１（４）船主の好意

１−１（４） 1-1-4-1「どうだいダンテス君。体があいたかね？」と、船主がたずねた。1-1-4-2「ええ」。1-1-4-3「わりに手間（てま）が取れなかったな」。1-1-4-4「ええ。税関の役人に積荷の表を渡してやりました。1-1-4-5貨物預所（かもつ・あずかりしょ）のほうは水先（みずさき）案内といっしょに男をよこしてきましたので、それに書類を渡しました」。1-1-4-6「では、もうここには用がないというわけだな？」。1-1-4-7ダンテスは、すばやくあたりを見渡した。1-1-4-8「ええ、すっかりすませておきました」。 1-1-4-9「では、いっしょに飯（めし）を食（く）いにこないかね？」。1-1-4-10「しつれいですがモレルさん、わたしは『い』の一ばんに父に会いに行きたいので。1-1-4-11お志（こころざし）はうれしく存じますが、父にも感謝しなければなりませんから」。1-1-4-12「もっともだ。いかにももっともだ。1-1-4-13そうそう、君は親孝行（おやこうこう）だったからな」。1-1-4-14「あの・・・・」と、ダンテスはちょっとためらいながらたずねた。1-1-4-15「お聞きおよびのところでは、父は達者（たっしゃ）でおりましょうか？」。 1-1-4-16「お会いこそしないが、お達者のことと思うが」。1-1-4-17「そうでした、父はいつも狭い部屋のなかから一歩（いっぽ）も外（そと）にでませんから」。1-1-4-18「それから考えて、お父さんは君の留守（るす）中、べつに何の不自由もなさらなかったと言えるだろう」。1-1-4-19ダンテスは微笑（びしょう）してみせた。1-1-4-20「父は誇りをもっております。1-1-4-21何か不自由なものがあったにしても、神さまだけは別ですが、世間のどなたにもお願いするようなことはいたしますまい」。 1-1-4-22「よし、では、その『い』の一ばんの訪問がすんだら、今度は家へきてくれるね？」。1-1-4-23「も一つお許しを願わなければなりません。1-1-4-24じつはその訪問のあとで、も一つ、同じくらい心にかかる訪問をしなければなりませんので」。1-1-4-25「そうだった、ダンテス君。1-1-4-26わたしはすっかり忘れていたが、カタロニヤ村には、お父さんと負けず劣らず君の帰りを待っている人がいたんだな。1-1-4-27あのべっぴんのメルセデスさんが」。1-1-4-28ダンテスは微笑を浮かべた。 1-1-4-29「いやなに、」と船主は言った。1-1-4-30「あの子がファラオン号の消息（しょうそく）を三度まで聞きにきたことにふしぎはないさ。1-1-4-31なあ、ダンテス君、君もめでたしというわけだよ。1-1-4-32美しい恋人を一人もっているうんだから」。1-1-4-33「あれは恋人ではありません」と、青年はきっぱり言った。1-1-4-34「あれはわたしの許婚（いいなずけ）です」。1-1-4-35「双方（そうほう）掛けもちということもあるからな」と、笑いながら船主が言った。1-1-4-36「しかし、わたしたちはそうではありません」と、ダンテスが答えた。1-1-4-37「さあさあ、」と、船主は言葉をつづけた。 1-1-4-38「もうこのうえ引きとめたりはしないからね。1-1-4-39いろいろ仕事をしてくれたんだ。1-1-4-40これからは安心して自分のことをするがいい。1-1-4-41どうだ、金はいらないかね？」。1-1-4-42「ええ、航海中の俸給（ほうきゅう）をすっかり持っておりますから。1-1-4-43かれこれ三ヶ月の給料があります」。1-1-4-44「なかなか几帳面（きちょうめん）だな、エドモン君」。1-1-4-45「なにしろ貧乏な父親がおりますので」。1-1-4-46「そうそう、君はなかなかの孝行（こうこう）ものだった。1-1-4-47さあ、お父さんに会いに行きたまえ。1-1-4-48わたしも息子（むすこ）が一人（ひとり）いる。1-1-4-49三月（みつき）も旅に出ていたあとで、誰かに引きとめられでもしようものなら、わたしにしたってきっと恨（うら）むにちがいないから」。 1-1-4-50「では失礼させていただけますか？」と、青年は頭をさげて言った。1-1-4-51「いいとも、ほかに話すことがなかったら」。1-1-4-52「それだけでございます」。1-1-4-53「あのルクレール船長から、死ぬときに、何かわたし宛ての手紙を頼まれはしなかったかね？」。1-1-4-54「お書きになろうにもなれなかったと思います。1-1-4-55あ、それで思い出しましたが、二週間ばかり休暇を取らせていただきたいと思いますが」。1-1-4-56「御婚礼かい？」。1-1-4-57「まずそのためでございます。1-1-4-58それからパリへ行きたいと思いまして」。 1-1-4-59「いいとも、いいとも！1-1-4-60好きなだけ休むがいいさ。1-1-4-61船の積荷をおろすだけでも十分（じゅうぶん）六週間はかかるだろうし、三ヶ月は船を出すこともできまいから。1-1-4-62だが三ヶ月したら帰ってきてもらわなければな」。1-1-4-63 こう言いながら、船主は青年の肩をたたきながら言葉を続けて、「船長がいないでは、ファラオン号も出帆（しゅっぱん）できないというわけだから」。

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引用者：2016/5/10　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義