３６（７）アルベールの ３６（７）アルベールの
| 3-36-7-1まさにその言葉（ことば）どおり、翌日（よくじつ）の九時（くじ）、亭主（ていしゅ）は八着（はっちゃく）から十着（じゅっちゃく）ほどのローマの百姓（ひゃくしょう）の衣裳（いしょう）を持った仕立屋（したてや）を連（つ）れてフランツの室（しつ）にはいってきた。3-36-7-2二人（ふたり）の青年（せいねん）はそのなかから、どうやら各々の体に合いそうな同じ衣裳を二着（にちゃく）選（え）り出した。3-36-7-3そして、亭主に言いつけて、二十メートルばかりのリボンを帽子に縫（ぬ）いつけさせ、それに横縞（よこじま）のはいったはでな色の絹（きぬ）の帯（おび）を二（ふた）つ、よく町の人たちが祭（まつ）りの日に腰（こし）を締（し）めるようなのを手に入れてもらうことにした。 3-36-7-4アルベールは、大急（おおいそ）ぎで、その新しい衣裳が似合（にあ）うかどうかをためしてみた。3-36-7-5それは青『びろうど』の上着（うわぎ）とキュロット、両側（りょうがわ）に刺繍（ししゅう）をした靴下（くつした）、『びじょう（尾錠：バックル）』留（どめ）の靴（くつ）、それに絹（きぬ）のチョッキから成（な）りたっていた。3-36-7-6アルベールは、この美々（びび）しい衣裳をつけるとますます引き立った。3-36-7-7その華奢（きゃしゃ）な腰が帯によって締（し）めあげられ、軽（かる）く横（よこ）に曲（ま）げてかぶった帽子（ぼうし）が肩（かた）の上にリボンの波を投げているのを見ながら、フランツは、これこれの国民（こくみん）は体がりっぱだという場合、それには服装（ふくそう）がかなり重大（じゅうだい）な役目（やくめ）を持っているという事実（じじつ）を認（みと）めないではいられなかった。 3-36-7-8昔（むかし）、はでな長い着物（きもの）を身に着けていた美（うつく）しいトルコ人にしても、現在（げんざい）のようにボタン掛（か）けの青いフロックコートをつけ、まるで葡萄酒（ぶどうしゅ）の瓶（びん）に赤い栓（せん）がついているようなギリシャふうなカロットをかぶっているところは、じつに醜悪（しゅうあく）ではないだろうか？ 3-36-7-9フランツは、アルベールのために喜んでやった。3-36-7-10アルベールもまた、鏡の前に立ちながら、すっかり悦（よろこ）びきっていい気持になっていた。3-36-7-11そんなことをしているところへ、モンテ・クリスト伯爵が訪（たず）ねてきた。3-36-7-12「みなさん、」と、伯爵が言った。3-36-7-13「遊び友だちを持つということはいかにも愉快（ゆかい）なことですが、自由（じゆう）というのはそれにもまして愉快なものです。3-36-7-14で、じつは今日（きょう）のため、またあとの幾日（いくにち）かのため、昨日（きのう）の馬車を自由にお使いくださるように申しあげにまいりました。 3-36-7-15亭主からもお耳に入れたと思いますが、わたしはここに三四台（さん・よん・だい）持っておりますから、こちらは少しも不自由いたしません。3-36-7-16お遊びにおいでになるなり、或いはお仕事にお出かけになるなり、どうか御自由にお使いください。3-36-7-17御相談（ごそうだん）するようなことがありましたら、ロスポリ楼でお会いすることにいたしましょう」。3-36-7-18二人の青年は、なんと答うべきかに迷った、3-36-7-19だが、申し出を断るべに適当（てきとう）な理由（りゆう）といっても見当（みあた）らなかったし、じつのところ大（おお）いに助（たす）かることでもあったし、二人はそれを快諾（かいだく）した。 3-36-7-20モンテ・クリスト伯は、それから十五分（じゅうご・ふん）ばかり、いかにものんきによもやま話をつづけた。3-36-7-21いままでにもわかったように、彼はあらゆる国の文学に通暁（つうぎょう）していた。3-36-7-22その室の壁を一瞥（いちべつ）しただけでも、フランツとアルベールには、彼が絵画（かいが）の愛好者（あいこうしゃ）だということが見て取れた。3-36-7-23ふと洩（も）らした、なんらわざとらしいところのないちょっとした言葉にも、彼が科学（かがく）について門外漢（もんがい・かん）でないことが示（しめ）されていた。3-36-7-24化学（かがく）については、とりわけだいぶ研究（けんきゅう）したことがあるようだった。 3-36-7-25さすがに二人は、伯爵にたいして、食事（しょくじ）にまねかれた返礼（へんれい）をしようなどという気にはなれなかった。3-36-7-26あのすばらしい食事の代りに、この宿（読者註：パストリーニのロンドン・ホテル）のいかにも気のきかない平凡（へいぼん）な食事を出すことなど、どう考えてもあまりにわる洒落（しゃれ）がすぎるように思われた。3-36-7-27二人は、そのことを淡白（たんぱく）に言ってのけた。3-36-7-28伯爵は、さうがに二人の気持（きもち）を呑（の）みこんで、その申しわけをしごくもっともだと思ってくれた。 3-36-7-29アルベールは、伯爵のやり方にすっかり魅（み）せられていた。3-36-7-30ただ伯爵のいかにもそつのないことだけが、彼を真の貴族（きぞく）と認（みと）めることを妨（さまた）げていた。3-36-7-31だが自由に馬車を使っていいと言われたことは、彼にとってとりわけ嬉（うれ）しかった。3-36-7-32彼は、あの『あでやか』な百姓娘のことを思いつづけていたので、昨日、彼女たちがいかにも雅（みやび）な馬車に乗っていたことを思い浮かべて、これから彼女たちと張りあえるのを悪くないなと考えていた。 3-36-7-33一時半、二人の青年が下（した）へおりてゆくと、馭者（ぎょしゃ）と二人の召使（めしつかい）は、毛皮（けがわ）の衣裳の上にさらに仕着（しき）せを羽織（はお）ることにしていた。3-36-7-34そして、昨日にまさるこの珍妙（ちんみょう）なようすは、大いにフランツとアルベールの賞讃（しょうたん）を博（はく）した。 3-36-7-35アルベールのボタン穴には、いかにも『にやけ』たようすで色あせた菫（すみれ）の花束（はなたば）が挿（さ）されていた。3-36-7-36鐘（かね：モンテチトリオの鐘）が鳴りはじめるのを合図に、みんなは家を出て、ビクトリヤ通りを通ってクール町へ飛びこんでいった。3-36-7-37二度目に練（ね）っているとき、女道化（おんなどうけ：パイヤシン）を乗せた一台の馬車から投げられた『いきいき』した菫の花の一束（ひとたば）が、馬車のなかに落ちてきた。3-36-7-38それに気のついたアルベールは、昨日の百姓娘が、今日は自分やアルベールと同じように、その衣裳を取りかえているのに気がついた。 3-36-7-39しかも偶然（ぐうぜん）といおうか、自分たちと同じ気持からか、こっちが心遣（こころづか）いやさしく昨日の彼女たちの服装を真似（まね）たと同じように、彼女たちのほうでも、今日は昨日の彼の服装を真似（まね）ていた。3-36-7-40アルベールは、新しい花束を前のものと取りかえて胸に挿した。3-36-7-41だが、色あせた分（ぶん）も手にしていた。3-36-7-42そして、ふたたび馬車がゆきちがったとき、それを懐（なつ）かしげに唇（くちびる）にあててみせた。3-36-7-43それは花束を投げた人ばかりでなく、陽気（ようき）なその友だちたちまでも喜（よろこ）ばせたらしかった。 3-36-7-44その日は、昨日に劣らぬ賑（にぎ）わいだった。3-36-7-45そして、冷静（れいせい）な観察者（かんさつしゃ）の眼をもってしたら、ざわめきはさらに立ちまさっていたとも言えただろう。3-36-7-46ちらりと伯爵の姿が窓に見えた。3-36-7-47だが、馬車がふたたびその前を通ったとき、もうその姿は見えなかった。3-36-7-48アルベールと菫の花束の女道化との色っぽい『やりとり』が、その日（ひ）一日（いちにち）つづいたであろうことは、いまさら言うまでもないだろう。 |
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ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/5/05