３（４）フェルナンと二匹の狐

1-3-4-1「おい！」と、カドルッスが言った。1-3-4-2「なぜここへ来ないんだ？1-3-4-3友だちに『今日（こんにち）は』を言う暇もないほど急いでるのか？」。1-3-4-4「しかもその友だちの前には、まだだいぶ酒のはいっている瓶（びん）があるんだ」と、ダングラールがつけ加えた。1-3-4-5フェルナンは、呆然（ぼうぜん）と二人の男をながめたまま、なんの返事もしなかった。1-3-4-6「なんだかぼんやりしてるじゃないか」と、ダングラールは、膝（ひざ）でカドルッスを突きながら言った。 1-3-4-7「おれたちの眼鏡（めがね）ちがいかな。1-3-4-8考えていたのとあべこべに、ダンテスのほうが旗色（はたいろ）がいいのかな？」。1-3-4-9「ふん！まあ待てよ」と、カドルッスが言った。1-3-4-10そして、青年のほうをふり向くと、「どうだ、おいフェルナン、決心がついたか？」と、言った。1-3-4-11フェルナンは額の汗を拭いて、しずかに棚のかげにはいってきた。1-3-4-12繁みのかげは、やや彼の『いらだたしさ』に落ちつきを与え、涼しさは、彼の疲れきった体にいくらかのくつろぎを与えたように思われた。 1-3-4-13「今日（こんにち）は」と、彼は言った。1-3-4-14「僕（ぼく）を呼んだんですね」。1-3-4-15こう言いながら、彼は坐るというよりむしろ倒れるように、テーブルのまわりにあった椅子の一つに腰をおろした。1-3-4-16「呼んださ。1-3-4-17なぜって、まるで気違いみたいに駆けて行くんだから。1-3-4-18身投げ（飛び下り自殺）でもしに行くんじゃないかと思ったのさ」。1-3-4-19こうカドルッスは笑いながら言った。1-3-4-20「べらぼうめ。友だちと見たら、何も酒を飲ませようというだけが能じゃねえ。1-3-4-21時には、そいつが、水を三四升（さんよんしょう：１升＝１．８リットル）飲みに行く（溺（でき）死体をイメージ）にのを止めてやらなくちゃならねえ場合もあるのさ」。 1-3-4-22フェルナンは、すすり泣きのような呻（うめ）き声をあげた。1-3-4-23そして、テーブルの上に両方の手首をぶっちがえに置くと、その上にがっくり頭をのせた。1-3-4-24「どうだい、はっきり言おうか、フェルナン」。1-3-4-25カドルッスは、いったん好奇心に駆られたとなると、駆引きなんかすっかり忘れてしまう下層社会特有の不作法（ぶさほう）な乱暴さで、話をはじめた。1-3-4-26「そうさ、まるで『して』やられた色男（いろおとこ）といったようすだぜ！」。1-3-4-27そして、こうした『じょうだん』口（ぐち）をたたいたあとでカラカラと笑った。 1-3-4-28「まさか！」と、ダングラールは答えた。1-3-4-29「これほどようすのいい男が、色恋のことで手を焼くなんてあろうことかだ。1-3-4-30『じょうだん』言ってら、カドルッス」。1-3-4-31「ちがうさ」と、カドルッスが言った。1-3-4-32「この男の溜息をついているのを聞くがいいや。1-3-4-33さあさあ、フェルナン」と、彼は言った。1-3-4-34「顔をあげて、返事をするんだ。1-3-4-35体ぐあいをたずねてくれる友だちに、返事をしないと失礼にあたるぜ」。1-3-4-36「体ぐあいは良（い）いんでさ」。1-3-4-37フェルナンは両の拳を握りしめ、頭をさげたままで言った。1-3-4-38「そうらね、ダングラール、」とカドルッスは友だちに目くばせしながら言った。 1-3-4-39「こうなんだ。1-3-4-40ここにいるフェルナン、正直（しょうじき）で勇ましいカタロニヤ人で、マルセイユでも腕っこきの漁師といわれるフェルナンは、メルセデスっていうきれいな女に参っているのさ。1-3-4-41ところが運が悪いことに、娘は娘で、ファラオン号の一等運転士にどうやらポーッときているらしい。1-3-4-42そして、そのファラオン号は、ちょうど今日（きょう）、港にはいってきたというわけなんだ。1-3-4-43わかったか？」。 1-3-4-44「いや、どうもおれにはわからねえ」と、ダングラールが言った。1-3-4-45「そこでフェルナンは愛想（あいそう）づかしを食わされたのさ」と、カドルッスが言葉を続けた。1-3-4-46「それがどうしたっていうんです！」。1-3-4-47フェルナンは、頭をあげると、自分の怒りの相手を探すとでもいったようにカドルッスを見つめながら言った。1-3-4-48「メルセデスは誰のものでもないんです。1-3-4-49だから、あの女が、誰でも自分の好きな男を愛したっていいわけでしょう」。 1-3-4-50「なるほど、そんなふうに考えているなら、それならそれで話はべつさ！」と、カドルッスが言った。1-3-4-51「おれは君をカタロニヤ人だと思っていた。1-3-4-52人から聞いたところによると、カタロニヤ人ってものは、相手に『して』やられて黙ってひきさがるようなことはしないものだっていうことだ。1-3-4-53しかも、仕返しにかけたら、フェルナンはとりわけ恐ろしい男ということだった」。1-3-4-54フェルナンは情けなさそうに微笑した。1-3-4-55「惚れてる男は、恐ろしい人間になんかなれないものさ」。

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引用者：2016/5/20　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義