Antoine−Francois Prevost アントワーヌ・フランソワ・プレボー Manon Lescaut |
0-2-1道徳律というものを考えてみるに、それは尊重されていながら、しかも無視されているものであることを知って、われわれは今さらのように驚かされること毎度である。0-2-2われわれは観念的には良きもの、完全なものを、つねに楽しみながら、いざ実行となると、それはいつも遠いものになってしまうのだから、人間の心は不思議なもので、その原因はどこにあるものやら。 0-2-3たとえば、ある程度の叡知と洗練をそなえた人びとが、自分たちの会話の、あるいは、自分たちの孤独な夢想の、最も一般的な題目はなんであるかを考えてみるならば、いずれもある道徳的な考察に向けられている場合が多いのに彼らは容易に気づくことであろう。0-2-4そうした教養人の人生で最も楽しい時間は、孤独な夢想にふけっているときか、さもなくば、親しい友とうちとけて語り合うときであろう。 0-2-5美徳のもつ魅力、友情の美しさ、幸福への道、その道から遠ざかろうとする人間の弱さ、また、その弱さを救うべき方法、などがその話題であることは言うまでもあるまい。0-2-6ホラーティウスやボアローのごときは、このような談話を最も美しいものの一つとして取りあげ、それをもって人生の楽しい姿を描き出そうとしたのである。0-2-7ところがどうしたというのだろう、こんな談話も束の間、人びとが高い思索からたわいなく落下して、たちまち、人間共通の水準になりさがってしまうとは。 0-2-8この疑問を解くために、いま私があげようとする理由が、もしわれわれの思想と行動のこの矛盾を十分に説明しないとすれば、もとより私の不明のせいではあるが、私に言わせれば、道徳律というのは、いずれも、ぼんやりした、一般的な原則にすぎないのだから、それを人間の習癖や行為の細部にまでいちいち適用しようとするのがはじめから無理なはなしなのである。 0-2-9例を引いてみよう。0-2-10生れながらに善良な魂を持った人びとは、温和と人情を好ましい美徳だと感じて、それを実行したみたいという気持ちになる。0-2-11ところが、実行となるとどうだろう?0-2-12一時見合せということが多いのだ。 0-2-13今がはたして実行の好機だろうか?0-2-14とるべき手段はわかってるのだろうか?0-2-15目標に見あやまりはないだろうか?0-2-16などなどと考えればおのずと故障が出て、つい引っこみ思案になってしまう。0-2-17親切であり。寛大でありたいのはやまやまでも、だまされるのが心配である。0-2-18あまりに優しくて、感じやすかったりすると、弱気な人間なら、笑われそうな気がする。 0-2-19要するに、義務などというのは、人情とか親切とかいう一般的概念の中に、あまりにも曖昧な方法で閉じ込められているものだが、その義務をはたしすぎたか、はたしすぎなかったかと心配するわけなのである。0-2-20この不安のうちにあって、われわれの心のゆくえを合理的に決定しうるものは、経験か、さもなければ、実例であろう。 |
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