５（３）その筋の者です

1-5-3-1「というと、許婚（いいなずけ）の御馳走（ごちそう）と思って食べたやつが、」とダングラールが言った。1-5-3-2「すぐにそのまま婚礼の御馳走になるわけなんだな」。1-5-3-3「そんなわけではありませんよ」と、ダンテスが言った。1-5-3-4「御安心ください、御損（ごそん）をかけたりはしませんからね。1-5-3-5わたしは明日の朝パリへ立ちます。1-5-3-6行きが四日（よっか）、帰りが四日、1-5-3-7間（あいだ）の一日はわたしが言いつかってきた使いをはたすため。1-5-3-8それで三月の一日（ついたち）には帰ってきます。1-5-3-9で、三月二日（ふつか）にほんとの結婚（けっこん）披露（ひろう）の宴会（えんかい）をやります」。 1-5-3-10近々（ちかぢか）に饗宴（きょうえん）のあるということが、一座（いちざ）を『どっと』湧き立たせた。1-5-3-11そして、食事のはじめにみんなが黙りこくっていることを不服がっていたダンテスの父も、いまではみんなのしゃべりまくるなかにあって、もうすぐ夫婦（ふうふ）になる二人のため、ゆくすえの繁栄を祈る言葉を述べようとしながら、いたずらに心をいらだたせていたのだった。1-5-3-12ダンテスは、父の心をそれと察して、温情をこめた微笑でそれに答えた。 1-5-3-13メルセデスは、室にかかっていたカッコー時計を見あげながら、時刻のことを気にしだしていた。1-5-3-14そして、エドモンのほうにそれとなく合図（あいず）していた。 1-5-3-15食卓の周囲には、身分の低い人たちの場合、いつも食事のあとに見られるところの、あの騒がしい高笑いや、自分自分での勝手なふるまいが見られていた。1-5-3-16自分のいままでの席に不満だったものは、食卓から立ちあがって、他の仲間のいるところへ出かけていった。1-5-3-17みんなは一度におしゃべりをはじめていた。1-5-3-18そしてみんな相手が自分に何を言っているのか聞こうともしないで、ただ自分の言いたいことだけをしゃべっていた。 1-5-3-19フェルナンの顔色の悪さは、いまダングラールの頬（ほお）の上にも移っていた。1-5-3-20フェルナン自身は、もう生きた色もなく、まるで焔（ほのお）の湖のなかの亡者（もうじゃ）とでもいったようすだった。1-5-3-21彼は、早くも立ちあがった人たちといっしょに立ちあがって、唄声（うたごえ）や、杯を打ち合わせる響きなどから耳を遠ざけようと、室のなかを縦横（じゅうおう）に歩きはじめていた。 1-5-3-22彼がつとめて避けるようにしていたダングラールが、室の一隅で彼のそばに近づいてきたとき、カドルッスもまた彼のそばによってきた。1-5-3-23「ほんとに、」と、カドルッスは言った。1-5-3-24ダンテスの親切な心遣（こころづか）いや、ことにパンフィル爺（じい）さんの家のうまい酒のおかげで、これまで、ダンテスが思いがけなく幸福を手に入れたということで彼の心に蒔（ま）かれていた憎悪（ぞうお）の種は、今やすっかりのぞき去られてしまっていた。 1-5-3-25「ほんとにダンテスはかわいい男さ。1-5-3-26『やつ』が嫁御寮（よめごりょう：花嫁のこと）のそばに坐ってるところを見ると、君たちが昨日たくらんでいた『いたずら』なんか、どうもよくないように思われるな」。1-5-3-27「それさ、」と、ダングラールが言った。1-5-3-28「君も知ってるとおり、あれはあれだけのことだったのさ。1-5-3-29かわいそうなフェルナン君は、すっかり度を失ってしまっていて、おれもはじめは心配していたのさ。1-5-3-30だがいったん心をきめて、自分の恋仇（こいがたき）の婚礼の、しかもその第一の付添人（つきそいにん）にまでなったうえは、もうなにも言うべきことなんかないだろうさ」。 1-5-3-31カドルッスはフェルナンのほうを見た。1-5-3-32フェルナンの顔色は青かった。1-5-3-33「相手が美人であるだけに、それだけ苦しみも大きかったというわけさ」と、ダングラールが言葉をつづけた。1-5-3-34「いや、今度の『うち』の船長のやつめ、なんて仕合（しあわ）せな男だろう。1-5-3-35一日（いちにち）でいいから、ダンテスと呼ばれてみたいもんだな」。 1-5-3-36「出かけましょうか？」と、メルセデスのやさしい聲（こえ）がたずねた。1-5-3-37「二時ですわ。1-5-3-38二時十五分というお約束ですわ」。1-5-3-39「そうだ、出かけよう！」。勢いよく立ち上がりながらダンテスが言った。1-5-3-40ちょうどそのときだった。1-5-3-41窓のかまち（框：床の間やゆかの板の端を隠すために渡す化粧横木。戸・障子などの枠）に腰かけているフェルナンから目を放さずにいたダングラールは、たちまちフェルナンがオロオロした目を大きく見ひらき、まるで痙攣（けいれん）したように立ちあがったと思うと、ふたたび窓のかまちに倒れるように腰をおろすのを見た。 1-5-3-42と、ほとんど同時に、低い物音が階段に響き渡った。1-5-3-43重い足音、武器の触れあう音にまじった『ざわめき』の声を聞きつけた客人たちは、今までずいぶん大きな声でさわいでいたにもかかわらず、はっと一（いっ）せいに耳をすました。1-5-3-44そして一座は、たちまち不安な沈黙に沈んだ。1-5-3-45物音は近づいてきた。1-5-3-46扉を三度たたく音が響きわたった。1-5-3-47みんなは驚いたように隣りの人の顔をながめた。 1-5-3-48「その筋の者です！」と、響きわたる声が聞こえた。1-5-3-49誰ひとり答えなかった。1-5-3-50たちまち戸が開かれた。1-5-3-51腰に飾帯（しょくたい）をまいた一人の警察官が、伍長（ごちょう）の指揮する武装した四人の兵士を後にしたがえて室のなかにはいってきた。

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引用者：2016/6/5　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書