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| 3-48-2-1下僕（げぼく）からビルフォール氏（し）の来訪（らいほう）を告（つ）げられたとき、伯爵（はくしゃく）は、大（おお）きなテーブルにもたれながら、聖（せい：サン）ペテルブルク（サンクト・ペテルブルク：ロシアの大都市）からシナ（中国地方の総称）までの路（みち）を地図（ちず）によってしらべていた。3-48-2-2検事総長（けんじそちょう）は、まるで法廷（ほうてい）にはいって行（い）くとでもいったような、荘重（そうちょう）な、四角（しかく）ばったようすで入（はい）って来（き）た。3-48-2-3これこそ、昔（むかし）、マルセイユで、検事代理（けんじだいり）をしていたときに見（み）たのとおなじ人物（じんぶつ）、というより、その延長（えんちょう）ともいうべき人物（じんぶつ）だった。 3-48-2-4時（とき）の流（なが）れは、いつもその法則（ほうそく）を忠実（ちゅうじつ）にまもっていて、彼（かれ）のため、特（とく）にその歩（あゆ）みを変（か）えるようなことをしなかった。3-48-2-5したがって、かつては『すらり』としていた彼も、いまは痩（や）せこけ、その蒼白（あおじろ）かった顔（かお）は黄（き）ばみ、その深（ふか）い目（め）は落（お）ち込（こ）み、眼（め）の上（うえ）にかけた金縁（きんぶち）眼鏡（めがね）は、まるで顔の一部（いちぶ）をなしているようだった。 3-48-2-6ネクタイを別（べつ）にしては、服装（ふくそう）はまったく黒（くろ）ずくめ。3-48-2-7そして、この陰気（いんき）な服装の調子（ちょうし）を破（やぶ）っているものは、赤（あか）い略綬（りゃくじゅ）の細（こま）かいリボン。3-48-2-8それは一見（いっけん）目につかないようにボタン穴（あな）に通（とお）され、一刷（ひとすり）毛（け）はいた血（ち）の筋（すじ）とでもいったように見えていた。 3-48-2-9モンテ・クリスト伯（はく）は、かなり自分（じぶん）を抑（おさ）えてはいたものの、挨拶（あいさつ）を返（かえ）しながら、あからさまな好奇心（こうきしん）を見せて検事総長の顔をしげしげとながめた。3-48-2-10人（ひと）を信（しん）じないように習慣（しゅうかん）づけられ、とりわけ社会的（しゃかいてき）の目覚（めざま）しい幸運（こううん）などには信（しん）を措（お）かない検事総長は、この身分（みぶん）のある外国人（がいこくじん）−−−一般では、モンテ・クリスト伯のことをすでにこういうふうに呼びはじめていた−−−を見ても、この人を法王庁（ほうおうちょう）の高官（こうかん）とか、《アラビアン・ナイト》のなかのサルタン（トルコ帝国の王さまの呼称）などと考（かんが）えるかわりに、むしろ何（なに）か新（あたら）しい事業（じぎょう）の掘（ほ）り出（だ）しにやってきた山師（やまし：この場合は、投機的な事業で大もうけをたくらむ人のこと）、或いは居住（きょじゅう）範囲（はんい）を指定された禁（きん）を破（やぶ）って出てきた前科者（ぜんかもの：以前に犯罪をおかして刑罰を受けた経歴のある人）とでも考えようとしていた。 3-48-2-11「じつは、」こうした言葉（ことば）を口（くち）にしたときのビルフォールの調子（ちょうし）は、弁論（べんろん）の際（さい）の法官（ほうかん）の、あの『わざ』とらしい鋭（するど）い声（こえ）にかわっていた。3-48-2-12それがあたりまえの会話（かいわ）のなかにも顔を出して、彼にはそれが改（あらた）められなかったばかりか、改めようとさえ思わなかった。3-48-2-13「昨日（きのう）は、家内（かない：＝妻）と倅（せがれ：＝息子）とが一方（ひとかた）ならぬごやっかいになりました。3-48-2-14御挨拶（ごあいさつ）かたがた、心（こころ）からのお礼（れい）を申（もう）しあげにまいりました」。 3-48-2-15こう言（い）いながらも、検事総長は、その険（けわ）しい眼（め）つきに、いつものような傲然（ごうぜん）としたようすを見（み）せることを忘（わす）れなかった。3-48-2-16彼（かれ）は、そうした言葉を、検事総長としての声で言ってのけた。3-48-2-17そして、それと同時（どうじ）に、頸筋（くびすじ）と肩（かた）とをこわばらせた。3-48-2-18それが、前（まえ）にもちょっと言ったように、氏（し）に阿諛（あゆ：人の機嫌をとること：おべっか）する連中（れんちゅう）をして、法律（ほうりつ）の生（い）きた銅像（どうぞう）と言わせているものだった。 3-48-2-19「いや、」と、伯爵（はくしゃく）も氷（こおり）のような冷（ひや）やかさで答（こた）えた。3-48-2-20「お母（かあ）さまのため、令息（れいそく）をお助（たす）けできて何（なに）よりうれしく思っております。3-48-2-21世（よ）に、母親（ははおや）としての気持（きもち）ほど貴（とうと）いものはないと言われております。3-48-2-22わたくしも、その幸福を味（あじ）わうことができました。3-48-2-23いまさら改（あらた）めての御挨拶（ごあいさつ）では痛（いた）みいります。3-48-2-24もっとも、これは身（み）にあまる光栄（こうえい）で、承（うけたまわ）るところ、あなたはめったにこうした訪問（ほうもん）をなさらないと聞（き）きおよんでおります。3-48-2-25ただ、この名誉（めいよ）がどれほど貴（とうと）いものにせよ、わたくし自身（じしん）の心のうちの満足（まんぞく）には、それよりさらに大（おお）きなものがあるのでございます」。 3-48-2-26こうした出方（でかた）をされようなどとはまったく思いがけなかったビルフォールは、着（き）ている『よろい』の下（した）まで刺（さ）し通（とお）された兵士（へいし）のように驚（おどろ）いた。3-48-2-27そしてその、さげすんだような唇（くちびる）の皺（しわ）から推（お）して、彼が、はやくも、モンテ・クリスト伯を礼儀（れいぎ）正（ただ）しい紳士（しんし）と考えていないことがうかがわれた。3-48-2-28彼は、こうして腰（こし）を折（お）られた。3-48-2-29それと同時（どうじ）に、さんざん粉砕（ふんさい）された話（はなし）のつづきを、どこか引掛（ひっか）けるところはあるまいかとあたりを見回（みまわ）した。3-48-2-30と、目にはいったのは、さっき入（はい）って来（き）たとき、モンテ・クリスト伯が調（しら）べていた例（れい）の地図（ちず）だった。 3-48-2-31「地理（ちり）のほうを御研究（ごけんきゅう）でいらっしゃいますか？3-48-2-32いや、じつに興味（きょうみ）津々（しんしん）たる学問（がくもん）でございますな。3-48-2-33とりわけあなたのように、噂（うわさ）によりますと、この地図に載（の）っている数多（かずおお）くの国々（くにぐに）をごらんになったというようなお方（かた）にとっては」。 3-48-2-34「さよう、」と、伯爵は答えた。3-48-2-35「わたくしは、人類（じんるい）というものの全体（ぜんたい）をとりまして、それについてあなたが毎日（まいにち）個々（ここ）の人間（にんげん）についてやっておいでになるのと同（おな）じようなことをしてみようと思い立ちました。3-48-2-36つまり生理学（せいりがく）的（てき）研究（けんきゅう）ですな。3-48-2-37わたくしにとりましては、部分（ぶぶん）から出発（しゅっぱつ）して全体（ぜんたい）に推（お）して行（い）くより、全体から部分に下（くだ）って行（い）ったほうが、ずっと容易（たやす）いように思われました。3-48-2-38代数（だいすう：代数学：数の代わりに文字を記号として用い、数の性質や関係などを研究する学問）の公理（こうり）にも言われております。3-48-2-39既知数（きちすう）より出発（しゅっぱつ）して未知数（みちすう）に及（およ）べ、未知数より出発して既知数に及（およ）ぶにあらず、とな−−−3-48-2-40それはともかく、まあお掛（か）けください」。 3-48-2-41こう言いながら、モンテ・クリスト伯は、手（て）を挙（あ）げて一脚（いっきゃく）の安楽椅子（あんらくいす）を指（さ）した。3-48-2-42検事総長は、それを自分で前のほうへ押（お）し出（だ）さなければならなかった。3-48-2-43これに反（はん）して、伯爵のほうは、さっき総長のはいって来（き）たとき掛けていたままの椅子に腰（こし）をおろせばいいのだった。3-48-2-44こうして伯爵は、うしろに窓（まど）を背負（せお）い、いま話題（わだい）にのぼっていたその地図の上（うえ）に片肘（かたひじ）つきながら、客（きゃく）のほうへ半（なか）ば体（からだ）を振（ふ）り向（む）けていた。3-48-2-45こうして話は、その場（ば）の事情（じじょう）こそ異（こと）なれ、相対（あいたい）する人物（じんぶつ）の点（てん）からいって、モルセール家やダングラール家におけるとおなじような状況（じょうきょう）で進（すす）められた。 |
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ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/9/12