９（１）インサイダー

1-9-1-1前にも言ったように、ビルフォールは、ふたたびグラン・クール広場への路（みち）をたどった。1-9-1-2そしてサン・メラン夫人の邸にもどったときは、さっき食卓についたまま残してきた客人たちが、折（おり）からサロンにうつって、そこで茶を飲んでいるところだった。1-9-1-3ルネは、待ちこがれる思いで彼を待っていた。1-9-1-4居合（いあ）わす人たちの心にしても同じだった。1-9-1-5そして彼は、歓声（かんせい）によって迎えられた。 1-9-1-6「よう首切りの名人（めいじん）、国家（こっか）の柱石（ちゅうせき）、王党のブルータス（シーザーを倒したブルータスのこと）！」と、一人が叫んだ。1-9-1-7「何ごとが起こりました、え？」。1-9-1-8「またまた恐怖時代（きょうふじだい：テルール：フランス革命当時の）のはじまりですか？」と、他の一人が声をかけた。1-9-1-9「コルシカの鬼め（ナポレオンのこと）が、穴から這（は）い出しでもしましたか？」と、三人目の男がたずねた。 1-9-1-10「奥さま、」と、ビルフォールは、将来自分の義理（ぎり）の母親になるべき夫人（ふじん）のそばに近寄りながら言った。1-9-1-11「あんなふうにして座をはずして失礼いたしました・・・・ところで侯爵（こうしゃく）、ちょっと密々にお耳に入れたいことがございますが」。1-9-1-12「はて、するとほんとに重大なことが起こったのかな」と、ビルフォールの面上に一抹（いちまつ）の暗影（あんえい）を認めた侯爵が言った。 1-9-1-13「きわめて重大なことでして。1-9-1-14ここ幾日（いくにち）か、お目にかかれないことになりました。1-9-1-15これで、」と、彼はルネのほうをふり向きながら、「事がどれほど重大であるかがおわかりになりましょう」。1-9-1-16「お立ちになるんですって？」と、ルネは声をあげた。1-9-1-17この思いがけない言葉を聞いて、彼女は胸の轟（とどろ）きをかくせなかった。1-9-1-18「いかにも残念です」と、ビルフォールは答えた。1-9-1-19「でも、いたしかたありません」。 1-9-1-20「で、どこへいらっしゃいますの？」と、侯爵夫人がたずねた。1-9-1-21「それは裁判上の秘密です。1-9-1-22ですが、ここにどなたか、パリに御用がおありでしたら、友だちの一人が今夜パリへ出かけます。1-9-1-23喜んでお役にたちましょう」。1-9-1-24みんなは顔を見かわした。 1-9-1-25「ちょっとわしと話がしたいということだったが？」と、侯爵が言った。1-9-1-26「そうです、恐れ入りますがお室へまいらせていただきます」。1-9-1-27公爵は、ビルフォールの腕をとりながらいっしょに出て行った。1-9-1-28「で・・・・」。侯爵は書斎（しょさい）にはいるなりたずねかけた。1-9-1-29「なにごとが起こったのだね？1-9-1-30聞かせてもらおう」。 1-9-1-31「じつにきわめて重大なことでして。すぐパリへ出発します。1-9-1-32そこで侯爵、『ぶしつけ』なおたずねですが、あなたは公債（こうさい）をお持ちですか？」。1-9-1-33「財産はすべて記名証券（きめい・しょうけん）になっている。1-9-1-34およそ六七十万（ろく・しちじゅうまん）フランはあるだろう」。1-9-1-35「では侯爵、お売りになるのです。1-9-1-36それでないと、あなたは破産（はさん）なさいますから」。 ---６０万フラン＝600,000フラン＝600,000,000（６億円） 1-9-1-37「といって、ここにいてどうして売れる？」。1-9-1-38「お出入りの仲買人（なかがいにん）がおありでしょう？」。1-9-1-39「ある」。1-9-1-40「では、その男に宛てた手紙をいただかせてください。1-9-1-41寸刻（すんこく）の猶予（ゆうよ）もなく、すぐに売らせてしまうのです。1-9-1-42ひょっとすると、わたくしの着くのがすでに手遅れになるかもしれませんが」。1-9-1-43「糞（くそ）！」と、侯爵は言った。1-9-1-44「さっそく書こう」。1-9-1-45こう言った彼は、テーブルの前に坐って仲買人宛（あて）の手紙を書いた。1-9-1-46そして値段にかまわず売るように命じた。 1-9-1-47「さてこのお手紙につづいては、」と、ビルフォールは、それを鄭重（ていちょう）に紙入（かみいれ：サイフ）のなかにしまいながら言った。1-9-1-48「もう一本お書きいただきたいと思うのですが」。1-9-1-49「誰（だれ）宛てにだ？」。1-9-1-50「王さま宛てです」。1-9-1-51「王さま宛てだと？」。1-9-1-52「そうです」。1-9-1-53「だが、わしには陛下に手紙などはあげられないが」。 1-9-1-54「あなたにお願いするのではありません。1-9-1-55そのことをサルビユさんに頼んでいただきたいと思うのです。1-9-1-56貴重な時を失わないため、謁見（えっけん）についてのいろいろの手続きをふまずに陛下のおそばまで行けるように、その手紙がいただきたいと思うのです」。1-9-1-57「だが、君にとっては、テュイルリー宮殿（きゅうでん）に自由に出入りできる司法（しほう）大臣（だいじん）がいるではないか？1-9-1-58その紹介で、君は昼でも夜でも王さまのおそばまでいけるじゃないか？」。

次へ

引用者：2016/6/14　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書