しいただけまいが、と言った。 1-2-5-7なるほどそう言われると、ペトロニウスはいっこうに思い当たるふしがなかった。1-2-5-8そのくるみ色の目を上げて、アウルスなりほかのだれかなりにすこしでも便宜（べんぎ）をはかってやったことがあるかどうか、懸命に思い出そうとしてみたが、無駄であった。 1-2-5-9これからウィニキウスのためにしてやろうと思っていることをのぞけば、何ひとつ思い浮かばなかった。1-2-5-10あるいは自分でもそれと知らずに何かしてやったことがあるのかも知れないが、とにかく自分が知らないということに変わりはないのだ。 (アウルス) 1-2-5-11「わたしはウェスパシアヌス（当時の高官、のち皇帝となる）をたいそう愛してもいれば尊敬もしています」と、アウルスは言った。1-2-5-12「そのウェスパシアヌスの命を、あなたが救ってくださったのです。1-2-5-13いつでしたか皇帝が詩を吟（ぎん）じるのをきいている最中（さいちゅう）、あの人が不幸にも居眠（いねむ）りをしたときのことです」。 (ペトロニウス) 1-2-5-14「幸運にも、と言うべきでしょう」と、ペトロニウスは答えた。1-2-5-15「おかげであの人はその詩をきかずにすんだわけですからね。1-2-5-16もっともそれが不幸の結果に終わるおそれがあったことは、わたしも否定（ひてい）しません。1-2-5-17なにしろ赤髭（あかひげ：＝皇帝ネロのあだ名）は、あの人のところへぜひとも百人長を遣（や）って、みずから静脈（じょうみゃく）をひらけという友情（ゆうじょう）あふれる命令を伝える気でいましたからね」。 (アウルス) 1-2-5-18「ところが、ペトロニウス、あなたはそれを笑いとばしてくださった」。 (ペトロニウス) 1-2-5-19「そうです。1-2-5-20いや、むしろそれとは逆に、わたしはこう言ってやったのです。1-2-5-21オルペルス（古代ギリシャ、トラキアの伝説的楽人）は歌で猛獣を眠らせたというが、ウェスパシアヌスを歌で眠らせた陛下（へいか）の御成功は、オルペウスのそれにも劣らない、とね。1-2-5-22赤髭を批難するには、小さな批難の中に大きな追従（ついしょう）をまぜて用いることがぜひとも必要なのです。1-2-5-23わが恵み深きポッパエアはこれを完全に心得ていますよ」。 (アウルス) 1-2-5-24「残念ながら、そうしいた御時勢（ごじせい）ですからな」と、アウルスは答えた。1-2-5-25「わたしは前歯（まえば）が二枚（にまい）欠（か）けております。1-2-5-26あるブリタンニア人に石を投げつけられて折れたのです。1-2-5-27そんなわけで、ものを言うたびに空気（くうき）が洩れるようになりましたが、とにかくわたしが生涯（しょうがい）でいちばん幸福だったのはブリタンニア時代でしたよ・・・・」。 (ウィニキウス) 1-2-5-28「勝利の時代でしたからね」と、ウィニキウスが言いそえた。1-2-5-29しかしペトロニウスは、この老将軍が昔の戦争の自慢話を始めそうな気配（けはい）に恐れをなして話題を変えた。 1-2-5-30なんでもプラエネステ（ローマの東にあった町）の付近（ふきん）では百姓（ひゃくしょう）たちが頭のふたつあるオオカミの死骸（しがい）を見つけたそうだ。1-2-5-31それからおとといの暴風雨（ぼうふうう）のとき、ルナ（ローマ神話の月の女神）の神殿に雷（かみなり）が落ちて神殿の一角（いっかく）が欠け落ちたという。1-2-5-32秋も末（すえ）の時期（じき）としては、これは前代未聞（ぜんだいみもん）の事件だ。1-2-5-33それにこの一件（いっけん）を自分に話してくれたコツタという男がつけ加えたところによると、あの神殿の祭司たちは、これは都（みやこ）の滅亡か、あるいは少なくともある大建築の崩壊（ほうかい）の前兆（ぜんちょう）で、この崩壊は並はずれの犠牲（ルビ：＝いけにえ）でも捧げないかぎり防ぐことはできない、と言っている。 1-2-5-34アウルスはこの話をきくと、そうした前兆を軽々しく見てはいけない、という意見を述べた。1-2-5-35神々が度を越した犯罪（はんざい）に怒りを覚えているということは大いにあり得ることで、そうだとしてもいっこう驚くには当たらない。1-2-5-36−−−−だとすれば贖罪（しょくざい）の犠牲（ルビ：＝いけにえ）はまったく当（とう）を得ている。 (ペトロニウス) 1-2-5-37これに答えてペトロニウスは言った。1-2-5-38「プラウティウス、あなたのお邸（やしき）は、住んでおられるのは大人物（だいじんぶつ）ですが、それほど大きなお邸とは言えません。1-2-5-39わたしの家は、ごらんのとおりのしがない持ち主（ぬし）のものとしてはたしかに大きすぎますが、やはり小さなものです。1-2-5-40ではどこかの大建築、たとえば《回廊宮殿》（当時のローマの有名な大建築のひとつ）などの崩壊はどうかと言えば、いったいぜんたい、われわれがそれを防ごうとして犠牲（いけにえ）をささげる価値があるものでしょうか」。 1-2-5-41プラウティウスはこの問いには答えなかった。1-2-5-42こうした用心深（ようじんぶか）さには、さすがのペトロニウスもいささか気を悪くした。1-2-5-43というのは、善悪を区別する感覚をすっかりなくしてはいるものの、彼は密告などはいまだかつて一度（いちど）もしたことがなく、したがって彼にからどんな話をしても十分（じゅうぶん）安心（あんしん）していられたからである。1-2-5-44そこで、ペトロニウスはまた話題を変えて、プラウティウスの住（すま）いと、住まい全体にゆきわたっている趣味のよさを賞（ほ）めはじめた。 (アウルス) 1-2-5-45「古い家でしてね」と、プラウティウスは答えた。1-2-5-46「わたしが相続（そうぞく）してから模様替（もようが）えをした箇所（かしょ）はひとつもないのです」。 1-2-5-47アトリウムと記録室（タブリヌム）との間にある垂（た）れ幕（まく）をひくと、邸（やしき）は隅（すみ）から隅まで見（み）はるかされた。1-2-5-48記録室（タブリヌム）、それにつづく円柱の間（えんちゅうのま：=ペリステユルム）、その向こうの、オエクスと呼ばれる広間をとおして、目は庭にまで及んだ。1-2-5-49遠くから見ると黒い額縁（がくぶち）に入れた明るい絵のように見えるその庭からは、子供たちのほがらかな笑い声がアトリウムまできこえていた。 (ペトロニウス) 1-2-5-50「閣下（かっか）」とペトロニウスは言った。1-2-5-51「あの晴れやかな笑い声を、もっと近くできかせていただけませんか。1-2-5-52ああいう笑い声はいまではめったにきかれなくなりましたからな」。 (アウルス) 1-2-5-53「よろしいですとも」と、プラウティウスは立ち上がりながら答えた。1-2-5-54「あれは伜（せがれ）のアウルスとリギアが鞠（まり）で遊んでいるのです。1-2-5-55ですが、笑いと申せば、ペトロニウス、あなたは一生（いっしょう）笑ってお過ごしのことと存じますが」。 (ペトロニウス) 1-2-5-56「人生（じんせい）は笑うに値します。1-2-5-57ですからわたしは笑うのです」と、ペトロニウスは答えた。1-2-5-58「しかしお宅の笑いはひびきかたが違いますよ」。 (ウィニキウス) 1-2-5-59「ペトロニウスは」とウィニキウスが言いそえた。1-2-5-60「毎日笑っているわけではありません。1-2-5-61むしろ毎晩と言ったほうがいいでしょう」。

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オリジナル教会の権能：「あなたの思うがままに制作してよい」

ページ制作者　（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会代表　笹倉正義

略称：オリジナル教会

2019/8/27

（ささくら修道会規約）当会の用いる聖書は、口語訳聖書または文語体聖書に限られる。例外として、バルバロ聖書差分を、正式文書に加える。これ以外の、聖書の引用は厳禁される。日本語以外の聖書については、文語体聖書の内容に準じるものとする。異端文例（Today's English Version)

聖句引用：日本聖書協会　口語訳聖書 新約聖書（１９５４年改訳） 旧約聖書（１９５５年改訳） バルバロ聖書（旧約差分）

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