１０（２）警視総監の情報

1-10-2-1「さようでございます、陛下、ダンドレ男爵（だんしゃく）閣下（かっか）でございます」と、廷臣（ブラカス）が答えた。 ---爵位：もと五等爵（公・候・伯・子・男） 1-10-2-2「そうだった。1-10-2-3なるほど男爵だった」と、ルイ十八世はかすかな笑（えみ：わらい）を浮かべながら言った。1-10-2-4「はいりたまえ。1-10-2-5そして君が最近ボナパルトについて知っていることを、侯爵に話してあげてくれたまえ。1-10-2-6どんなに重大なことがあろうと、事態をわたしたちにかくしたりしてはいけない。1-10-2-7さあエルバ島は一つの噴火山（ふんかざん）かな、そこから、炎々（えんえん）天をつんざく戦いが飛び出してきそうかな、 ｂｅｌｌａ，ｈｏｒｒｉｄａ　ｂｅｌｌａ？（戦い、しかも恐ろしき戦い？）」。 1-10-2-8ダンドレ氏は、安楽椅子（あんらくいす）の背に両手を掛けながら、優雅に体を揺（ゆ）すっていた。1-10-2-9「陛下は昨日の報告を御覧くださいましたか？」。1-10-2-10「見たよ、見たよ。だが、いま侯爵に探してもらったがわからないのだ。1-10-2-11その報告のなかのことをひとつ話してあげてくれないか。1-10-2-12ボナパルトが島のなかでやっていることを、くわしく話してあげてくれたまえ」。 1-10-2-13「フランス臣民（しんみん）は、近くエルバ島からわたくしどもの手にとどきました報告を見て、たしかに拍手（はくしゅ）することになりましょう。1-10-2-14ボナパルト・・・・」。1-10-2-15ダンドレはルイ十八世のほうを見た。1-10-2-16王は、註（ちゅう）を書くのに夢中（むちゅう）になって、首を上げようとさえしなかった。1-10-2-17「ボナパルトは、」と、男爵はつづけて言った。1-10-2-18「ひじょうに退屈（たいくつ）しております。1-10-2-19彼は毎日ポルト・ロンゴンヌの鉱夫（こうふ）どもの働くのを見て暮らしております」。 1-10-2-20「そして気をまぎらすために体を掻（か）いているってね」と、王が言った。1-10-2-21「体を掻くのでございますか？」と、侯爵が言った。1-10-2-22「なんと仰せになりました？」。1-10-2-23「そうなんだよ、侯爵。1-10-2-24君は忘れたかね。1-10-2-25あの大（だい）偉人（いじん）、あの英雄、半分（はんぶん）神さまのようなあの男は、皮膚病（ひふびょう）に取りつかれて、それに体を食われているんだ。1-10-2-26プルリゴ（『たむし』のことらしい）だ」。1-10-2-27「それだけではございません、侯爵、」と、警視総監はつづけて言った。 マレンゴの戦、オーステルリッツの戦 1-10-2-28「もう少ししますと、あの男はたしかに気違いになりましょう」。1-10-2-29「気違いに？」。1-10-2-30「気違いです。1-10-2-31頭の働きが弱くなっております。1-10-2-32あるときはさめざめと涙を流す、かと思うとあるときは大声をあげて笑いこける。1-10-2-33また別なときには、海岸に出て海の中に石を投げて時を過しますが、石が五つ（いつつ）六つ（むっつ）水を切りますと、またもやマレンゴの戦いやオーステルリッツの戦いに勝ちでもしたように、とても得意（とくい）がります。1-10-2-34いかがです、おわかりになりましょう、気違いの『しるし』は以上のとおりなので」。 1-10-2-35「それは、聡明の『しるし』かもしれないな、男爵、聡明の」と、ルイ十八世は笑いながら言った。1-10-2-36「昔の偉い大将たちは、海に石を投げては運動をしたというからね。1-10-2-37プルタルクを見たまえ、あのなかのアフリカ人スキピオ伝を」。 1-10-2-38ブラカス氏は、この二人の無頓着（むとんちゃく）さの挟撃（きょうげき）を受けて思い沈んでいた。1-10-2-39ビルフォールは、自分の秘密の利益全部をさらわれないため、じつは全部の話をきかせなかったのだった。1-10-2-40だが、それだけでも、ブラカス氏をして深い不安を抱かせるのに充分だった。1-10-2-41「おい、おい、ダンドレ君」と、ルイ十八世は言った。1-10-2-42「ブラカス君にはまだ納得できないのだ。1-10-2-43ボナパルトの改宗（かいしゅう）のことを聞かせてあげてくれたまえ」。1-10-2-44警視総監は頭を下げた。 1-10-2-45「ボナパルトの改宗！」。1-10-2-46侯爵は、王とダンドレとが、まるでウェルギリウスに出てくる二人の牧人（まきびと：ぼくじん）といったように、かわるがわる言葉のやりとりをしているのをながめながら、こう叫んだ。1-10-2-47「ボナパルトが改宗したのですか？」。1-10-2-48「絶対にです」。1-10-2-49「正しい主義に向いたのだよ。1-10-2-50男爵、説明してあげてくれたまえ」。 1-10-2-51「侯爵、こうしたわけです」と、総監はきわめて『まじめ』なようすで語り出した。1-10-2-52「つい先ごろのこと、ナポレオンは閲兵（えっぺい）をやりました。1-10-2-53すると、彼のいわゆる古兵（こへい：ふるつわもの）のニ三人（に・さん・にん）がフランスへ帰りたいと申したてたのでした。1-10-2-54すると、彼はそれらの兵士に暇（ひま）をやりながら、これから王さまにお仕え申すようにと訓戒（くんかい）を与えたということです。1-10-2-55これが彼自身の口から言われた言葉なので。1-10-2-56侯爵、きわめてたしかなことなのでして」。 1-10-2-57「どうだい、ブラカス君、どう思うね？」。1-10-2-58王は、勝ち誇ったように、前に開かれた部厚な注釈を調べる手をちょっと止めながら言った。

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引用者：2016/6/19　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
ささくら修道会・必読書