５（２）婚姻手続完了

1-5-2-1すでに食卓のまわりには、狐色（いつねいろ）した香気（こうき）の高い、アルルのソーセージ、殻（から）の輝く蝦（えび）だとか、薄紅（うすべに）の貝（かい）にはいったプレール、『とげとげしい』いがで包まれた栗を思わせる『うに』だとか、南仏（なんふつ：ミデイ）の食通（しょくつう）にとって、北の国の牡蠣（かき）にくらべてはるかにまさるといわれている『めくら』貝などがまわされていた。1-5-2-2こうした味のよい前菜（ぜんさい）のかずかず、それらは、波によって砂浜の上に打ちよせられ、漁師たちから海の果実と呼ばれているものだった。 1-5-2-3「なんとみなさん、いやに黙りこんでおいでですな！」。1-5-2-4老人は、いましもあのパンフィルおやじが自分でメルセデスの前に置いていったトパーズ色の葡萄酒の杯（さかずき）を味わいながら言った。1-5-2-5「ここにいる三十人ばかりの方たちが、ただ笑ってばかりいるなんで、これはいったいどうしたことですかい」。 1-5-2-6「いやさ、新郎（しんろう）だからって、いつも陽気（ようき）とばかりはきまらないやね」と、カドルッスが言った。1-5-2-7「それは、」と、ダンテスが言った。1-5-2-8「いまのわたしは陽気になるにはあまりに幸福すぎるんです。1-5-2-9そうした意味のお言葉だったら、あなたの言われたとおりでしょう。1-5-2-10嬉しさはときどき妙な結果を起こします。1-5-2-11苦しみと同じような胸苦（むなくる）しさを感じさせます」。 1-5-2-12ダングラールはフェルナンをながめていた。1-5-2-13フェルナンは感じやすい性質から、一つ一つの感動をそのまま受け入れ、それをまた外にあらわしていた。 1-5-2-14「なにを言ってるんだ、君は何かをおそれているのか？1-5-2-15万事（ばんじ）望みどおりになるらしいのに！」。1-5-2-16「それが怖（こわ）いんですよ」と、ダンテスが言った。1-5-2-17「人間というものは、そんなにやすやすと幸福になれるものではないらしいんですから！1-5-2-18幸福は、竜が戸口を固めているという魔法の島の宮殿のようなものなんです。1-5-2-19幸福を得ようと思ったら戦わなくてはなりません。1-5-2-20ところが、わたしはどうでしょう、いったいどうしてメルセデスの夫になるような幸福が得られたのか、まったくわからないでいるのです」。 1-5-2-21「夫だって？夫だって？」と、カドルッスは笑いながら言った。1-5-2-22「まだなったわけではないじゃないか、船長君。1-5-2-23どうだ、ちょっと亭主ぶってみせるのさ1-5-2-24どんな『あしらい』をしてもらえるか！」。1-5-2-25メルセデスは顔をあからめた。 1-5-2-26フェルナンは椅子の上で思い悩んでいた。1-5-2-27そしてちょっとしたもの音にも飛び上がっていた。1-5-2-28そして、土砂降り（どしゃぶり）の前の小降（こぶ）りの雨とでもいったように、時折（ときおり）額（ひたい）の上に珠（たま）なす汗を拭（ぬぐ）っていた。1-5-2-29「いや、カドルッスさん」と、ダンテスが言った。1-5-2-30「そんなことでわたしをいじめたって駄目ですよ。1-5-2-31なるほどメルセデスはまだ家内（かない：妻のこと）ではありませんがね・・・・。1-5-2-32（彼は時計を出して見た）。1-5-2-33でももう一時間半もすればわたしの家内になるんですから！」。 1-5-2-34みんなは、ダンテスの父、まだ美しい歯並を見せながら高く笑ってみせたダンテスの父をのぞいて、思わず驚きの叫びをあげた。1-5-2-35メルセデスは微笑していた。1-5-2-36そして、もう顔をあからめもしなかった。 1-5-2-37フェルナンは、まるで『けいれん』でもしたように短刀（たんとう）の柄（え）に手をかけた。1-5-2-38「一時間半するとだって？」と、ダングラールも顔色を変えながら言った。1-5-2-39「どうしてさ？」。1-5-2-40「ええ」と、ダンテスは答えた。1-5-2-41「父につづいて一番お世話になったモレルさんの御信用のおかげで、いろいろ面倒なことをすっかり取りのぞいてもらえました。1-5-2-42わたしたちは婚姻公示（こんいんこうじ：フランスでは結婚しようとするものは予（あらかじ）め市町村（しちょうそん）役場（やくば）の掲示板にその旨の公示を求め、決定の期間内に異議の申し立てなきを見てはじめて結婚の手続きに移る）の権利を買うことができたんです。 1-5-2-43そして、二時半にはマルセイユの市長さんが私たちを市役所で待っていてくださいます。1-5-2-44いま一時十五分、あと一時間半したら、メルセデスがダンテス夫人になるといって間違いないでしょう」。1-5-2-45フェルナンは目をつぶった。1-5-2-46一抹（いちまつ）の焔（ほのお）が彼の目蓋（まぶた）をほてらした。1-5-2-47彼は気を失うまいとして食卓にもたれたが、その努力にもかかわらず、低いうめき声を立てずにはいられなかった。1-5-2-48だが、それは一同の笑い声や祝いの言葉の中にうち消された。 1-5-2-49「なかなか敏捷（びんしょう）にやったでしょうが」と、ダンテスの父親が言った。1-5-2-50「どうだね、これでも時間をむだにするっていえるかな？1-5-2-51昨日（きのう）の朝（あさ）着いて、今日（きょう）の三時には婚礼（こんれい）をする。1-5-2-52船乗（ふなの）りだけでさあ、こんなに手まわしよくやれるのは」。1-5-2-53「だが他の手続きは？」と、おずおずしながらダングラールが言った。1-5-2-54「契約書、書類なんかは？・・・・」。1-5-2-55「契約書、」と、ダンテスは笑いながら言った。 1-5-2-56「契約書は『ちゃん』とできています。1-5-2-57メルセデスには財産がなし、わたしにしたってないんですから！1-5-2-58つまり夫婦共通財産制というわけでの結婚なんです。1-5-2-59で、このとおり！1-5-2-60書き上げるのに大して手間もかからなかったし、したがって手数料も安くてすむというわけです」。1-5-2-61こうした『じょうだん』につれて、また歓呼（かんこ）の声が堂（どう）をゆるがした。

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引用者：2016/6/4　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書