４８（３）「仕事のない身分」について

3-48-3-1「哲学的（てつがくてき）でございますな」と、ビルフォールは、しばらく黙（だま）っていた後（あと）で言（い）った。3-48-3-2彼（かれ）は、そのあいだに、ちょうど手（て）ごわい相手（あいて）に打（う）つかった力士（りきし）とでもいったように、十二分（じゅうにぶん）な力（ちから）を蓄（たくわ）えておいたのだった。3-48-3-3「ところがです、もしこのわたくしが、あなたのように、何（なに）もする仕事（しごと）を持（も）たない身分（みぶん）だったとしましたら、も少（すこ）しおもしろいことをやるだろうと思（おも）いますが」。 3-48-3-4「ごもっともです」と、モンテ・クリスト伯（はく）が答（こた）えた。3-48-3-5「人間（にんげん）は、顕微鏡（けんびきょう）にかけて見れば、じつに汚（きたな）らしい毛虫（けむし）のようなものにすぎません。3-48-3-6ところであなたは、いま、わたくしが何（なに）もしていないとおっしゃいましたな。3-48-3-7では一つお考（かんが）えいただきますが、たとえばあなたは、何かなすべき仕事をお持（も）ちだと考（かんが）えておいでなのでしょうか？3-48-3-8も少（すこ）しはっきり申（もう）しあげますと、いまなさっておいでのことにしても、それは果（はた）して、何かしているといえる価値（かち）のあることだと考えておいでなのでしょうか？」。 3-48-3-9ビルフォールの驚（おどろ）きは、この不思議（ふしぎ）な相手（あいて）から、さらに手（て）きびしい第二弾（だいにだん）を受（う）けることによって、ますます大（おお）きくなって行（い）った。3-48-3-10今（いま）まで、久（ひさ）しいこと、これほど辛辣（しんらつ）な皮肉（ひにく）を浴（あ）びせられたことはないのだった。3-48-3-11さらに正（ただ）しくいえば、これほどの皮肉（ひにく）を聞（き）かされたのは、生（う）まれてはじめてのことなのだった。 3-48-3-12検事総長（けんじそうちょう）は、これに答（こた）えようとして考（かんが）えた。3-48-3-13「いや、」と、彼（かれ）は言（い）った。3-48-3-14「あなたは外国（がいこく）の方（かた）でいらしゃいます。3-48-3-15そして、御自身（ごじしん）の口（くち）からお話（はな）しだったように、東方（とうほう：トルコ、エジプト）の国々（くにぐに）でお暮（く）らしだったと思（おも）います。3-48-3-16そうしたことから、ああした未開（みかい）な国々ではきわめて簡単（かんたん）に片（かた）づけられる犯人（はんにん）処罰（しょばつ）の問題（もんだい）が、わが国（くに）では、いかに慎重（しんちょう）に、かつ小面倒（こめんどう）に取（と）り扱（あつか）われなければならないかを御承知（ごぞんじ）ないのだと思います」。 3-48-3-17「いやいや、それは存（ぞん）じております。3-48-3-18昔（むかし）のｐｅｄｅ　ｃｌａｕｄｏ（ホラチウスの言葉。「報（むく）いは跛者（びっこしゃ）だ」の意味。つまり悪にたいする報復は、たとい来かたは遅いにしても、必ずやって来るという意味）というやつですな。3-48-3-19そんなことを存じております。3-48-3-20と申しますのは、わたくしはもっぱらあらゆる国々の司法（しほう）制度（せいど）を調（しら）べ、あらゆる国々の刑法（けいほう）と自然法（しぜんほう）との比較（ひかく）をこころみました。3-48-3-21で、ちょっと申しあげておきたいのですが、ああした未開（みかい）の民（たみ）の持（も）っている法律（ほうりつ）、つまりその復讐刑（ふくしゅうけい）のほうが、わたくしの考（かんが）えるところ、ずっと神（かみ）さまの思召（おぼしめ）しにかなったもののように思（おも）われたのですが」。 3-48-3-22「そういう法律（ほうりつ）が採用（さいよう）されたといたしましたら、」と、検事総長が言った。3-48-3-23「われわれの国の法典（ほうてん）などにしましても、『ずっと』簡単（かんたん）なものになりましょう。3-48-3-24そうなれば、たしかに司法官（しほうかん）どもは、さっきあなたのおっしゃったように、大（たい）した仕事（しごと）も無（な）くなってしまいましょう」。3-48-3-25「そういう時（とき）がやってくると思いますな」と、モンテ・クリスト伯は言った。3-48-3-26「なにしろ、人間の発明（はつめい）という『やつ』は、すべて複雑（ふくざつ）から単純（たんじゅん）へと進（すす）んでまいるものですから。3-48-3-27そして、単純こそは、常（つね）にもっとも完成（かんせい）したところのものですから」。 3-48-3-28「ですが、そういう時代（じだい）がくるまでは、」と、検事総長が言った。3-48-3-29「われわれの国の法典にしても、ガリヤ（古代のフランス）の習慣法（しゅうかんほう）、ローマ法、フランクの習慣法などから譲（ゆず）り伝（つた）えた矛盾（むじゅん）に満（み）ちた条文（じょうぶん）を並（なら）べながらも、とにかく存在（そんざい）することだけは存在すると思います。3-48-3-30そして、そういうさまざまな法律の知識（ちしき）は、御存（ごぞん）じでもございましょうが、長年月（ながとしつき）を費（つい）やさないと得（え）られませんし、それを得（え）るには、長（なが）い研究（けんきゅう）を必要（ひつよう）とし、一度（いちど）手に入れた知識を忘（わす）れないためには、相当（そうとう）しっかりした頭脳（ずのう）の働（はたら）きを必要とします」。 3-48-3-31「御同感（ごどうかん）ですな。3-48-3-32ところで、あなたがフランスの法典について御存じのことを、わたくしはたんにフランスのみならず、あらゆる国々の法典について知っております。3-48-3-33イギリス、トルコ、日本、インドの法典（ほうてん）は、わたくしにとって、フランスの法典とちがわないほど身近（みじか）なものになっております。3-48-3-34で、わたくしがさっき、比較的（ひかくてき）な意味（いみ）において（御承知のことと思いますが、すべては比較の上に立つものですから）、つまりわたくしがいままでにしてきたことと比較して、あなたのお仕事（しごと）のごときはなんでもない、またわたくしがいままでに学（まな）んできたところと比較して、あなたには、これからお学びにならなければならないことがたくさんあると申しあげても、必（かなら）ずしも間違（まちが）っているとは申せますまい」。 3-48-3-35「しかし、いったい、なんの目的（もくてき）でそんなことをお学びになりました？」と、ビルフォールは驚いてたずねた。3-48-3-36モンテ・クリスト伯は微笑（びしょう）した。

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ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/9/12