３（５）ダングラールの思惑

1-3-5-1「かわいそうに！」と、ダングラールは、さも心の底から青年に同情しているようなふりをしながら言った。1-3-5-2「ねえ、この男は、ダンテスがこんなに急にもどってこようなんて考えてさえいなかったんだ。1-3-5-3おそらく死んでしまったか、それとも心変りがしたんだろうと思ってたんだ。1-3-5-4何しろこうしたことは、急にやってくることだけに、それだけ胸にこたえるっていうわけなのさ」。1-3-5-5「なにしろ、」と、カドルッスが言った。1-3-5-6おしゃべりをしながら、ピンと頭にくるラ・マルグの葡萄酒がまわりかけて、だいぶ御機嫌になっていた。1-3-5-7「何しろ、ダンテスが帰ってきたので迷惑するのは、フェルナンだけにはかぎらないんだ。1-3-5-8なあ、そうじゃないか、ダングラール？」。 1-3-5-9「そうとも、そうとも、まったくお前の言うとおりだ。1-3-5-10それに、あいつの身にとって悪いことまで起こりかねないぞ」。1-3-5-11「まあいいや」と、カドルッスはフェルナンに一杯ついでやり、ダングラールのほうは杯（さかずき）にちょっと口を触れたか触れないくらいなのに引きかえ、自分のほうでは八杯（はっぱい）目だか十杯（じゅっぱい）目だがをつぎながら言った。1-3-5-12「まあいいや。1-3-5-13そのうちあいつはメルセデス、あのきれいなメルセデスをもらうのさ。1-3-5-14もっとも、『やつ』もそのために帰ってきたというわけなんだ」。 1-3-5-15その間、ダングラールは鋭い眼差しを青年の上にそそいでいた。1-3-5-16青年の胸の上には、こうしたカドルッスの言葉が煮えたぎる鉛（なまり）のように落ちかかった。1-3-5-17「して、婚礼はいつなんだ？」と、カドルッスがたずねた。1-3-5-18「ああ！そんなことはまだなんです」と、フェルナンはつぶやくように言った。1-3-5-19「まだだろう。1-3-5-20だが、いつかやることだけはきまってらあね」と、カドルッスが言った。1-3-5-21「それは、ダンテスがファラオン号の船長になるのと同じくらいにたしかなことさ。1-3-5-22なあ、ダングラール？」。 1-3-5-23ダングラールは、思いもかけずこう呼びかけられて飛びあがった。1-3-5-24そして、カドルッスのほうをふり向くと、わざと巧（たくら）んでそんなことを言ったのかと、相手の顔をうかがった。1-3-5-25だが、すでに大分（だいぶ）酔いのまわっている顔の上には、羨（うらや）ましそうなようすだけしか読みとれなかった。1-3-5-26「さあ！」と、彼はみんなの杯を満たしながら言った。1-3-5-27「べっぴんなカタロニヤ娘の花婿（はなむこ）エドモン・ダンテス船長のために飲もうじゃねえか！」。1-3-5-28カドルッスは、不器用（ぶきよう）な手つきで、杯を口まで持っていくと、それを一息（ひといき）に飲み干した。 1-3-5-29フェルナンは、自分の杯を手にとるなり、いきなり地べたに叩きつけて砕いてしまった。1-3-5-30「やあ、やあ、やあ！」と、カドルッスは言った。1-3-5-31「なんだ、あそこの丘のところ、カタロニヤ村のほうに見えるのは？1-3-5-32見てくれフェルナン。1-3-5-33お前のほうが目がいいから。1-3-5-34どうやらおれも目が霞（かす）んできた。1-3-5-35それにほら、酒っていうやつは裏切りものというやつでな。1-3-5-36恋人同士（こいびとどうし）手をとりあって、くっついて歩いてくるようなようすじゃねえか。1-3-5-37やれやれ！二人ともこっちから見られているとは気がつかないんだ。1-3-5-38ほうら二人は接吻（せっぷん：キスのこと）したぞ！」。 1-3-5-39ダングラールは、フェルナンの苦しんでいるようすを何一つ見落さなかった。1-3-5-40青年の顔は見るみる変わった。1-3-5-41「あの二人を知ってるかい、フェルナン君？」と、ダングラールは言った。1-3-5-42「ええ、」と、青年は低い声で答えた。1-3-5-43「エドモン君とメルセデスです」。1-3-5-44「やっぱりそうだったか！」と、カドルッスは言った。1-3-5-45「それがおれにわからなかったなんて！1-3-5-46おうい、ダンテス君！1-3-5-47おうい、娘さん！1-3-5-48ちょっとここへやってこないか。1-3-5-49そして、『おめでた』がいつだか教えてくれろよ。1-3-5-50ここにフェルナン君がいるんだが、どうしても教えてくれようとしないんだ」。 1-3-5-51「黙らないか！」。酔いどれ特有の『しつっこさ』で亭（てい）の外まで体をのめらしているカドルッスを、ダングラールは、さもひきとめるらしく見せながら言った。1-3-5-52「しっかりしないか。好きな同士は、『そっ』と愛させておいてやるんだ。1-3-5-53ほうら、フェルナン君を見るがいいや。1-3-5-54あれを見習わまければ。1-3-5-55フェルナン君は聞きわけがいいや」。1-3-5-56もうがまんができなくなり、さながらバンデリレロ（槍を持って闘牛に挑戦する、闘牛士）に挑（いど）まれた闘牛のように気の立っていたフェルナンは、あわや飛びかかっていこうとした。1-3-5-57彼は、すでに立ちあがって、自分の敵に跳（おど）りかかっていこうとして、身を固めてでもいるようだった。 1-3-5-58ところが、にこやかにほほえみながら、すっきり立っていたメルセデスは、その美しい顔をあげ、明るい眼差しを輝かしていた。1-3-5-59とフェルナンは、さっき彼女の言ったおびやかしの言葉、もしダンテスにして死ぬようなことがあったら自分も死ぬと言った言葉を思い出して、ふたたび椅子に腰をおろした。1-3-5-60ダングラールは、二人の男をつぎつぎにながめた。1-3-5-61酒に酔いしれた男と、恋に打ちのめされた男と。1-3-5-62「こんな馬鹿（ばか）どもはぜんぜんあてにできないな」と、彼はつぶやいた。1-3-5-63「こんな酔っぱらいと臆病（おくびょう）者の間に挟まっていてはあぶねえや。 1-3-5-64怨（うら）みの毒酒にでも酔っぱらっていなければならないときに、ただくらい酔っていやがる『やきもちやき』と、一ぽうは、かわいい女を見ている前で寝取られて、しかも、赤ん坊のように泣いたりこぼしたりしている大馬鹿者だ。1-3-5-65それにしても、眼つきだけは、しっかりした仕返しのできるスペイン人、シチリヤ人、カラブリヤ人そっくりに燃えたたせ、腕だけは、牛ころしの槌（つい）とでもいったように、一撃の下（もと）に牛の頭を割りでもしそうな拳（こぶし）をしている。1-3-5-66つまり、ダンテスの運勢（うんせい）のほうが強かったっていうわけだな。1-3-5-67やつはあのきれいな娘をもらって船長になり、おれたちをばかにしだすにちがいない。1-3-5-68ただし・・・」。薄気味わるい微笑が、ダングラールの唇に浮かんだ。1-3-5-69「ただし、おれさまがちょっと知慧をはたらかしてやったら話はべつだが」と彼はつけ加えた。

次へ

引用者：2016/5/20　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義