７（３）ねたむ者の覚えは

1-7-3-1「つづけたまえ」と、彼は言った。1-7-3-2「何をつづけるのです？」。1-7-3-3「裁判所にたいする明らかな申し立てを」。1-7-3-4「ですが、裁判所がどういう点について明らかな申し立てを求めておいでなのか、それをおっしゃっていただきましょう。1-7-3-5そうしたら、知っているかぎりのことを申し上げます。1-7-3-6しかし、」と、今度はダンテスのほうが微笑を浮かべながら言葉をつづけた。1-7-3-7「前もって申しあげておきますが、あまり大したことは存じません」。1-7-3-8「君は、ナポレオンの下で、軍務に就（つ）いていたことがあるかね？」。 1-7-3-9「ちょうど海軍に編入されようとしていたとき、ナポレオンが没落（ぼつらく）しました」。1-7-3-10「君の政治的意見は過激だということを聞いていたが」と、ビルフォールが言った。1-7-3-11だが、彼はそのじつ、誰からもそんなことを聞かされてはいなかったのだ。1-7-3-12それにもかかわらず、彼はまるで告発でもしているように、平然としてそれを質問した。 1-7-3-13「わたしの政治上の意見ですか？1-7-3-14このわたしの・・・・。1-7-3-15じつに申し上げるのもお恥しい次第（しだい）ですが、わたしはいままで意見などというものをもったことがありません。1-7-3-16さっきも申し上げましたように、わたしは今年やっと十九歳になります。1-7-3-17わたしはなにも知りません。1-7-3-18取柄（とりえ）といってもありません。1-7-3-19現在の地位（ちい）、またこれからさきの地位、自分の望んでいるような地位にありつくことができましたら、それはひとえにモレルさんのおかげだと思っております。 1-7-3-20したがって、わたし自身の意見としては、（それも政治上のものではなく、私ごとに関する考えですが、）つまり父を愛し、モレルさんを尊敬し、メルセデスを愛するという、この三つ以外にありません。1-7-3-21裁判所に申し立てられる意見といったら、これ以外にはありません。1-7-3-22あまりお役にはたたないと思われますが」。1-7-3-23ビルフォールは、ダンテスの話に耳をかしながら、いかにも和（なご）やかな、いかにもはればれとした相手の顔をながめていた。 1-7-3-24彼は、心の中で、まだこの男のことなど知らないのに、さっき彼に向かって被告にたいする寛大さを説いたルネの言葉を思い浮かべていた。1-7-3-25彼は、犯罪や犯人についてのいままでの経験から、ダンテスの一言一句（いちごん・いっく）にその無罪（むざい）の証明の浮かび上っているのを認めた。 1-7-3-26じっさいこの青年は、と言（い）おうよりこの少年は−−−単純で、率直（そっちょく）で、そして求めても得られないような心からの雄弁（ゆうべん）、自分が幸福であるということにより、そしてその幸福は悪人さえも善人にするということにより、いますべての人に愛をもっているこの青年は、こうして自分を裁いている人の上にまで、その溢（あふ）れるような優（やさ）しさを感じさせないではいなかった。 1-7-3-27ダンテスの眼差しなり、声なり、しぐさなりのなかには、彼にたいする粗暴（そぼう）峻厳（しゅんげん）なビルフォールの態度（たいど）にもかかわらず、自分を訊問（じんもん）している相手方（あいてがた）にたいして愛と好意だけをしめしていた。 1-7-3-28《いいとこへ飛び出してくれたぞ》と、ビルフォールは思った。1-7-3-29《おかげで、わけなくルネの最初の頼みを聞き入れてやれるし、そして、みんなの前でやさしく手を握（にぎ）ってももらえる。1-7-3-30その後では蔭（かげ）へ行って嬉（うれ）しい接吻もしてもらえるのだ》。 1-7-3-31こうした楽しい希望から、ビルフォールははればれとした顔になっていた。1-7-3-32そして、そう思いながらダンテスの上に眼差しをうつしたとき、裁判官のあらゆる変化を見のがさなかったダンテスは、思わず釣りこまれて『にっこり』した。1-7-3-33「君は敵をもった覚えがあるかね」。1-7-3-34「敵ですか？」と、ダンテスが言った。1-7-3-35「さいわいわたしはくだらない男なので、地位（ちい）のために敵をつくるというようなことがありません。1-7-3-36一方わたしの性格は、いささか血気（けっき）すぎはしましょうが、下役にたいしてはいつもそれをおさえるようにしていました。 1-7-3-37わたしの下には十人から二十人の水夫（すいふ：船員）がおります。1-7-3-38その連中におたずねください。1-7-3-39『おやじ』と呼ぶには若すぎましょうが、兄貴（あにき）のようにわたしを愛し、ひき立てていてくれることを申し上げましょう」。 1-7-3-40「だが、敵はいないにしても、君を『ねたむ』やつはいるだろう。1-7-3-41君は十九で船長になろうとしている。1-7-3-42君たち仲間ではりっぱな地位だ。1-7-3-43君は、自分の愛している娘さんと結婚しようとしている。1-7-3-44これは、この世のなかを通じてなかなか得られない幸福だ。1-7-3-45こうして二重（にじゅう）に恵まれていることから、君をねたむやつが出てきていると思うのだが」。 1-7-3-46「そうです、おっしゃるとおりです。1-7-3-47あなたはわたしよりよく人間というものを御存じです。1-7-3-48それは有り得ることに思われます。1-7-3-49ですが、そうやってねたむ人たちが仮に友だちのあいだにあるとしても、わたしはむしろその人たちを知らないでいたいと思います。1-7-3-50わかれば厭（いや）になるにちがいありませんから」。 1-7-3-51「それは間違ってると思うな。1-7-3-52自分の身のまわりというものは、いつもできだけ『はっきり』ながめていなければいけない。1-7-3-53そして、じつのところ、君はいかにもりっぱな青年のようにお見受けする。1-7-3-54そこでわたしは、裁判所のいつもの規則（きそく）を曲げようと思うのだ。1-7-3-55そして、君がなぜこんなところへこなければならなくなったか、その告訴状を見せてあげて、君が思いあたるための手だすけをしてあげようと思う。1-7-3-56これが告訴状だ。1-7-3-57筆跡（ひっせき）に見覚えはないかね」。1-7-3-58こう言いながら、ビルフォールはポケットから手紙を出し、それをダンテスの前に出した。

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引用者：2016/6/7　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書