１２（４）不幸の予言者

1-12-4-1「そうだ、」と、ノワルティエは無頓着（むとんちゃく）なようすで身のまわりを見まわしながら言った。1-12-4-2「そうだ、その男が知らなければさ。1-12-4-3ところがもう知ってしまっている。1-12-4-4そこで、」と、彼は微笑（びしょう）しながら言葉をつづけた。1-12-4-5「これから顔と衣裳（いしょう）を取り換（か）えにかかる」。1-12-4-6そう言ったとおもうと、彼は立ち上ってフロックとネクタイをかなぐり捨て、息子（むすこ）の身じまいに必要な品がすっかり揃（そろ）えてあるテーブルのほうへ歩いて行って、剃刀（かみそり）をとりあげ、顔にシャボン（せっけん）を塗り、いかにも落ちついた手つきで、警察にとって、あれほど貴重な手がかりだった危険な頬（ほお）鬚（ひげ）をごそりと剃（そ）り落とした。 1-12-4-7ビルフォールは恐怖と感歎（かんたん）の思いで見まもっていた。1-12-4-8頬髯が剃り落とされると、髪（かみ）の毛（け）の形を変えた。1-12-4-9黒いネクタイの代りには、開いた行李（こうり：日本なら、竹・柳などを編んで作った、衣類などの収納や運搬に用いる箱型の入れもの：今ならスーツケース）の上側にあった色ネクタイを一本とった。1-12-4-10青いボタンのついたフロックの代りには、栗色（くりいろ）の、ひらいた形のビルフォールのフロックを着た。 1-12-4-11そして、鏡（かがみ）の前に行き、ビルフォールの鍔（つば）の捲（ま）きあがった帽子をかぶって、それがうまく似合（にあ）ったのに満足らしいようすだった。1-12-4-12そして、籐（とう）のステッキはそのまま暖炉（だんろ）の隅（すみ）に残し、小さな竹の細枝（ほそえだ）を、節（ふし）くれ立った手の中で鳴（な）らしてみた。1-12-4-13それは、小粋（こいき）な検事（けんじ）にとって、瀟洒（しょうしゃ：すっきりとしてあかぬけしているさま）な風采（ふうさい）を取りつくろうのに役だつところのものだった。 1-12-4-14「どうだ！」。変装（へんそう）がすっかりできあがると、あっけにとられている息子のほうをふり返って言った。1-12-4-15「どうだ、これでも警察にわかると思うか？」。1-12-4-16「いや、」と、ビルフォールはどもりながら言った。1-12-4-17「せめてそうあってほしいと思いますよ」。1-12-4-18「そこでジェラール、」とノワルティエは言葉を続けた。1-12-4-19「ここへ置いてく品々（しなじな）は、お前よく気をつけて人目（ひとめ）に触（ふ）れないように処分してもらいたい」。 1-12-4-20「大丈夫（だいじょうぶ）です」と、ビルフォールは言った。1-12-4-21「そうだ、そうだ！1-12-4-22たしかにお前の言ったのはもっともだった。1-12-4-23お前はたしかにわしの生命（せいめい）を助けてくれた。1-12-4-24だが、安心（あんしん）するがいい。1-12-4-25近々（ちかぢか）恩がえしをするからな」。1-12-4-26ビルフォールは首を振って見せた。 1-12-4-27「そう思わないのか？」。1-12-4-28「お考えちがいにしたいですな」。1-12-4-29「お前、も一度王に会うか？」。1-12-4-30「たぶん」。1-12-4-31「お前は、王に予言者（よげんしゃ）として見られたくないか？」。1-12-4-32「不幸の予言者というやつは、宮中（きゅうちゅう）ではどうも有りがたがられないものですから」。1-12-4-33「それはそうだな。1-12-4-34だが、そのうち、その予言者の言ったことが当っていたことになるだろうよ。1-12-4-35しかも、第二王政復古（おうせい・ふっこ：ナポレオンが敗れ、ルイ十八世が王位に返り咲くこと）でもやってきてみろ。1-12-4-36お前は大人物（だいじんぶつ）として通用するぞ」。 1-12-4-37「ところで、なんと王さまに申しあげるのです？」。1-12-4-38「こう言うのだ。1-12-4-39『陛下、陛下はフランスの状態、都市の思想、軍隊の精神などについてまったく騙されて（本は欺されて）おいでです。1-12-4-40パリでのあなたがコルシカの鬼と呼んでおいでのその男、ヌベルではいまでも王位を奪った者と呼ばれておりますその男は、すでにリオンではボナパルトと、グルノーブルでは皇帝と呼ばれております。1-12-4-41あなたは彼が追跡（ついせき）され、駆（か）り出され、遁走（とんそう）していると思っておいでですが、彼は、その持って帰ってくる旗（はた）じるしの鷲（わし）のように、えらい早さで進んでおります。 1-12-4-42餓（う）えに瀕（ひん）し、疲（つか）れにつかれ、脱走（だっそう）しかけていると陛下が信じておいでの兵卒（へいそつ）どもは、まるで雪だるまのようにどんどん数を増しております。 1-12-4-43陛下、お逃げ遊ばせ。1-12-4-44フランスをその真性（しんせい：本物）な主（あるじ）にお返し遊ばせ。1-12-4-45それを金銭（きんせん）で買ったりなさらずに、それを勝ち得た（本は獲ち得た）ものの手にお返し遊ばせ。1-12-4-46お逃げ遊ばせ。1-12-4-47というわけは、なにも陛下の御身（おんみ）に危険の迫ることを恐れてのことではありません。1-12-4-48敵はきわめて強いのです。さだめし情（なさ）けをかけてくれましょう。1-12-4-49ただし、聖王ルイの御子孫（ごしそん）にとって、アルコレ、マランゴ、アウステルリッツの勝利者（ナポレオン）から命（いのち）を助けておもらいになったとあっては、おそらく御威光（ごいこう）にさわりましょう』と。

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引用者：2016/6/21　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書