１８（４）食中毒死の賓客

1-18-4-1宴席は、枢機員たちもよく噂に聞いていた例の美しい邸宅、サン・ピエール・エス・リアンの通りにある法皇の館の葡萄園のなかに設けられた。1-18-4-2ロスピリオーシは、新たに手に入れた顕職に心を奪われ、胃の腑を整え、はればれしたようすでやってきた。1-18-4-3だが、スパダのこうは、いたって慎み深い男なので、ゆくすえ頼もしい青年士官である自分の愛する甥（おい）のため、紙を取り出し、筆をとって遺言状（ゆいごんじょう）を書いておいた。1-18-4-4彼はさらに、甥のところへ使いを出し、葡萄園のあたりで待っているように言わせてやった。1-18-4-5だが、使いの者は、青年に会うことができずにしまったものらしい。 1-18-4-6スパダには、すでに前から、こうした饗宴がなにを意味するかがわかっていた。1-18-4-7文化的なキリスト教がローマに侵入して来てからというもの、『皇帝から、死ねよとの御命令』、といって迫ってくるのは、あの百人隊（サンチュリオン）ではなく、それは『法皇から貴下（きか）に御陪食を仰せつけられました』と、口に微笑をたたえて言ってくる、法王庁からの秘密の使者にほかならなかった。 1-18-4-8スパダは、かれこれ二時ごろ、サン・ピエール・エス・リアンの葡萄園に出かけて行った。1-18-4-9法皇は、すでに待っておられた。1-18-4-10そのときスパダは、自分の甥が、美々（びび）しく身を飾り、いかにも優雅な姿をして、すでに、セザール・ボルジアのこの上もなく鄭重（ていちょう）なもてなしを受けているのを見てハッと思った。1-18-4-11スパダはたちまち顔色を変えた。1-18-4-12しかも、彼の上に投げられた皮肉（ひにく）溢（あふ）れるセザールの眼差（まなざ）しは、まさしくそなたの察しどおり、「わな」の準備はすっかりできているぞよ、ということを語っていた。 1-18-4-13食卓についた。1-18-4-14スパダは甥に向かって、『わしの伝言を受け取ったか？』とたずねることだけしかできなかった。1-18-4-15それにたいして、甥は受け取らないと答えながら、はじめてその問いの意味をはっきり読んだ。1-18-4-16だが、それもいまでは手おくれだった。1-18-4-17彼は、大膳職の手によって、彼のためにと用意された一杯の美酒（びしゅ）を、すでにい飲み干してしまっていた。 1-18-4-18スパダは、そのとき別の酒壜（さけびん）が自分のほうへ近づき、それがなになみとつがれるのをみていた。1-18-4-19そして、それから一時間して、医師は、二人が有毒の編笠茸（あみがさ・たけ）で中毒したという診断を下した。1-18-4-20スパダは、葡萄園の扉口で死んでいた。1-18-4-21甥は、わが家（や）の戸口（とぐち）まできて、妻になにやらわからぬ手真似（てまね）をしながらこと切れた。 1-18-4-22法皇とセザールとは、死んだ者の書類を探すのを名目に、たちまち遺産の差し押さえにかかった。1-18-4-23だが、遺産としては、ただ一枚の紙片（しへん）よりなかった。1-18-4-24紙には、次のようなことが記されていた。 1-18-4-25『予（よ）は、愛する甥にたいし、手筐（てばこ）類（るい）、書籍類を贈る。1-18-4-26そのうちには、隅々（すみずみ）に黄金（おうごん）を施したる祈祷書（きとうしょ）あり。1-18-4-27なつかしき伯父（おじ）の記念として保存せられよ』。 1-18-4-28人々は、あらゆるところを探してみた。1-18-4-29そして、祈祷書に感嘆したり、あらゆる家具のなかをさがしてみたり、そして、富めるスパダが、その伯父のなかでももっとも貧しかったことに一驚（いっきょう）を喫（きっ）した。1-18-4-30宝といってはなにもない。1-18-4-31あったとしても、それは書庫と実験室のなかの学問上の富だけだった。1-18-4-32それで全部。1-18-4-33セザールと法皇とは、捜索に捜索をかさね、間諜（かんちょう：スパイ）までつかった。1-18-4-34だが、何もなかった。1-18-4-35あったとしても、ほんのわずかなものだけ。1-18-4-36貴金属類およそ千エキュ、それに貨幣が同じ額ほど。 1-18-4-37ただし甥には、家に帰りつくなり、妻にこう言いのこすだけの余裕があった。1-18-4-38『伯父さんの書類を探してみろ、ほんとの遺書が出てくるはずだ』。 1-18-4-39この言葉によって、遺族の人々は、あの位高い人々が試みたのより、さらにい、熱心に捜索してみた。1-18-4-40だが、それもまったく徒労だった。1-18-4-41館の背後には、建物が二つと葡萄園が一つ残っていた。1-18-4-42だが、当時にあっては、不動産の値は、ほとんど言うに足りないものだった。1-18-4-43この二つの建物と葡萄園とは、貪婪（どんらん）な法皇とその息子から問題にされず、そのまま家族に残された。 1-18-4-44それから何年かの月日が流れた。1-18-4-45法皇は、人も知るように、過失によって毒死をとげられた。1-18-4-46彼と同時に毒にやられたセザールは、肌が蛇のようになり、毒の残した斑点が、虎の皮のように皮膚の面を変えただけで、命ばかりは助かった。1-18-4-47やがて彼は、ローマから逐（お）われ、歴史にも記されていない夜の町での乱闘で、誰の手にかかってともわからずに命を落とした。 1-18-4-48法皇が死に、その子が逐われたあとで、スパダ家は、ふたたび枢機員時代の隆盛に復（ふく）するだろうと思われていた。1-18-4-49ところが、そんな気色（きしょく）は見えなかった。1-18-4-50スパダ一家（いっか）は、くらし向きのほどもおぼつかなかった。1-18-4-51陰惨な事件は、そのまま永遠の秘密に包まれていた。1-18-4-52そして、父にもまさる腕利（うでき）きのセザールが、二人の枢機員の財産を法皇の手から捲きあげたという噂だった。1-18-4-53わしは、ここで二人といったが、それは、あの枢機員ロスピリオーシのほうも、なんの警戒もしなかったため、根こそぎ裸にされてしまったからだ。1-18-4-54どうだ、」と、ファリアは微笑を浮かべながら言った。1-18-4-55「これまでの話は、べつにでたらめとも思われまいが？」。

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引用者：2016/5/11　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書