１８（１）わしの宝

1-18-1-1翌朝、ダンテスが司祭の室にはいって行ったとき、司祭は平静な顔つきで腰かけていた。1-18-1-2そして、監房の狭い窓を通して流れこむ日の光の下に、そちらだけしかきかなくなった左の手で、一片（いっぺん）の紙を開いていた。1-18-1-3紙は、長いあいだ細く巻かれていたために、巻物の「くせ」がついたか、拡げようとしても、とかく巻きもどりを見せていた。1-18-1-4司祭は、それを無言（むごん）のままでダンテスに示した。 1-18-1-5「なんです？」と、ダンテスがたずねた。1-18-1-6「しっかり見るがいい」と、司祭は微笑を浮かべながら言った。1-18-1-7「しっかりこの眼で見ていますが」と、ダンテスが言った。1-18-1-8「が、見えているのは半分（はんぶん）こげた紙だけで、その上に変なインキでゴチック体（たい）の字が書いてあります」。1-18-1-9「この紙はな、」とファリア司祭は言った。1-18-1-10「すっかり試験ずみのあなたのことだ、いまはなんでも打ち明けられるが、この紙はな、これはわしの宝なのだ。1-18-1-11そして、今日からは、その宝のなかばがあなたの物になるわけなのだ」。 1-18-1-12冷たい汗が、思わずダンテスの額（ひたい）の上を流れた。1-18-1-13今日までというもの、それはなんと長い年月（としつき）であったことか。1-18-1-14彼は、この司祭が気違いだという取沙汰（とりさた）の原因をなした宝のことを、つとめて司祭と話すことを避けていた。1-18-1-15彼は、もって生まれた細かい心づかいから、そうした痛ましい響きをたてる絃（げん：楽器に張られた音を出す糸）には触れずにいたいと思っていた。 1-18-1-16いっぽう、ファリア司祭のほうでも、それについて、なに一言（ひとこと）語らなかった。1-18-1-17彼は、老人の沈黙を、理性への復帰と考えていた。1-18-1-18しかるに今日、ああした恐ろしい発作（ほっさ）のあとで、「ふと」ファリア司祭の唇を洩れた言葉は、まさに重大な精神錯乱のはじまりでもとでもいうように思われた。1-18-1-19「あなたの宝？」と、ダンテスは口ごもった。1-18-1-20司祭は微笑した。 1-18-1-21「そうなのだ。1-18-1-22いろいろな点から考えて、あなたはりっぱな心をお持ちの方だ。1-18-1-23そして、あなたが顔色を変え、あなたが見ぶるいされたのを見て、わしはいま、あなたがどんなことを思っておいでかがわかるのだ。1-18-1-24安心されるがいい。1-18-1-25わしは気違いではない。1-18-1-26その宝は、ダンテス君、たしかに在る。1-18-1-27もし、それがわしの手に入らないなら、それをあなたの手に入れさせたいのだ。 1-18-1-28みんなは、わしを気違いだときめてしまった。1-18-1-29そして、誰一人わしのいうことに耳を貸さず、また信じてくれようともしないのだ。1-18-1-30だが、わしの気違いでないことを知っているあなたにだけ、聞いてほしいと思うのだ。1-18-1-31そうした後で、信じてよいと思ったら、わしを信じてくれるがいい」。1-18-1-32≪やれやれ≫と、ダンテスは心のうちにつぶやいた。1-18-1-33≪いよいよ病気の再発だ！1-18-1-34おれは、このうえこうした不幸に出会わなければならなかったか≫。1-18-1-35そして、今度は高い声で、「どうです、」と、司祭に向かって言った。 1-18-1-36「発作でお疲れになったでしょう。1-18-1-37少しおやすみになりませんか？1-18-1-38そのお話は、あしたうかがうことにして、今日はただ看病させていただきます。1-18-1-39それに、」と微笑しながら言葉をつづけて、「そうした宝のことなんか、そう差し迫ったことでもないでしょうし」。1-18-1-40「とても差し迫ったことなのだ、ダンテス君！」と老人は答えた。1-18-1-41「あした、あさって、第三の発作が起こらないと誰に言えよう。1-18-1-42そうなったうえは万事休す（ばんじきゅうす）だ！1-18-1-43わしは十人の家族を仕合せにするほどのあの富が、わしを「しいたげ」た人々の手にははいらないであろうことを考えて、たびたび苦（にが）い喜びの気持といったようなものを味わった。 1-18-1-44それを、さも復讐のように思ってな。1-18-1-45わしはその考えを、牢獄の夜、この囚（とら）われの身に絶望しながら、ゆっくり味わってみたものだった。1-18-1-46だが、わしはいま、あなたを通して世間（せけん）をゆるし、あなたが、年も若く春秋（しゅんじゅう）に富んだあなたが、こうした事実のことを知ったうえ、このさきどれほど幸福になれるだろうということを考えたのだ。1-18-1-47そして、手遅れになるのを恐れているのだ。1-18-1-48埋もれているあれほどの富を、あなたほどの人に頼めなくなりはしまいか、わしはそのことを恐れているのだ」。1-18-1-49ダンテスは顔をそむけながら溜息をついた。

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引用者：2016/5/11　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書