５０（５）ペヌロンがトリエストで見かけた人物(じんぶつ)

4-50-5-1「わからない人（ひと）とおっしゃいますか？4-50-5-2では、あなた方（がた）にこういうことをした人が、まだわかっておいでにならないのですか？」。4-50-5-3「そうなのでございます。4-50-5-4不幸（ふこう）にしてまだその方（かた）の手（て）を握（にぎ）ることができないでおります。4-50-5-5しかも、わたしたちは、主（しゅ）に、どうかそういうお恵（めぐ）みをお与（あた）えくださいとお願（ねが）いしていたのですが」と、マクシミリヤンが言った。4-50-5-6「しかし、この事件（じけん）のなかには、わたしたちにはまだわからない或（あ）るふしぎなことがございました。4-50-5-7すべては、魔法使い（まほうつかい）の手によるとでもいったような、目（め）に見（み）えない、力強（ちからづよ）い手によって導（みちび）かれていたのでございます」。 4-50-5-8「おお！」と、ジュリーは言った。4-50-5-9「わたくしは、そのお方の手にふれたこの財布（さいふ）に接吻（せっぷん）できるように、いつかそのお方の手に接吻できたらという望（のぞ）みを一日（いちにち）たりとも失（うし）っておりません。4-50-5-10いまから四年前（よねんまえ）でした。ペヌロンはトリエストにおりました。4-50-5-11ペヌロンと申（もう）しますのは、伯爵（はくしゃく）さま、さっきごらんになった、あの鋤（すき）を手（て）にした律儀者（りちぎもの）の水夫（すいふ）のことでございます。4-50-5-12あの男（おとこ）は、副水夫頭（ふくすいふかしら）から植木屋（うえきや）になったのでございます。

4-50-5-13ペヌロンが、トリエストにおりましたとき、波止場（はとば）で一人（ひとり）のイギリス人（じん）が、ヨットに乗（の）って出（で）かけようとするのを見（み）かけたのでございます。4-50-5-14そして、それが、あの１８２９年６月５日に父（ちち）のところへ見（み）えた方（かた）、９月５日にこの手紙（てがみ）をわたくしのところにおよこしになった方（かた）にちがいないと申しておりました。4-50-5-15あの男（おとこ）は、たしかにおなじ方だったと申しておりました。4-50-5-16でも、ついお言葉（ことば）をかけずにしまったのでございました」。 4-50-5-17「イギリス人（じん）！」と、モンテ・クリスト伯は、夢（ゆめ）みるように、そして、たえずジュリーの眼差（まなざ）しを気（き）にしながら言（い）った。4-50-5-18「イギリス人とおっしゃいますか？」。4-50-5-19「ええ、」と、マクシミリヤンが言った。4-50-5-20「そのとき、宅（たく）へローマのトムスン・アンド・フレンチ商会（しょうかい）の代理人（だいりにん）というイギリスの方（かた）がお見（み）えになりました。4-50-5-21そんなわけで、先日（せんじつ）アルベールさんのところで、そのトムスン・アンド・フレンチ商会があなたの取引銀行（とりひきぎんこう）だとうかがいましたとき、わたしはハッと思（おも）いました。4-50-5-22それは、前（まえ）にも申しあげましたように、１８２９年に起（お）こったことなのでございます。4-50-5-23あなたは、そのイギリス人を御存（ごぞん）じではいらっしゃいませんか？」。 4-50-5-24「でも、トムスン・アンド・フレンチ商会は、あなたがたにそんなことをしたことをいつも打（う）ち消（け）していたというお話（はなし）でしたが？」。4-50-5-25「そうなのでした」。4-50-5-26「では、そのイギリス人というのは、あなたのお父（とう）さまから、お父さまのほうでは忘（わす）れておしまいだったのかもしれませんが、なにか御恩（ごおん）になったことがあって、それをお返（かえ）しする機会（きかい）を見（み）つけたのではありますまいか？」。4-50-5-27「ああした場合（ばあい）、どんなことでももっともらしく思われます。4-50-5-28奇蹟（きせき）でさえも」。 4-50-5-29「で、その人（ひと）の名（な）は？」と、モンテ・クリスト伯がたずねた。4-50-5-30「ただ、」と、ジュリーは深（ふか）い注意（ちゅうい）をこめて伯爵（はくしゃく）の顔（かお）を見（み）つめながら言った。4-50-5-31お手紙（てがみ）の下（した）に『船乗（ふなの）りシンドバッド』としか書（か）いておいてくださいませんでした」。4-50-5-32「なるほど、これはあきらかに本名（ほんみょう）ではありませんな。4-50-5-33変名（へんめい：＝偽名：匿名）ですな」。4-50-5-34そして、ジュリーが、前よりも注意深（ちゅういぶか）く自分（じぶん）のほうをながめながら、自分の声（こえ）の調子（ちょうし）を聞（き）きとらえ、それをまとめあげようとしているのに気（き）がつくと、「いかがです、」と、伯爵は言った。 4-50-5-35「それは、どうやらわたしくらいの背（せ）たけの男（おとこ）ではありますまいか？4-50-5-36或（ある）いは、も少（すこ）し高（たか）いかもしれませんが。4-50-5-37わたしよりいくらか痩（や）せ形（がた）で、ネクタイを高（たか）く結（むす）び、ボタンをしっかりかけ、きっちり体（からだ）に合（あ）った服（ふく）をつけて、いつも、鉛筆（えんぴつ）を手（て）にしている？」。4-50-5-38「おお！では、あなたはあの方（かた）を御存（ごぞん）じでいらっしゃいますの？」と、ジュリーは喜（よろこ）びに目（め）を輝（かがや）かしながら声（こえ）をあげた。4-50-5-39「いや、」と、モンテ・クリスト伯は言った。4-50-5-40「ちょっと想像（そうぞう）してみただけのことなので。4-50-5-41わたしは、ウィルモア卿（きょう）という男（おとこ）を知（し）っていました。4-50-5-42やはりそんなふうに親切（しんせつ）をまいて歩（ある）く男でした」。 4-50-5-43「御自分（ごじぶん）のお名前（なまえ）をお知（し）らせにならずに！」。4-50-5-44「妙（みょう）な男で、この世（よ）に感謝（かんしゃ）などというもののあることを信（しん）じていない男（おとこ）でした」。4-50-5-45「まあ！」と、ジュリーは、感（かん）に堪（た）えたような声（こえ）をたてながら両手（りょうて）を合（あ）わせた。4-50-5-46「では、その方（かた）はなにを信（しん）じていらっしゃいますの？」。4-50-5-47「少（すく）なくもわたしの知（し）っていた当時（とうじ）は、なにも信じてはいませんでした」と、モンテ・クリスト伯は言った。4-50-5-48彼（かれ）は、心（こころ）の底（そこ）からのジュリーの言葉（ことば）に、いまはすっかり感動（かんどう）させられていた。4-50-5-49「ですが、どうやらそのあとで、感謝（かんしゃ）というものの存在（そんざい）を信（しん）じさせるようなことが起（お）こったらしいのです」。 4-50-5-50「では、あなたはその方（かた）を御存（ごぞん）じですか？」と、エマニュエルがたずねた。4-50-5-51「おお、もし御存じでしたら、」とジュリーも叫（さけ）んだ。4-50-5-52「ねえ、わたくしどもをその方のところへお連（つ）れいただけましょうか？4-50-5-53その方を見せていただけましょうか？4-50-5-54どこにいらっしゃるのか教（おし）えていただけましょうか？4-50-5-55ねえ、兄（にい）さん、ねえ、あなた、もしわたしたちがあの方をお見つけすることができましたら、あの方は、人の感謝というものがどういうものだか、お信（しん）じにならなければならないようにおなりですわ」。4-50-5-56モンテ・クリスト伯は、目（め）に涙（なみだ）をもよおすのを感（かん）じた。4-50-5-57そして、なおも幾足（いくあし）か客間（きゃくま）のなかを歩（ある）きつづけた。

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ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
この本は、ささくら修道会の必読書
2017/9/18