１４（５）お坊さんの奥の手

1-14-5-1「あなた、」と、囚人は言葉を続けた。1-14-5-2「わしはローマ生まれのファリア司祭（しさい）というものだ。1-14-5-3二十年間ロスピリオーシ僧正（そうじょう）の秘書役を勤めていたが、１８１１年のはじめ、なんのわけかわからずに拘引（こういん）された。1-14-5-4それ以後、わしはイタリーとフランスの官憲（かんけん）に向かって、自由を要求しつづけている」。1-14-5-5「フランスの官憲と言われると？」と、典獄が聞いた。1-14-5-6「というのは、わしはピオンビノで拘引されたのだから。1-14-5-7ミラノやフィレンツェと同じように、ピオンビノも、いまはきっとフランスのどこかの州の首都になっていることと思われるが」。 1-14-5-8検察官と典獄とは、笑いながら顔を見合わせた。1-14-5-9「残念ながら、」と、検察官は言った。1-14-5-10「君のイタリー知識もあまり新しいとはいわれないな」。1-14-5-11「それはわしがつかまったときの知識なのだ」と、ファリア司祭が言った。1-14-5-12「なにしろ皇帝陛下（ナポレオン）は、ついそのころお生まれになった皇子（おうじ）のためにローマ王国をお建てだったので、おそらくその征服（せいふく）をつづけて、イタリーを打って一丸（いちがん）とした王国にしようという、あのマキャベルリ、セザール・ボルジアの夢を実現されたことと思っていた」。 1-14-5-13「ところが、」と検察官は言った。1-14-5-14「君（きみ）がとても熱心に肩を入れているらしいそのとほうもない大計画は、天の助けか、さいわい覆（くつがえ）されることになったのだよ」。1-14-5-15「イタリーをして、強力な、独立した、かつ幸福な国家にしようと思ったら、それが唯一（ゆいいつ）の方法なのだ」と、司祭が言った。1-14-5-16「そうかもしれん」と、検察官が答えた。1-14-5-17「だがわたしは、なにも君とイタリー政策（せいさく）を論（ろん）じようと思ってきたんじゃない。1-14-5-18さっきもちょっとたずねたが、食べ物のことや住居（じゅうきょ）のことでなにか注文（ちゅうもん）がないか、それをたずねにやってきたんだ」。 1-14-5-19「食べ物はどこの牢でもおなじことだ」と、司祭は答えた。1-14-5-20「それはじつにひどい。住居のほうはごらんのとおり、『じめじめ』していて不健康だ。1-14-5-21だが、暗牢としてはこんなものだろう。1-14-5-22ところで、問題はそんなことではない。1-14-5-23じつに重大な、じつに興味あることで、それをどうか政府にしらせてやりたいと思っているのだ」。1-14-5-24「とうとうはじまりました」と、低い声で典獄がささやいた。 1-14-5-25「そんなわけで、じつはいま、ひじょうに重要な、うまくいくとニュートンの法則までも変えることになりそうな計算をしていたところへ、あなたが飛びこんできたというわけだ。1-14-5-26だが、お会いできてじつにうれしい」と、司祭は言葉をつづけた。1-14-5-27「ちょっと内々にお話ししたいと思うのだが？」。1-14-5-28「いかがです？1-14-5-29申しあげたとおりでしょう？」と典獄が言った。1-14-5-30「さすがによく観察（かんさつ）しておいでだな」と、検察官は微笑を浮かべながら答えた。 1-14-5-31それからファリア司祭のほうを向き直って、「ところで、お望みのことをかなえるわけにはいかないのでね」。1-14-5-32「でも、」と、司祭は言った。1-14-5-33「それが政府に莫大（ばくだい）な金額、たとえば五百万の金額がはいってくることになるとしたらどうだ？」。1-14-5-34「なるほど、」と、今度は検察官が典獄のほうを向き直りながら言った。1-14-5-35「金額まで当ったな」。1-14-5-36「ところで、」。司祭は、検察官が出ていこうとするのを見て言った。1-14-5-37「なにも二人きりでなければならないことでもない。1-14-5-38典獄さんにも立ち会ってもらってもいいのだが」。 1-14-5-39「じつは、」と、典獄が言った。1-14-5-40「お気の毒だが、わたしたちは、あなたが言おうとしていることを、言われぬ前から全部知っているんだからね。1-14-5-41例の宝物（たからもの）のことだろう？」。1-14-5-42ファリアは、自分を嘲（あざけ）るその男のほうをながめやった。1-14-5-43だが、その眼のなかには、もしも公平無私（こうへいむし）な観察者だったら、たしかに理性（りせい）と真実（しんじつ）の閃（ひらめ）きとを認めることができたにちがいなかった。 1-14-5-44「もちろん、」と、司祭は言った。1-14-5-45「そのほかになんのお話しすることがあるだろう？」。1-14-5-46「検察官殿（どの）、」と、典獄はつづけて言った。1-14-5-47「わたしには、司祭が言おうとするのとおなじことを申しあげることができますので。1-14-5-48なにしろこの四五年（しごねん）の、耳に『たこ』ができるほど聞かされつづけておりますから」。1-14-5-49「というと典獄さん、」と、司祭が言った。1-14-5-50「あなたもあの聖書のなかに書かれている人たち同様（どうよう）、目あれど見えず、耳あれど聞かざる人たちの仲間入りをなさるわけだな」。

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引用者：2016/7/1-2　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書