２（３）隣人との会話

1-2-3-1「やあ、お帰りだね」。むきだしのマルセイユ訛（なまり）で言いながら、ニッと笑った。1-2-3-2象牙（ぞうげ）のような白い歯並（はなら）びが、あからさまに見えた。1-2-3-3「御覧のとおりですよ。1-2-3-4何かわたしでお役にたつことがあったらどうぞ御遠慮なく」。1-2-3-5親切に言いはしたものの、さすがその裏の冷たい気持をかくしおおせずにダンテスが答えた。1-2-3-6「ありがとう。ありがとう。1-2-3-7が、『まあ』おかげさまで不自由なくってね。1-2-3-8いや、かえって他人（たにん）さまのほうで、わたしに御用があったりするのさ。 1-2-3-9（ダンテスはきっとなった）。1-2-3-10いや、なにも君のことじゃない。1-2-3-11わたしは君に金を御用立てた。1-2-3-12君は返してくだすった。1-2-3-13仲のいい御近所（ごきんじょ）どうしではあたりまえのことじゃないか。1-2-3-14それもすっかり済んだことだし」。1-2-3-15「でも、お世話になった方に対して、済むなんてことはありませんよ」と、ダンテスが言った。1-2-3-16「お金の借りがなくなっても、あとに恩義が残っていますよ」。1-2-3-17「なんだってまたそんなことを！1-2-3-18済んだことは済んだことさ。1-2-3-19さあ、君がめでたく帰ってきたことの話でもしようや。 1-2-3-20で、焦げ茶（こげちゃ色）のラシャ（ポルトガル語ｒａｘａ：織り目のつまった厚地の毛織物）をそろえようと思って港へ行くとね、あのダングラールに会ったのさ。1-2-3-21『おや、マルセイユにいたのかい？』。『そうさ』。こうした返事だ。 1-2-3-22『おれは、スミルナにいることとばかり思っていた』。 『いたはずなんだ。なぜって、じつはそこから帰って来たんだから』。 『して、エドモン君は？どこにいるんだ？』。 『当然お父さんのところへ帰ったはずさ』。こうダングラールが言った。 1-2-3-23で、なにしろ、」と、カドルッスは言葉を続けた。1-2-3-24「友だちの手を握りたいと思って楽しみにしてやってきたのさ」。1-2-3-25「親切なカドルッスさんだ」と、老人が言った。1-2-3-26「わしたちのことをこんなにまで思っていてくださるんだ」。1-2-3-27「あたりまえですとも。わたしはあなたのことを思っていますよ。1-2-3-28そして、じゅうぶん尊敬もしていますよ。1-2-3-29なにしろ、正直者（しょうじきもの）っていうやつは少ないのでね。1-2-3-30ところで、君は金持になったらしいじゃないか？」と彼は、ダンテスがテーブルの上に置いた一握（ひとにぎ）りの金貨（単位：ルイ：２４フラン）や銀貨（単位：エキュ：３フラン）を横目（よこめ）で見ながら言葉を続けた。 1-2-3-31青年はたちまち、その黒い眼のうちに輝く欲心（よくしん）を見てとった。1-2-3-32「いや！」と、ダンテスはなにげないようすで言ってのけた。1-2-3-33「これはわたしのではないんですよ。1-2-3-34じつは親父（おやじ）に、留守中（るすちゅう）金（かね）に困りはしなかったかと聞いたところ、わたしを安心させようと思って、テーブルの上に財布（さいふ）をぶちまけて見せたっていうわけなんです。1-2-3-35さあさあお父さん、お金を貯金箱のなかに入れてお置きなさいよ」と、ダンテスは言った。 1-2-3-36「カドルッスさんが御入用とでもいうのなら話はべつですが。1-2-3-37そんなときには喜んでお役に立てましょうよ」。1-2-3-38「なあに、」と、カドルッスは言った。1-2-3-39「わたしにはべつに入用なんかありはしない。1-2-3-40おかげさまで、職業というやつは人を餓えさせないでくれるからね。1-2-3-41しまってお置きよ。1-2-3-42有りあまって困るものでもなし。1-2-3-43が、まあ、そう言ってもらっただけでお志をありがたく受けるよ」。1-2-3-44「わたしは、すなおな気持で言ったんです 」と、ダンテスが言った。 1-2-3-45「もちろんそうだろうさ。1-2-3-46ところで君は、モレルさんと折り合いがうまくいっておいでかな？1-2-3-47そのへんは抜け目はなかろうけれど」。1-2-3-48「モレルさんは、いつでも親切にしていてくださいますよ」と、ダンテスが答えた。1-2-3-49「それならそれで、あの人の御馳走（ごちそう）をことわったのはまずかったな」。1-2-3-50「なに？あの方の御馳走をおことわりした？」と、老人は言葉を挟（はさ）んだ。1-2-3-51「ではお前は、あの方から御飯にまでよんでいただいたのか？」。1-2-3-52「ええ」と、ダンテスは、自分に与えられた身に過ぎた栄光が、これほどまでに父親（ちちおや）を驚かすことを思って微笑しながら答えた。 1-2-3-53「で、なぜおことわりなんかしたんだ？」と、老人がたずねた。1-2-3-54「早くお父さんのところへ帰ってきたかったからですよ」と、青年は答えた。1-2-3-55「早くお父さんの顔が見たかったからですよ」。1-2-3-56「モレルさんのお気に触ったかもしれないな」と、カドルッスは言葉をつづけた。1-2-3-57「船長になろうなんて思ったら、船主の御機嫌をそこなうのは禁物（きんもつ）だからな」。 1-2-3-58「でも、失礼するわけをちゃんとお話ししておいたんです。1-2-3-59モレルさんもわかってくだすったはずなんです」。1-2-3-60「ははあ！だが、なにしろ船長になろうなんて思ったら、少し親玉（おやだま）の御機嫌を伺（うかが）っておかないといけないさ」。1-2-3-61「わたしは、そんなことなぞしないで船長になりたいと思うのです」と、ダンテスが答えた。

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引用者：2016/5/19　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義