１０（４）ノワルティエの息子

1-10-4-1「陛下、陛下は御存じないこととばかり思っておりましたので」。1-10-4-2「知っているとも、知っているとも。1-10-4-3ブラカス君、あの男は、まじめで、教養があって、ことに大きな望みを持っている男なのだ。1-10-4-4なんだ、君だってあれの父親の名前は知っているだろう？」。1-10-4-5「父親でございますと？」。 1-10-4-6「そう、ノワルティエだ」。1-10-4-7「ジロンド党のノワルティエ？1-10-4-8元老院（げんろういん）議員のノワルティエでございますか？」。1-10-4-9「あれさ」。1-10-4-10「陛下は、あんな男の息子（むすこ）を御採用（ごさいよう）になったのでございますか？」。1-10-4-11「ブラカス君（くん）、君（きみ）にはわかっていないのだよ。1-10-4-12わたしは、ビルフォールが大望（たいもう）のある男だと言った。1-10-4-13自分の成功のためには、何者（なにもの）を犠牲（ぎせい）にしても顧みない男なのだ。1-10-4-14父親でさえも、だ」。 1-10-4-15「では陛下、その男を呼ばせましょうか？」。1-10-4-16「すぐに呼びたまえ。1-10-4-17どこにいる？」。1-10-4-18「下の馬車（ばしゃ）のなかで待っているはずでございます」。1-10-4-19「つれてきたまえ」。1-10-4-20「行ってまいります」。1-10-4-21侯爵は青年のような元気さで出て行った。1-10-4-22王にたいする忠誠の熱意は、彼に二十歳の若さを与えていた。 1-10-4-23ルイ十八世は、一人残って、開かれたままのホラティウスに目をうつしながら、　　Ｊｕｓｔｕｍ　ｅｔ　ｔｅｎａｃｅｍ　ｐｒｏｐｏｇｉｔｉ　ｖｉｕｒｍ（心正（こころただ）しく、その志（こころざし）毅然（きぜん）たるもの）とつぶやいた。 1-10-4-24ブラカス氏は、おりて行ったときと同じほどの速（はや）さで上（のぼ）ってきた。1-10-4-25だが、控室（ひかえしつ）にさしかかった彼は、王の御威光をふりまわさなければならなかった。1-10-4-26ビルフォールの埃（ほこり）だらけな着物（きもの）、宮中（きゅうちゅう）の服装とはぜんぜんあわないその服装は、ブラカス氏の神経を刺激（しげき）した。1-10-4-27彼はこの青年が、こんな服装のままで王の面前（めんぜん）に出ようとするのを見てひどく驚いた。 1-10-4-28だが侯爵は『王さまの御意（ぎょい）』という鶴（つる）の一声（ひとこえ）であらゆる難関（なんかん）を切り抜けた。1-10-4-29そして、規律にたいして忠実（ちゅうじつ）から、式部官（しきぶかん）がなおも何かと世話（せわ）をやこうとするのを尻目（しりめ）にかけて、ビルフォールは王宮のなかに招（しょう）じ入れられた。1-10-4-30王はさっき侯爵が出て行ったときと同じところに腰をおろしていた。1-10-4-31扉を開けると、ビルフォールは王の真正面（ましょうめん）に立っていた。1-10-4-32彼はまず立ち止った。 1-10-4-33「はいりたまえ、ビルフォール君」と、王は言った。1-10-4-34「はいりたまえ」。1-10-4-35ビルフォールは敬礼した。1-10-4-36そして幾歩（いくほ）か前へ進み出て、王からおたずねのあるのを待っていた。1-10-4-37「ビルフォール君、」と、ルイ十八世はつづけて言った。1-10-4-38「ここにおられるブラカス侯爵の言葉では、君が重大なことを知らせにきたということだが」。 1-10-4-39「陛下、侯爵のおっしゃったとおりでございます。1-10-4-40そして、陛下御自身にもそれをお認めいただきたいと存じます」。1-10-4-41「まず第一に、何よりさきに、君の考えによると、その不祥事（ふしょうじ）とは、わたしがいままでに聞かされたのと同じほど重大なものと思うかね？」。1-10-4-42「陛下、わたくしは、それが切迫（せっぱく）したものと考えております。1-10-4-43しかし、わたしが心くばりをいたしておきましたので、まだ取り返しがつかなくなってはいないように思われます」。 ---ダンテスの持っていたエルバ島の大元帥からノワルティエ宛ての密書を焼き捨てたこと。 1-10-4-44「なんならゆっくり話して聞かせたまえ」と、王は言った。1-10-4-45ブラカス氏をして顔色を変えさせ、ビルフォールをして声を変えさせているこの一大事（いちだいじ）に、王もどうやら伝染（でんせん）したというようだった。1-10-4-46「話したまえ、最初からはじめたまえ、わたしはどんなことにも順序を尊（たっと）ぶからね」。1-10-4-47「陛下、」と、ビルフォールは言った。 1-10-4-48「わたくしは陛下に忠実な御報告を申しあげようと思っております。1-10-4-49しかし、ただ今とても頭が乱れておりますので、言葉に不明な点がございましたら御容赦（ごようしゃ）願います」。1-10-4-50こうした意味の前置きでちょっと気を引いてみたあとで、王のほうを一瞥（いちべつ）したビルフォールは、この尊い聴き手の寛厚（かんこう）さに安心して、やおら語り出した。 1-10-4-51「陛下、あわててパリへまいりましたわけは、じつは管掌（かんしょう）事務（じむ）を取り扱っておりますあいだに、いつもその辺（へん）の下層（かそう）社会や軍隊などで企（たくら）まられておりますような、くだらない、大して恐るるに足（た）りない陰謀（いんぼう）沙汰（ざた）とちがいまして、それこそ真（まこと）の反逆（はんぎゃく）、王位（おうい）をおびやかすような嵐の兆（きざし）を発見（はっけん）いたしましたからで、そのことを陛下のお耳に入れたかったからでございます。1-10-4-52陛下、ボナパルトは三隻の船を準備いたしております。 1-10-4-53彼はなにやら計画いたしております。1-10-4-54おそらくばかげた計画ではございましょうが、ばかげたにいたしましても、恐るべきことにちがいございません。1-10-4-55今ごろは、おそらくエルバ島から出発したはずでございます。1-10-4-56そこからどこへ行くつもりか、それは存じません。1-10-4-57しかし、ナポリ、トスカナの海岸（かいがん）、あるいはフランスにさえ上陸しようとしているらしく思われます。1-10-4-58陛下も御存じのことと思いますが、じつはエルバ島の君主（ナポレオン）は、まだイタリー、フランスと関係を捨てないでおりますので」。

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引用者：2016/6/19　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書