(1)(7)人知れずエウニケの恋

1-1-7-1そしてこうつけ加えた。1-1-7-2「ヘリオス(ギリシャ神話の太陽神)の光に誓って!1-1-7-3《神のごとき》アレキサンドロスがあなたに似ていたとすれば−−−−ヘレネがああなったのも不思議はありませんね」。

---トロイ戦争の数日間を詠ったホメロスの『イリアス』に登場するトロイの王子パリスのあだ名がアレキサンドロスであり、彼についてトロイに行ったスパルタ王の妻がヘレネである。

アレキサンドロスの名前の由来

アポロドーロスの『ギリシア神話』
を引用
高津春繁訳 岩波文庫 赤110-1

<P154>
彼はその子が国の破滅となると言って、赤児を棄てるようにと勧めた。そこでプリアモス(トロイ王)は赤児が生れると、召使いにイーデーに連れて行って棄てるように渡した。召使いの名はアゲラーオスと言った。彼に棄てられた赤児は五日(いつか)の間熊によって育てられた。そしてアゲラーオスは赤児の無事なのを見出した時、それを拾い上げて連れ行き、パリスと呼んで自分の農場で自分の子として育てた。

美貌と力とによって衆に優れた若者となって、盗賊をうち退け、羊を守ったので、後アレクサンドロスと綽名(あだな)せられた。そして後暫くして両親を発見した。

(アレキサンドロスはalex-「守る」とandr「男」との合成語である)。

1-1-7-4この叫びぬはへつらいばかりでなく誠実さも含まれていた。1-1-7-5ペトロニウスは年(とし)も上だし、からだつきもそれほどたくましいわけではないが、うつくしさはウィニキウスにくらべてさえ一段とまさっていたからである。

1-1-7-6ローマの女達がたちがこの男を崇拝するのは、例(れい)の《趣味の審判者》というあだ名のもとになった縦横(じゅうおう)の才知(さいち)や趣味(しゅみ)のよさもさることながら、からだつきのうつくしさのせいでもあったのである。1-1-7-7そうした讃美の心持ちは、いま彼の外衣(がいい:トガ)の襞(ひだ)をととのえているコス生まれの娘たちの顔にも現われていた。

1-1-7-8そのうちのエウニケという娘などは、日ごろ人知(ひとし)れず彼に思いを寄せていたが、いまもつつましげにうっとりと彼の目に見とれていた。

1-1-7-9しかし、ペトロニウスはそれには気も留(と)めず、ウィニキウスに笑顔(えがお)を見せながら、答えに代えて女についてのセネカの警句(けいく)を引用(いんよう)しはじめた。1-1-7-10「恥知ラズノ動物ハ・・・・」。1-1-7-11そして片手でウィニキウスの肩を抱(だ)くようにしながら食堂(しょくどう)へ案内した。

1-1-7-12香油室(こうゆしつ:ウンクトウアリウム)では、ギリシャ娘がふたり、プリギュアの女たち、それにエチオピア女がふたり、香油のはいった壺(つぼ)を片づけにかかっていた。1-1-7-13しかしちょうどそのとき、納涼室(のうりょうしつ)のカーテンが細めにあいて、そのかげから浴場奴隷(よくじょうどれい:バルネアトル)たちの頭(あたま)がのぞき、《ちょっと来な》という押し殺したような声がきこえた。1-1-7-14−−−−するとその呼び声にこたえて、ギリシャ娘のひとりとプリュギアの女たちとふたりのエチオピア女がぱっと立ち上がって、またたく間(ま)にカーテンの陰(かげ)に消えた。1-1-7-15浴場の中ではだれはばかる所(ところ)のない淫楽(いんらく)のひとときがはじまっていた。

1-1-7-16監督がそれを禁じなかったのは、彼自身もしばしばこうした乱痴気(らんちき)騒(さわ)ぎに加わったからである。1-1-7-17ペトロニウスも気がついてはいたが、物わかりのいい男で、人(ひと)を罰することはきらいだったから、見て見ぬふりをしていた。

1-1-7-18香油室(こうゆしつ:ウンクトウアリウム)にはエウニケだけが残った。1-1-7-19やがて彼女は、ペトロニウスが先ほどまでかけていた琥珀(こはく)と象牙(ぞうげ)の嵌(は)め込(こ)みのあるいすをずらして、用心深(ようじんぶか)く彼の像のところまで持っていった。

1-1-7-20香油室は日の光や、壁に嵌めこんだ虹色(にじいろ)の大理石(だいりせき)から出るさまざまな色彩(しきさい)がまばゆいばかりにあふれていた。

1-1-7-21エウニケはいすの上にあがって−−−−像と同じ高さになると、いきなりその首に両腕を投げかけた。1-1-7-22そうして金色(きんいろ or こんじき)の髪をさっとうしろへなびかせて、ばら色のからだを白い大理石に押しつけ、われを忘れてペトロニウスのつめたい唇に自分の唇(くちびる)を押しつけはじめた。
 
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2019/8/21