４（３）ペンとインキと紙

1-4-3-1そのとき、テーブルの上に『がっくり』頭を落としていたカドルッスが額（ひたい）をあげた。1-4-3-2そして重（おも）たげな、ぼんやりした眼をあげて、フェルナンとダングラールの顔を見ながら、「ダンテスを殺す？」と、言った。1-4-3-3「誰だ、ダンテスを殺すなんて言ってるのは？1-4-3-4あいつを殺すことにはおれが反対だ、このおれが。1-4-3-5あいつはおれの友だちなんだ。1-4-3-6あいつは、おれが前に自分の金を分けてやったように、今朝（けさ）このおれに金を分けてくれようと言ってくれた。1-4-3-7ダンテスを殺してはならねえぞ」。 1-4-3-8「誰がダンテスを殺すなんて言ってるもんか、馬鹿野郎（ばかやろう）！」と、ダングラールは言った。1-4-3-9「ちょっと『じょうだん』に言っただけさ。1-4-3-10あいつの健康のために一杯やれよ」。1-4-3-11こう言った彼は、カドルッスの杯（さかずき）を満たしてやりながら言葉をつづけた。1-4-3-12「そして、邪魔（じゃま）をしないでいてくれるんだ」。1-4-3-13「そうだ、ダンテスの健康のために！」カドルッスはそう言いながら杯を干（ほ）した。1-4-3-14「あいつの健康のために・・・・あいつの健康のためにだ！・・・・そら！」。 1-4-3-15「で、その方法？・・・・その方法というのは？」とフェルナンが言った。1-4-3-16「君にはそれが見つからないのか？」。1-4-3-17「だって、あなたがひき受けてくだすったんじゃありませんか」。1-4-3-18「そうだった」と、ダングラールが言った。1-4-3-19「フランス人はスペイン人にくらべて、この点たしかにすぐれているんだ。1-4-3-20すなわち、スペイン人はぐずぐず思案（しあん）に時をつぶす。1-4-3-21ところが、フランス人はさっそくものを考え出す」。1-4-3-22「だから考え出してくださいよ」と、いらいらしながらフェルナンが言った。 1-4-3-23「ボーイ」と、ダングラールは言った。1-4-3-24「ペンとインキと紙！」。1-4-3-25「ペンと、インキと、紙！」と、フェルナンがつぶやいた。1-4-3-26「そうだ。おれは会計係だ。1-4-3-27ペンと、インキと、紙、それがこのおれの道具なんだ。1-4-3-28道具がなければ何もできない」。1-4-3-29「ペンと、インキと、紙！」と、フェルナンも叫んだ。1-4-3-30「あそこのテーブルの上にございます」と、ボーイは、言われた品々を指しながら言った。1-4-3-31「それならそれで、持って来てくれたらいいじゃないか」。1-4-3-32ボーイは、紙とインキとペンを取って、それを棚の下の上に置いた。 1-4-3-33カドルッスは、手を紙の上に手を置きながらこう言った。1-4-3-34「闇み討ちするために林の隅で待ち受けるよりも、もっと確実に殺してのけられるというわけなんだぞ！1-4-3-35剣やピストルなんかより、一本のペン、一つのインキ、一枚の紙のほうが、よっぽど恐ろしいとおれはいつも思っていた」。1-4-3-36「『ひょうきんもの』め、見かけほどには酔ってないらしいな」と、ダングラールが言った。 1-4-3-37「フェルナン君、もっと飲ませてやってくれ」。1-4-3-38フェルナンは、カドルッスの杯（さかずき）を満たした。1-4-3-39すると、もとより飲（の）み助（すけ）ときているので、たちまち紙の上から手をあげて、杯のほうへ持っていった。1-4-3-40フェルナンは、カドルッスがこの新しい一杯（いっぱい）でほとんど参って、杯をテーブルの上に置くというよりむしろ落としてしまうところまで、じっとその動作を見まもっていた。1-4-3-41「それで？」、フェルナンは、カドルッスに残っていた意識が、この最後の一杯でようやく失われるのを見すまして、相手を誘った。 1-4-3-42「それでだ！1-4-3-43つまり、」と、ダングラールは言った。1-4-3-44「あのダンテスが、その航海の間にナポリ（この時はまだナポリは、ナポレオンの親戚が統治していた）やエルバ島（ナポレオンが王の島）へよったりしたことを言いたてて、誰か一人、あれはボナパルト派だと検事に告訴（こくそ）しさえすればいい・・・・」。1-4-3-45「僕がしましょう、僕が！」と、勢いこんで、青年が言った。1-4-3-46「そうだ。1-4-3-47だが、そうすると、君はその告訴状に署名させられることになる。1-4-3-48君は君の告訴した人間と対決させられることになる。1-4-3-49もちろんおれは、君の告訴を裏書するだけの材料をやろう。1-4-3-50よく知っているから。1-4-3-51だがダンテスは、永久に牢にはいっているわけにはいかない。1-4-3-52いつか一度は出てくるんだ。1-4-3-53出てきたら、あいつを牢に入れさせた人間が怨（うら）まれることになるんだ！」。 1-4-3-54「おお！僕の願うところはたった一つ、」と、フェルナンが言った。1-4-3-55「それは、あいつのほうから僕に喧嘩（けんか）を売りにくるということなんです」。1-4-3-56「そう、だがメルセデスはどうするね！1-4-3-57好きなエドモンの薄皮をちょっとすりむかせてやっただけで、君はきっと怨（うら）まれるんだが！」。1-4-3-58「それはそうなることでしょう」と、フェルナンが言った。1-4-3-59「そいつはまずいや」と、ダングラールが言った。1-4-3-60「それほどの決心があったら、なあ、それならむしろ、おれがやるように、このペンをとってインキにひたし、自分の筆跡（ひっせき）だということがわからないように、左手で、こうした短い告訴状を書くほうが利巧（りこう）だと思うな」。 1-4-3-61こう言いながらダングラールは、手本を見せるといったように、左手で、平素の彼の書体とまったくちがった筆跡で、つぎの文句（もんく）を書きつらね、それをフェルナンの手に渡してやった。1-4-3-62フェルナンは、低く声に出して読んでみた。

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引用者：2016/6/3　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義