４５（６） ４５（６）
| 3-45-6-1「これだけお話し申しあげましたら、」と、ベルツッチオは言葉（ことば）をつづけた。3-45-6-2「あのとき以来（いらい）目にしませんでしたこの庭（にわ）で、しかも、一人（ひとり）の人間（にんげん）を殺しましたこのところで、旦那（だんな）さまが不審（ふしん）にお思いになるようなああした挙動（きょどう）をしたわけもおわかりいただけるかと存（ぞん）じます。3-45-6-3それは、わたくしの目（め）の前（まえ）、わたくしの足（あし）もと、彼（かれ）が子供（こども）のために掘（ほ）ったその穴（あな）のなかに、じつはビルフォール自身（じしん）がはいっていないでもないように思（おも）われましたからで」。 3-45-6-4「あり得（う）るな」と、モンテ・クリスト伯（はく）は、いままで腰（こし）をおろしていたベンチから立（た）ちあがりながら言った。3-45-6-5そして、「だが、じつをいうと、そのビルフォールは、死（し）んでいないのかもしれないぞ」と、低（ひく）い声（こえ）でつけ加（くわ）えた。3-45-6-6「ブゾーニ司祭（しさい）は、お前をわしのところにおよこしになっていいことをなすった。3-45-6-7それにお前も、わたしにすっかり話（はな）して聞（き）かせていいことをした。3-45-6-8このわたしはお前のことを悪（わる）く思（おも）ったりしないだろうから。3-45-6-9ところで、その名（な）とは似（に）てもつかないベネデット（著者註：善良なる者の意味）のゆくえを、その後（ご）つきとめようとはしなかったかね？3-45-6-10どうなったか、調（しら）べて見（み）ようとはしなかったかね？」。 3-45-6-11「いいえ、一度（いちど）も。3-45-6-12もしいるところがわかりましても、そこへ出（で）かけていくどころか、魔物（まもの）でも避（さ）けるように逃（に）げ出（だ）したことでございましょう。3-45-6-13だが、さいわい、たれ一人（ひとり）噂（うわさ）をする者（もの）もございませんでした。3-45-6-14死（し）んでいてくれたらいいとさえ思（おも）っております」。3-45-6-15「そんなことは、願（ねが）ってみたところでなんにもならない」と、伯爵（はくしゃく）が言（い）った。3-45-6-16「悪（わる）いやつというものは、なかなか死（し）なないものだからな。3-45-6-17神（かみ）さまは、復讐（ふくしゅう）の道具（どうぐ）になさるため、そうした人間（にんげん）を保護（ほご）しておいでのようだからな」。 3-45-6-18「それもけっこうでございましょう」と、ベルツッチオは言った。3-45-6-19「わたくしはただ、二度（にど）とふたたびあいつの顔を見ないですむようにと祈（いの）っております。3-45-6-20これで、」と、彼（かれ）は頭（こうべ）を垂（た）れて言葉（ことば）をつづけた。3-45-6-21「何もかもお話し申しあげました。3-45-6-22あなたさまこそは、神さまが、死んだあとでのわたくしの裁（さば）き手でおいでになります。3-45-6-23慰（なぐさ）めのお言葉をおかけになってはいただけませんか？」。 3-45-6-24「もっともだ。3-45-6-25わたしにはこう言ってあげられるな。3-45-6-26おそらく、ブゾーニ司祭（しさい）もそう言われるにちがいないが、お前の殺したビルフォールは、お前にたいしてやったことと、ほかにもやったことのために、罰（ばっ）せられるだけのことがあったのだ。3-45-6-27もしベネデットが生（い）きていたら、さっきも話したとおり、神さまの復讐（ふくしゅう）の御用（ごよう）をつとめたあとで、やがて自分（じぶん）も罰（ばっ）せられることになるだろう。3-45-6-28じつのところ、お前の、責（せ）められなければならないことはただ一つだ。3-45-6-29それは、お前が、あの子（こ）を生（い）きかえらせてやったあとで、なぜそのお母親（ははおや）の手（て）にかえしてやらなかったかということだ。3-45-6-30自分の心（こころ）にたずねて見るがいい。3-45-6-31つまりそこに罪（つみ）があったというわけなのだ」。 3-45-6-32「そうでした、旦那さま、そこに罪が、ほんとうの罪があったのでございます。3-45-6-33その点（てん）、わたくしは卑怯者（ひきょうもの）だったのでございます。3-45-6-34子供（こども）が息（いき）を吹（ふ）き返（かえ）しましたとき、わたくしのなすべき唯一（ゆいいつ）のことは、おっしゃるとおり母親の手にかえしてやることでございました。3-45-6-35しかし、そのためには、母親を探（さが）さねばなりませんでした。3-45-6-36そうすれば、わたくしは嫌疑（けんぎ）を受け、あるいはわが身（み）が危（あや）うくなったかもしれません。3-45-6-37わたくしは、死（し）にたくなかったのでございます。 3-45-6-38それは、一つには姉がございましたためと、一つには、」こっちはかすり傷（きず）一つ負（お）わずにりっぱに復讐（ふくしゅう）してやりたいという、コルシカ人に生（う）まれつきの自尊心（じそんしん）のためでございましょう。3-45-6-39が、つまりは、ただ生（い）きていたいと思う一心（いっしん）から、死にたくなかったのかもしれません。3-45-6-40ああ、わたくしは、なくなった兄（あに）のように、男（おとこ）らしい人間（にんげん）ではございませんでした」。 3-45-6-41ベルツッチオは、両手（りょうて）のなかに顔（かお）を埋（う）めた。3-45-6-42モンテ・クリスト伯は、なんとも言（い）えない眼差（まなざ）しでじっと彼（かれ）を見つめていた。3-45-6-43そして、時（とき）も時、場所（ばしょ）も場所であるだけに、ひとしお厳（おごそ）かな沈黙（ちんもく）の後（あと）で、伯爵は、常（つね）に見せない沈痛（ちんつう）な調子（ちょうし）で言った。 3-45-6-44「ところで、この事件（じけん）について、これを最後（さいご）のりっぱなしめくくりをつけるため、ベルツッチオ、よくわたしの言葉を覚（おぼ）えていてもらいたい。3-45-6-45『およそ、すべてのわずらいに処（しょ）するに、二つの薬（くすり）がある。3-45-6-46曰（いわ）く時（とき）、曰く沈黙（ちんもく）』。 3-45-6-47この言葉は、ブゾーニ司祭の口（くち）からも幾度（いくど）となく聞かされたものなのだ。3-45-6-48さて、ベルツッチオ、わたしにしばらくこの庭（にわ）のなかを歩きまわらせてくれないか。3-45-6-49おそらくそれは、かつてこの舞台（ぶたい）に立（た）ったことのあるお前には、胸（むね）掻（か）きむしられるほどつらいことかもしれない。3-45-6-50だが、わたしには、この邸（やしき）の値（（あたい）を倍（ばい）にもしてくれる、ほとんどうれしいとさえ言えるほどの感動（かんどう）を与（あた）えてくれるものなのだ。 3-45-6-51なあ、ベルツッチオ、木（き）は、蔭（かげ）をなすが故（ゆえ）に人（ひと）を楽（たの）しませ、蔭は、そこに夢（ゆめ）と幻（まぼろし）とが満（み）ちていればこそ人（ひと）の心（こころ）を惹（ひ）く。3-45-6-52わたしは、ただ四方（しほう）を壁で囲（かこ）まれた空地（あきち）を買（か）ったつもりでこの庭（にわ）を手（て）に入（い）れた。3-45-6-53ところが、じつは、そうではなかった。3-45-6-54この空地（あきち）は、契約書（けいやくしょ）には何も記（しる）されていない、亡霊（ぼうれい）の巣（す）くっている庭なのだった。3-45-6-55しかも、このわたしは、亡霊というやつが好（す）きなのだ。3-45-6-56生（せい）ある者（もの）が一日（いちにち）にやったと同（おな）じほどの悪（わる）いことを、死（し）んだ者が、六ヵ年（ろっかねん）もかかってやったなどという話は、いままでかつてきいたことがないのだ。 3-45-6-57さ、お前（まえ）は帰（かえ）るがいい。3-45-6-58そして、しずかに寝（ね）るがいい。3-45-6-59もしお前のいまわの際（きわ）に、お前の懺悔僧（ざんげそう）があのブゾーニ司祭ほどのひろい気持（きも）ちをもってくれないようだったら、わたしにして生（い）きているかぎり、このわたしを呼（よ）ぶがいい。3-45-6-59わたしは、お前の霊魂（れいこん）が、永劫（えいごう）と呼（よ）ぶつらい旅路（たびじ）に上（のぼ）ろうというとき、お前の霊魂が快（こころよ）く眠（ねむ）れるような言葉（ことば）を見（み）つけてあげようから」。3-45-6-60ベルツッチオは、伯爵の前に恭（うやうや）しく頭（あたま）を下（さ）げ、『ほっ』と溜息（ためいき）をつきながら立（た）ち去（さ）った。 |
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ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/7/25