９（４）それぞれの情景

1-9-4-1サン・メラン侯爵が約束したように、ビルフォールはそこの書斎（しょさい）で侯爵夫人とルネとを見出（みいだ）した。1-9-4-2ルネの姿を見るなり、ビルフォールはふるえあがった。1-9-4-3彼女が、きっとまたダンテスの赦免を願うに違いない、と思ったからのことだった。1-9-4-4だが、ああ！これこそわれらが利己心（りこしん）の悲しさというもの、美しい少女は、いまその心にただ一つのことしか考えていなかった。1-9-4-5それは、ビルフォールの出発ということだった。 （１）ルネ 1-9-4-6彼女はビルフォールを愛していた。1-9-4-7しかしそのビルフォールは、彼女の夫（おっと）となろうというときに、突然（とつぜん）出発（しゅっぱつ）してしまおうとしているのだった。1-9-4-8ビルフォールは、いつ帰って来るか言えなかった。1-9-4-9ルネは、ダンテスの身を哀（あわ）れと思うどころか、その男の犯した罪のおかげで、夫との仲の引き離されることを思って、むしろ彼を呪（のろ）わしくさえ思っていた。 （２）メルセデスと（３）フェルナン 1-9-4-10そうと知ったらメルセデスはなんと言ったことだろう！1-9-4-11あわれな彼女は、ロジュ町の角（かど）のところで、自分についてくるフェルナンのすがたを見つけた。1-9-4-12彼女はカタロニヤ村へ帰って行った。1-9-4-13そして死にそうに絶望（ぜつぼう）しきった気持で、ベッドに身を投げ出した。1-9-4-14ベッドの前にはフェルナンがひざまずいていた。1-9-4-15そして、メルセデスがあえて引っ込めようともしない冷たい手を握（にぎ）って、それを、燃えるような接吻（せっぷん）で埋（う）めていた。1-9-4-16だが、メルセデスは、それに気がつきさえもしないでいた。 1-9-4-17彼女はこうして一夜を過した。1-9-4-18油（あぶら）が尽（つ）きると、ランプも消えた。1-9-4-19光が目にはいらないのと同じように、暗（あん）もまた彼女には見えなかった。1-9-4-20そして、夜（よ）が明（あ）けた。1-9-4-21だが、それも目に入らなかった。1-9-4-22苦しみによって目隠（めかく）しされた彼女には、ただダンテスだけしか見えていなかった。1-9-4-23「まあ、あなたそこにいたの？」と、彼女はフェルナンのほうをふり向いてこう言った。1-9-4-24「昨日（きのう）からずっとつきっきりでいたんだ」と、フェルナンは、苦しそうな溜息（ためいき）とともに答えた。 （４）モレル氏 1-9-4-25一方（いっぽう）モレル氏は、負（ま）けたものとは思っていなかった。1-9-4-26彼は、訊問のあとで、ダンテスが監獄につれてゆかれたことを知った。1-9-4-27そこで彼は、あらゆる友人（ゆうじん）のところを駈けまわった。1-9-4-28彼は、勢力（せいりょく）のありそうなマルセイユの人たちのところへ出かけて行った。1-9-4-29だが、すでに、ダンテスがボナパルト党員として逮捕された噂（うわさ）がひろがっていた。1-9-4-30そして当時、どんな向こう見ずな者でさえ、ナポレオンがふたたび帝位（ていい）にのぼるなどというような企ては、一場（ひとば）の夢であると考えていたので、彼は到るところ冷淡と恐怖と、それでなければ拒絶（きょぜつ）によって迎（むか）えられた。1-9-4-31彼は、がっかりして家に帰ってきた。1-9-4-32そして、なにしろ事情が重大なので、誰も手の出しようがないのだと考えた。 （５）カドルッス 1-9-4-33一方カドルッスは、このうえもなく心を痛（いた）め、そしてこのうえなく悩んでいた。1-9-4-34だが彼は、モレル氏のように出かけて行き、事実できもしなかったがダンテスのために一肌（ひとはだ）ぬごうとする代わりに、『すぐり』酒の壜（びん）を二本（にほん）かかえて家に引き籠（こも）り、不安な気持を酔いにまぎらわそうとつとめていた。1-9-4-35だが、そうした気持の彼にとって、良心を眠らせるためには二本の酒では少なすぎた。1-9-4-36といって、酒を求めに行くためにはあまり酔いがまわりすぎていたし、酔いによって記憶をうち消すためにはまだ酔いがたりなかった。 1-9-4-37彼は、ぐらつくテーブルの上にのせた空壜（あきびん）二本を前にして、肱（ひじ）をついて『じっ』としている以外に途（みち）がなかった。1-9-4-38そして、芯（しん）の長い蝋燭（ろうそく）の光に照らされながら、ホフマン（ドイツの作家。怪奇なる『ホフマン物語』の作者）がポンチ（混合酒の名）に濡れた原稿のなかに撒（ま）き散らして置いた亡霊（ぼうれい）どもが、まるで黒い怪奇な埃（ほこり）とでもいったように躍りまわるのをながめていた。 （６）ダングラール 1-9-4-39ダングラールだけは、煩悶（はんもん：いろいろ悩み苦しむこと。苦しみもだえること）していなかった。1-9-4-40彼はむしろ喜んでいた。1-9-4-41それは、自分の敵に復讐（ふくしゅう）できたからのことなのだった。1-9-4-42そして、危（あやう）く失いかけていたファラオン号での自分の地位（ちい）が保証されたからのことだった。1-9-4-43彼は、ペンを耳に挟（はさ）み、心臓（しんぞう）の代わりにインキ壺（つぼ）を持って生まれてくるといったような計算家の一人（ひとり）だった。 1-9-4-44彼にとって、この世の中のあらゆることは加減乗除（かげん・じょうじょ）にほかならなかった。1-9-4-45そして、彼にとっては、一つの数字が、一人の人間が減らすであろう全体の額（がく）を増（ま）させるであろうとき、その数字は、一人の人間よりずっと貴（たっと）いものに思われるのだった。1-9-4-46そうしたわけで、ダングラールはいつもの時間に床（とこ）につき、そしてしずかに眠りに入っていた。 （７）ビルフォール 1-9-4-47一方ビルフォールは、サルビユ氏の手紙を受け取るなり、ルネの両頬（りょうほお）に接吻し、侯爵の手を握ってから、エクス街道（かいどう）を一散（いっさん）に馬車を走らせた。 （８）ダンテスの父 1-9-4-48ダンテスの父は、苦悩と心配のためにほとんど死にそうになっていた。 （９）ダンテス 1-9-4-49一方ダンテスはどうなったか、それはわたしたちのすでに知っているとおりである。

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引用者：2016/6/16　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書