４７（１）ドプレーとダングラール夫人

　４７（１）ドプレーとダングラール夫人(ふじん)

3-47-1-1男爵（だんしゃく）は、伯爵（はくしゃく）を伴（ともな）い、重苦（おもくる）しい贅沢（ぜいたく）さと、『けばけば』しい悪趣味（あく・しゅみ）だけが目（め）につく室々（しつしつ）が長（なが）く並（なら：本は列）んでいるあいだをぬけて、ダングラール夫人（ふじん）の居間（いま）までいった。3-47-1-2これは八角形（はっかっけい）の部屋（へや）で、壁（かべ）には桃色（ももいろ）の繻子（しゅす）が張（は）られ、その上（うえ）を印度（インド）モスリンでかざってあった。3-47-1-3椅子（いす）は、古（ふる）い金色（きんいろ）をした木（き）の椅子で、古代（こだい）帛（きぬ）が張（は）られていた。3-47-1-4扉（とびら）の上（うえ）のほうには、ブーシェー（著者註：十八世紀におけるフランスの名匠）ふうの羊飼（ひつじか）いの図（ず）が描（えが）かれていた。3-47-1-5そして、円形（えんけい）の額縁（がくぶち）に入（い）れた二枚（にまい）のみごとなパステルと、他の調度（ちょうど：家具類）との釣合（つりあい）もよく、それだけが、この部屋（へや）を、邸内（やしきうち）でのせめてもの風格（ふうかく）のある室（しつ）にさせていた。

3-47-1-6もっとも、室は、ダングラール氏（し）と、有数（ゆうすう）の名建築家（めい・けんちくか）の一人（ひとり）の設計（せっけい）に成（な）るもので、装飾（そうしょく）だけは、男爵夫人とリュシアン・ドプレーの考案（こうあん）によったものだった。3-47-1-7執政官政治時代（しっせいかん・せいじ・じだい）（著者註：ディレククトワアル：フランス大革命後の政府）の解釈（かいしゃく）をそのままに、古代美術（こだい・びじゅつ）礼讃（れいさん）に終始（しゅうし）していたダングラール氏は、この粋（すい）をこらした小（ちい）さな部屋をひどくけなしていた。3-47-1-8もっとも彼は、誰（だれ）かといっしょでなければこの室へ入れてもらえなかった。

3-47-1-9こうなると、事実（じじつ）は、ダングラール氏が人を紹介（しょうかい）するというのでなく、彼自身（かれじしん）のほうが紹介され、そして、来客（らいきゃく）の容貌（ようぼう）が男爵夫人の気に入るか入らないかによって、もてなしが善（よ）くもなれば悪（わる）くもなるというわけだった。

3-47-1-10三十六（さんじゅうろく）になっていながら、なお美貌（びぼう）の衰（おとろ）えをみせていないダングラール夫人は、精緻（せいち）な嵌め木細工（はめき・ざいく）のピアノへ向かっていた。3-47-1-11そしてリュシアン・ドプレーは、縫物卓（ぬいもの・たく：ワークスタンド）の前（まえ）に坐（ざ）を占（し）めて、アルバムをくっていた。

3-47-1-12ドプレーには、モンテ・クリスト伯がやってくるまでに、伯爵に関するいろいろな事実を夫人の耳（みみ）に入れるだけのひまがあった。3-47-1-13読者諸君（どくしゃ・しょくん）も、あのアルベールの家（いえ）での午餐（ごさん）のあいだに、モンテ・クリスト伯がどんな印象（いんしょう）をほかの客人（きゃくじん）たちに与（あた）えたかを知（し）っておいでだ。3-47-1-14その印象（いんしょう）は、ほかからの印象に大（たい）して敏感（びんかん）ともいえなかった、ドプレーの頭（あたま）からも消（き）えずにいて、彼（かれ）が男爵夫人にした報告（ほうこく）のなかにもその名残（なごり）が見（み）られていた。

3-47-1-15ダングラール夫人の好奇心（こうきしん）は、かつてアルベールから聞（き）いた事実と、ドプレーの口（くち）から語（かた）られた新（あたら）しい事実によってそそり立（た）てられ、いまや最高潮（さいこうちょう）に達（たっ）していた。3-47-1-16したがって、ピアノとアルバムとの組（く）み合（あ）わせにしても、それは自分（じぶん）たちの細心（さいしん）の注意（ちゅうい）を気取（けど）らせまいという、社交上（しゃこう・じょう）の小（ちい）さな技巧（ぎこう）の一つにすぎなかった。3-47-1-17そういうわけで、男爵夫人は、微笑（びしょう）を浮（う）かべながらダングラール氏を迎（むか）えた。

3-47-1-18これは、つね日頃（ひごろ）の夫人として、まったくめずらしいことだった。3-47-1-19そして夫人は、伯爵からの挨拶（あいさつ）にたいして、儀式（ぎしき）ばってはいたが、いかにも愛想（あいそう）のいい、奥床（おくゆか）しい会釈（えしゃく）で答（こた）えた。3-47-1-20ドプレーも、伯爵とは一面識（いち・めんしき）あるものとしての挨拶（あいさつ）を交（か）わした。3-47-1-21そして、ダングラールにたいしては、いかにも打（う）ち解（と）けた態度（たいど）でこれを迎（むか）えた。

3-47-1-22「お前（まえ）、」と、ダングラールは言った。3-47-1-23「モンテ・クリスト伯だ。3-47-1-24伯爵は、ローマの取引先（とりひきさき）から懇篤（こんとく：Ｗｅｂ辞書：懇切丁寧で、心がこもっていること。）な紹介（しょうかい）をもっておいでになったんだ。3-47-1-25わたしがちょっとお口添（くちぞ）えしたら、たちまち美（うつく）しいご婦人方（ふじんがた）の引張り凧（ひっぱりだこ）になろうというお方（かた）なんだ。3-47-1-26パリで一年間（いちねんかん）おくらしになって、そのあいだに、六百万（６０億円）の金（かね）を使（つか：本は費）おうとしておいでになる。3-47-1-27おそらく、これからは、毎日毎夜（まいにち・まいよ）、舞踏会（ぶとうかい）とか、晩餐会（ばんさんかい）とか、夜餐会（やさんかい）とかをお催（もよお）しのことだろう。3-47-1-28手前（てまえ：自分のこと）どもでも、つまらない宴会（えんかい）でも催しました節（せつ）は、伯爵、かならずお招（まね）き申（もう）しあげます。3-47-1-29そちらでも何（なに）かお催しのありました節は、ぜひお招（まね）きいただきたいものでございますな」。

3-47-1-30この紹介の仕方（しかた）は、かなり無作法（ぶさほう）な讃辞（さんじ）だった。3-47-1-31だが、一人（ひとり）の人間（にんげん）が、王侯（おうこう）の財産（ざいさん）にも比（ひ）すべきほどの額（がく）を一年間に使おうとしてパリにくるということがすでに稀有（けう）ともいうべきことで、ダングラール夫人が、『じろり』と伯爵のほうをながめたその目のなかには、たしかに興味（きょうみ）の色（いろ）がうかがわれた。

3-47-1-32「いつお着（つ）きになりまして？・・・・」と、夫人がたずねた。3-47-1-33「昨朝（さくちょう）でございます」。3-47-1-34「お噂（うわさ）によりますと、例（れい）によって世界（せかい）の果（は）てといったようなところからいらっしゃいましたとか？」。3-47-1-35「今度（こんど）はカディスからまいりました」。3-47-1-36「まあ、ほんとにわるい季節（きせつ）にいらっしゃいました。3-47-1-37パリは、夏（なつ）がじつに厭（いや）なんでございまして。3-47-1-38もう舞踏会も、集（あつま）りも、宴会（えんかい）も、何もないのでございます。

3-47-1-39イタリー歌劇（かげき）はロンドンに行（い）っておりますし、フランス歌劇は、各地（かくち）でやっておりますけれど、このパリではやっておりませんので。3-47-1-40そしてフランス座は、いまのところどこへ行っても見られません。3-47-1-41で、楽（たの）しみと申しましたら、シャン・ド・マルスかサトリーあたりへ遠乗（とおの）りに出かけるくらいが関（せき）の山（やま）で。3-47-1-42あの、お馬（うま）は遊（あそ）ばします？」。

ページ制作者：（ささくら修道会）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/7/27