１４（１）検察官の巡視

1-14-1-1ルイ十八世復位（ふくい）ののちおよそ一年ばかりして、刑務（けいむ）検察官（けんさつかん）の巡視（じゅんし）がおこなわれた。1-14-1-2ダンテスは、自分の牢のなかにあって、その準備のための物音（ものおと）、さまざまなきしみを耳にした。1-14-1-3上ではかなり大きな音をたてていながら、こんな下にいると、夜のしずけさのなかで蜘蛛（くも）が糸をかけ、牢の天井（てんじょう）に一時間かかってたまる滴（しずく）が時をきめて落ちる音を聞くことのできるような囚人の耳でないかぎり、それはほとんど聞き取れないほどの響きだった。

1-14-1-4彼は、さては生きている人間どもの世界に、なにか変わったことが起こったなと推察（すいさつ）した。1-14-1-5もうこの墓穴（ぼけつ）に住むことになってからずいぶん久しくなることなので、彼には、自分がもう亡者（もうじゃ）ででもあるかのように思われていた。1-14-1-6検察官は、部屋（へや）、監房（かんぼう）、暗牢（あんろう）などを一つびとつ見てまわった。1-14-1-7そして、幾人（いくにん）かの囚人に質問（しつもん）をかけた。1-14-1-8それらの囚人は、柔順（じゅうじゅん）さ、というよりむしろ愚（おろ）かしさによって、監獄から目をかけられている連中だった。

1-14-1-9検察官は、食物はどうか、なにか申し立てるこうおはないか、というようなことをたずねてまわった。1-14-1-10みんなは、申し合わせたように、食物（しょくもつ：たべもの）がとてもひどいこと、自由にしてもらいたいことなどを申し立てた。1-14-1-11検察官は、そのほか何か申し立てることはないかとたずねた。1-14-1-12だが、みんなは頭を振ってみせた。1-14-1-13囚人にとって、自由を求めること以外、ほかになんの願いがあるだろう？1-14-1-14検察官は微笑（びしょう）を浮かべ、ふり返りながら典獄（てんごく：刑務所長の旧称）に言った。

1-14-1-15「いったいどうしてこんな無益（むえき）な巡回（じゅんかい）を仰（おお）せつかったのかな。1-14-1-16囚人の一人に会いさえしたら、その百人に会ったも同じこと、一人に聞きさえしたら百人に聞いたもおんなじことだ。1-14-1-17食物が悪い、そして自分は『むじつ』である。1-14-1-18いつでもおんなじことばかりだ。1-14-1-19まだほかに誰かいるかね？」。1-14-1-20「ええ、危険性のある、と申しましょうか、狂人（きょうじん）ともうしましょうか、暗牢に入っている囚人がおります」。

1-14-1-21「では、」と検察官はひどく疲れきったようすで言った。1-14-1-22「やれるところまで務（つと）めをはたそう。1-14-1-23暗牢までおりて行くかな」。1-14-1-24「ちょっと、」と、典獄が言った。1-14-1-25「せめて兵士を二人だけでもこさせることにいたしましょう。1-14-1-26囚人というやつは、人生（じんせい）に飽（あ）きていまして、早く死刑の宣告を受けたいとでも申しましょうか、ときどきなんの役にもたたない絶望的な所業（しょぎょう）をやってのけるものでして。1-14-1-27どんな災難（さいなん）にお遭（あ）いにならないともかぎりませんから」。

1-14-1-28「では、君（きみ）の用心（ようじん）に任（まか）せるとしよう」と、検察官が言った。1-14-1-29兵士が二人（ふたり）呼（よ）ばれた。1-14-1-30そして、一行（いっこう）は足をふみ入れたばかりで、目や、鼻（はな）や、呼吸（こきゅう）などを一時（いっとき）に『やられ』ずにはいられないような、臭（くさ）い、じめじめした階段を通って、下のこうへおりて行った。1-14-1-31「おお！」。検察官は、降（お）り口（ぐち）の途中（とちゅう）に立ち止まって声をあげた。1-14-1-32「こんなところに、いったい何ものが暮（く）らしているのだ？」。

1-14-1-33「きわめて危険な謀反人（むほんにん）でございまして。1-14-1-34そして、なんでもやりかねない人間として、とくに注意されている人物（じんぶつ）でして」。1-14-1-35「一人（ひとり）かね？」。1-14-1-36「もちろんです」。
1-14-1-37「いつからいるんだ？」。
1-14-1-38「かれこれ一年になりましょう」。
1-14-1-39で、はいったときから、すぐにこの暗牢に入れられたのかね？」。
1-14-1-40「いいえ、その男のところへ食事を運（はこ）ぶ獄丁（ごくちょう：看守）をころそうとしたことがありましたから」。
1-14-1-41「その獄丁を殺そうとしたんだね？」。
1-14-1-42「はい。いま足もとを照らしてくれているこの男でございます。1-14-1-43なあ、アントワーヌ？」と、典獄がたずねた。
1-14-1-44「わたしを殺そうといたしました」と、獄丁が答えた。
1-14-1-45「そうか！ではその男は気違いなんだな？」。
1-14-1-46「それどころか、まったくの悪魔でございますよ」と、獄丁が答えた。
1-14-1-47「では、一つ上申（じょうしん）しておくか？」と、検察官が典獄にたずねた。
---獄丁に対する殺人未遂について。
 
 
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引用者：2016/6/29　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書