２（１）１００ルイの俸給

1-2-1-1悪魔と『ぐる』になって、なにかしら陰険（いんけん）邪悪（じゃあく）な言葉を船主の耳に吹きこもうとしているダングラールのことはしばらくおき、いまはダンテスの後を追うとしよう。1-2-1-2彼は、カヌビエールの町を通り抜けてからノワイエ町にかかり、メーラン路（じ、みち）の左手にある一軒の小さな家にはいると、勢いこんで薄暗い梯子段を五階まで駈けあがり、一方の手を欄干（らんかん）にかけ、一方の手で胸の動悸を押さえながら、細目に開いている戸口の前に立ち止まった。1-2-1-3戸口からは、小さな部屋のずっと奥まで見渡された。 1-2-1-4この部屋こそはダンテスの父親の住居だった。1-2-1-5ファラオン号到着の知らせは、まだ老人の耳に届いていなかった。1-2-1-6そして、老人は、椅子の上に乗り、ふるえる手先で、窓の格子にそって生え上がっている牡丹蔓（ぼたんかずら）と金蓮花で柵を一つ編もうとしているところだった。1-2-1-7老人は、たちまち胴を抱かれたのを感じた。1-2-1-8そして、聞き覚えのある声がうしろで叫んだ。1-2-1-9「お父さん、お父さん！」。1-2-1-10老人は、思わず声をたてて、ふり返った。1-2-1-11と、老人には息子の姿が目にはいった。1-2-1-12老人は体をふるわせ、顔の色も青ざめて、息子の腕に抱かれていた。 1-2-1-13「どうしたんです、お父さん？」と、青年は心配しながらたずねた。1-2-1-14「どこかお悪いんですか？」。1-2-1-15「なに、そうじゃない、エドモンや。1-2-1-16だがまさか帰ってこようとは思わなかった。1-2-1-17こうやって思いがけなくお前の顔が見られて、うれしいやら、びっくりするやらで、わしはこのまま死にそうだよ！」。1-2-1-18「さあさあお父さん、しっかりしてください。1-2-1-19わたしですよ、わたしなんですよ！1-2-1-20うれしいことは障（さわ）りにならないってよく言いますね。1-2-1-21それで、なんの前触（まえぶ）れもなしに帰って来たんです。1-2-1-22さあ、少し笑って見せてください、そんなにびっくりしたような目をして見ないで。1-2-1-23わたしが帰ってきたんですよ。1-2-1-24これからお仕合せになれるんですよ」。 1-2-1-25「やれやれ、それはなによりだ」と、老人は答えた。1-2-1-26「だがどうして仕合せになれるのだな？1-2-1-27これからお前は、ずっとわしのそばにいてくれるのか？1-2-1-28さあさあ、その仕合せになったわけを聞かせてもらおう！」。1-2-1-29「神さま、よそさまの悲しみがわたしの仕合せになることをおゆるしください！」と、青年は言った。1-2-1-30「だが、わたし自身それを望んでいたのでないことだけは御存じです。1-2-1-31ただこうなった以上、わたしとしてべつに苦に病むことはありません。1-2-1-32お父さん、あの勇ましいルクレール船長はおなくなりになったのです。1-2-1-33そしてわたしは、モレルさんのお力添えで、たぶんその跡（あと）に坐ることになりそうです。1-2-1-34おわかりでしたか、お父さん？1-2-1-35二十（はたち）で船長になるんです！1-2-1-36俸給（ほうきゅう）は百ルイ（ルイは金貨の単位で２４フラン×100個Ｘ1000＝２４０万円の月俸。したがって三ヶ月の航海の場合、収入は７２０万円になる。ここでエドモンは貨幣単位にフランではなくてルイを使っている。）、それに利益の割前にもありつけます！1-2-1-37どうです、わたしのような駈け出しにとって、まったく望んでも得られないことではないでしょうか」。 1-2-1-38「ほんとに、ほんとに」と、老人は言った。1-2-1-39「それは運がよかったな」。1-2-1-40「でわたしは、一番初めにはいったお金で、お父さんに小さな家をこしらえてあげようと思うのです。1-2-1-41金蓮花や、牡丹蔓や、忍冬（すいかずら）などを植えられるような庭のついた家を・・・・おや、お父さん、どうしました、御気分が悪いようですが？」。1-2-1-42「いやいや、なんでもない」そう言いながらも、力のぬけた老人は、そのままうしろに倒れてしまった。1-2-1-43「さあさあ、葡萄酒を一杯お飲みなさい」と、青年が言った。1-2-1-44「きっと力がおつきでしょう。1-2-1-45葡萄酒はどこにあるんです？」。 1-2-1-46「いらないよ。1-2-1-47さがさなくてもいいんだよ。1-2-1-48欲しくないんだよ」こう言って、老人は息子の袖（そで）を引きとめようとした。1-2-1-49「いいえ。いいえ。お父さん、あるところを教えてください」。1-2-1-50こう言いながらも、彼は二（ふた）つ三（みっ）つの戸棚（とだな）をあけてみた。1-2-1-51「無駄だよ・・・・」と、老人は言った。1-2-1-52「もう葡萄酒はないんだよ」。1-2-1-53「なに？葡萄酒はないんですって？」今度はダンテスのほうが顔いろを変えて、落ちこんだ蒼い老人の頬（ほお）のあたりと、空（から）になった戸棚とを交（カワ）るがわる見かわした。1-2-1-54「え？葡萄酒がない！1-2-1-55お父さん、金が足りなくなったんですか？」。1-2-1-56「なにも足りないものなぞなかったよ、なにしろお前がこうして帰ってきてくれたんだし」と、老人は言った。1-2-1-57「だって、」と、ダンテスは額（ひたい）の汗（あせ）を拭きながら言った。1-2-1-58「わたしは、三ヶ月まえに出かけるとき、二百フラン（２０万円）お渡しして行ったじゃありませんか」。

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引用者：2016/5/18　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
2016/5/30