７（４）ルクレール船長の遺言

1-7-4-1ダンテスは眼を放ってそれを見た。1-7-4-2一抹（いちまつ）の暗影（あんえい）が面上（めんじょう）を掠（かす）めた。1-7-4-3彼は言った。-7-4-4「いや、書体に見覚えはありません。1-7-4-5筆跡が変えてあります。1-7-4-6ですが、ずいぶん思いきって書いてあります。1-7-4-7なんにしてもこれを書いたものはなかなかの能筆（のうひつ）です。1-7-4-8わたしはあなたのような方にお会いすることができてとてもうれしく思います」。1-7-4-9彼は感謝をこめてビルフォールを見ながら言った。1-7-4-10「なぜかと申しますと、わたしを『ねたんで』いるものは、たしかにわたしのほんとうの敵にちがいありませんから」。 1-7-4-11そして、こうした言葉を口にしたとき、青年の目の中にチラリと閃（ひらめ）いた光を見て取ったビルフォールは、最初気のついた柔和（にゅうわ）さのかげにはげしい精力のかくされている事実を知った。1-7-4-12「ではこれから一つ率直（そっちょく）に返事をしてもらいたい」と、検事代理が言った。1-7-4-13「つまり裁判官にたいする被告といったようでなく、危険な立場に置かれた男が、自分を案じてくれている一人の男に答えるとでもいったつもりで。1-7-4-14ところで、その匿名（とくめい）の告訴状のどこのところがほんとうかね？」。 1-7-4-15こう言いながらビルフォールは、さも汚らしいといったように、ダンテスの返した手紙をテーブルの上に投げ出した。1-7-4-16「すべてがほんとうであるとともに、またどこもがほんとでありません。1-7-4-17正真正銘（しょうしんしょうめい）の事実といえば、まずこういったところです。1-7-4-18海員（かいいん）たるわたしの名誉（めいよ）、メルセデスにたいするわたしの愛、また父の命（いのち）にかけてお誓いします」。1-7-4-19「はなしため」と、ビルフォールは声高（こわだか）に言った。 1-7-4-20そして声をひそめて、「これをもしルネが見ていてくれたら、きっと好きになってくれるだろう。1-7-4-21また、今後おれのことを首切り役人などというようなこともなくなるだろう」。 1-7-4-22「こうなのです。1-7-4-23ナポリを出るとルクレール船長は脳膜炎（のうまくえん）にかかって床（とこ）につきました。1-7-4-24なにしろ船には医者がおりませんし、それに、船長は一刻（いっこく）も早くエルバ島まで行こうという考えで沿岸（えんがん）のどこにも寄港（きこう）するのを望まれなかったものですから、病気は『ぐっ』と重り、三日目の夕方（ゆうがた）には、もう自分でもいよいよ最後であると気づいて、わたしをそば近く呼んで『ダンテス君』と、言われました、『君の名誉にかけて、これからわたしのいうことをやってくれると誓ってくれたまえ。1-7-4-25非常に重大なことなのだ』。 1-7-4-26『お誓いします』とわたしは答えました。1-7-4-27『じつは、わたしが死んだら、この船の指揮（しき）は一等運転士たる君の手に属することになる。1-7-4-28君はその指揮をすることになるのだ。1-7-4-29そこで、君は船をエルバ島へ向け、ポルト・フェライヨで下（お）りて、大元帥（だいげんすい）に会って、この手紙を渡してもらいたい。1-7-4-30たぶん、先方（せんぽう）からも手紙を渡されることと思う。1-7-4-31そして或（あ）る使命（しめい）を託されることだろう。 1-7-4-32わたしが引き受けていたその使命を、ダンテス君、君にはたしてもらいたいのだ。1-7-4-33そのすべての名誉（めいよ）を君がになうのだ』。1-7-4-34『承知しました。1-7-4-35でも、お考えになるほど『やすやす』と大元帥のおそばまで行けないのではありますまいか』。1-7-4-36『ここに指輪（ゆびわ）がある。1-7-4-37これをお届けするように言いたまえ』と船長は申しました。1-7-4-38『そうすればいざこざなしに通してもらえる』。1-7-4-39こう言って船長は指輪（ゆびわ）を一つ渡されました。1-7-4-40そうしておいてよかったことには、二時間たつと、船長は人事不省（じんじ・ふせい：昏睡状態に陥ること）に陥（おちい）られ、翌日（よくじつ）死んでしまわれました」。 1-7-4-41「で、君はどうした？」。1-7-4-42「申しつけられたとおりにしました。1-7-4-43誰でもわたしたちの立場にいたら、そうしたことと思います。1-7-4-44たといどんな場合であれ、いまわのきわの人からの頼みは神聖（しんせい）です。1-7-4-45しかも海員の場合上役（うわやく）からの頼みは、必ずはたさなければならないことになっています。1-7-4-46でわたしは、エルバ島に向けて帆（ほ）をあげました。1-7-4-47翌日そこへ到着すると、乗組員全部に足留（あしど）めをしておいて、自分一人で上陸しました。 1-7-4-48予想（よそう）していたように、大元帥のところへわたしを通すについてはちょっといざこざがありました。1-7-4-49しかし、身分（みぶん）証明書（しょうめいしょ）代わりの例の指輪を届けてもらいますと、たちまち戸口は開かれました。1-7-4-50大元帥はわたしに会ってくださったうえ、不幸なルクレールさんの最後（さいご）のありさまについて、なにかとおたずねになりました。1-7-4-51そして、船長が言っておられたように、一通（いっつう）の手紙を渡され、わたし自身パリへ持ってゆくことを託されました。 1-7-4-52わたしはそれを承知しました。1-7-4-53というのは、つまり船長の最後の志（こころざし）をはたすことになるからでした。1-7-4-54わたしは上陸（じょうりく）して、船についてのあらゆる仕事を手早（てばや）く片づけました。1-7-4-55それから許婚に会いに駆けつけました。1-7-4-56彼女はいつにもまして美しく、可愛（かわい）らしいようすをしておりました。1-7-4-57モレルさんのおかげで、すべての宗教上の面倒（めんどう）な手続きも難（なん）なく片づけることができました。 1-7-4-58それからわたしは、さっきも申しあげましたように許婚式の食事に出席し、あと一時間で結婚できる、明日はパリへ向けて出発しようと思っていた折（おり）も折、いまあなたもわたし同様それを愚劣（ぐれつ）なものとお考えになっておいでのような例の告訴状が出てきたため、拘引（こういん）されたというわけです」。

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引用者：2016/6/7　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書