４５（３） ４５（３）
| 3-45-3-1その男（おとこ）、それはほかならぬカドルッスでして。3-45-3-2顔（かお）は青（あお）ざめ、シャツにはべっとり血（ち）がついていました。3-45-3-3蝋燭（ろうそく）をつけると、またもや急（いそ）ぎ足（あし）で梯子（はしご）をのぼっていきましたが、あわただしい、心配（しんぱい）そうな足音（あしおと）が聞（き）こえてきました。3-45-3-4彼（かれ）は間（ま）もなく、手（て）に一つ（ひとつ）の箱（はこ）を持（も）っておりて来（き）ました。3-45-3-5そして、ダイヤモンドのはいっていることをたしかめますと、どこのポケットに入（い）れたものかとしばらく迷（まよ）っておりましたが、ポケットでは安心（あんしん）できないと思ったものか、それを赤（あか）いハンケチのなかにくるみ、頸（くび）のまわりに巻（まき）きつけました。 3-45-3-6それから、箪笥（たんす）のところへ走（はし）りよって、なかから紙幣（しへい）と金貨（きんか）を取（と）り出（だ）し、紙幣はズボンの前（まえ）ポケットへ、金貨は上衣（じょうい）のポケットへ入れ、それからニ三枚（に・さんまい）の肌着（はだぎ：本は肌衣）を引き出し、いきなり戸口（とぐち）のほうへ行ったと思うと、闇（やみ）に姿（すがた）を消してしまいました。3-45-3-7わたくしは、まるで自分（じぶん）が、いまのできごとの犯人（はんにん）ででもあるかのように、われとわが身（み）を責（せ）めました。 3-45-3-8唸（うな）り声（ごえ）が、まだ聞こえてでもいるように思われました。-45-3-9ことによると、あの気（き）の毒（どく）な宝石商人（ほうせきしょうにん）は、まだ死（し）んでいないのかもしれないぞ、助（たす）けてやったら、自分がやったのではないにしても、それの行（おこな）われるのを黙（だま）って見ていた自分の罪（つみ）を、いくらかでも償（つぐ）なうことができるかもしれない。3-45-3-10そう思いましたわたくしは、いままで寝（ね）ていた天井裏（てんじょう・うら）の室と下の室とのさかいにある、粗末（そまつ）な板壁（いたかべ）を『ぐっ』と肩（かた）で押（お）してみました。3-45-3-11板（いた）ははずれて下の室に出られました。 3-45-3-12わたくしは、蝋燭（ろうそく）のそばへ駈（か）けよりました。3-45-3-13そして、階段を飛（と：跳）びあがろうと致（いた）しましたが、誰か一人たおれております。3-45-3-14見れば、カルコントの死骸（しがい）でした。3-45-3-15さっきの銃声（じゅうせい）は、彼女（かのじょ）を撃（う）ったものだったので。3-45-3-16咽喉（のど）をみごとに打ちぬかれて、前（まえ）と後（うし）ろの傷口（きずぐち）からは、『こんこん』と血が流（なが）れているうえ、口（くち）からまでも血を吐（は）いて、まったく死んでしまっていました。3-45-3-17わたくしは、死骸をまたいで通りました。 3-45-3-18室は、見るも無惨（むざん）にとり乱（みだ）されておりました。3-45-3-19ニ三（に・さん）の家具（かぐ）はひっくりかえされ、宝石商がしがみついていたシーツは、室（しつ）一杯（いっぱい）に引きずりおろされてしまっていました。3-45-3-20彼は、ベッドの上に打っ倒（うったお）れて、頭を壁（かべ）にもたせ、胸の三つの傷口（きずぐち）から『こんこん』と流れでる血潮（ちしお）のなかにただよっていました。3-45-3-21四番目の傷口には、長い台所（だいどころ）庖丁（ほうちょう）が突（つ）き刺（さ）され、わずかに柄（え）だけが見えていました。 3-45-3-22わたくしの足は、もう一挺（いっちょう）のほうのピストルの上を踏（ふ）みつけました。3-45-3-23見れば、撃ったようすがありません。3-45-3-24火薬（かやく）が湿（しめ）っていたのでしょう。3-45-3-25わたくしは、宝石商のそばへよってみました。3-45-3-26まだ、『こときれ』てはいませんでした。3-45-3-27わたくしが近（ちか）づく足音（あしおと）と、床（ゆか）の揺（ゆ）れるのに気（き）がついたとでも申しましょうか、うつろな眼（め）を開（あ）けてしばらくじっとわたくしを見つめ、なにか言いたそうに唇（くちびる）だけは動かしましたが、それきり息（いき）を引き取ってしまいました。 3-45-3-28この恐（おそ）ろしい光景（こうけい）に、わたくしはほとんど生（い）きた心地（ここち）もございませんでした。3-45-3-29もう助（たす）けることもできないとわかると、いまはただ一つ、逃（に）げることしかございません。3-45-3-30わたくしは、髪（かみ）をかきむしり、恐怖（きょうふ）の叫（さけ）びを上げながら、階段（かいだん）を駈（か）けおりたのでございました。 3-45-3-31階下（かいか）の室（しつ）には、税関吏（ぜいかんり）が五六人（ご・ろくにん）、憲兵（けんぺい）がニ三人（に・さんにん）、すべて武装（ぶそう）すがたで待（ま）っていました。3-45-3-32そしてわたくしは、そのまま捕（とら）まえられてしまいました。3-45-3-33無我夢中（むが・むちゅう）のわたくしは、抵抗（ていこう）しようとさえしませんでした。3-45-3-34口（くち）をきこうとは思いましたが、口から出たのは、ただ意味（いみ）のない言葉ばかりというわけでして。 3-45-3-35ふと気がつきますと、税関吏や憲兵たちが、わたくしの体を指（さ）しております。3-45-3-36目を伏（ふ）せてみますと、体に『べっとり』血のりがついているではございませんか。3-45-3-37階段の板をとおして、雨がポタポタ落（お）ちていると思ったのは、じつはカルコントの血だったんでございました。3-45-3-38わたくしは、自分のかくれていたところを指（さ）して見せました。3-45-3-39『なんだといっているのかな？』と、憲兵の一人がたずねました。3-45-3-40すると一人（ひとり）の税関吏が見に行きまして、『あすこから出てきたとでもいうんでしょう』と申しながら、わたくしの出て来た穴（あな）のところを示（しめ）しました。 3-45-3-41そのときはじめて、わたくしには、自分が下手人（げしゅにん：犯人）と思われていることがわかりました。3-45-3-42わたくしは、声（こえ）が出るようになりました。3-45-3-43わたくしには、力（ちから）がもどってまいりました。3-45-3-44そして、自分を押（お）さえていた二人（ふたり）の男の手を振（ふ）りほどくと、『わたしではございません。わたしではございません！』と、叫びました。3-45-3-45二人の憲兵は、騎銃（きじゅう）の筒先（つつさき）をさし向けました。 3-45-3-46『動（うご）いたら、命（いのち）がないぞ』。 3-45-3-47『でも、わたしでないと申しあげておりますんで！』。 3-45-3-48『話があったら、ニームの法廷（ほうてい）で申し立てるがいい。3-45-3-49黙（だま）っておれたちのあとからついて来（く）るんだ。3-45-3-50ことわっておくが、抵抗（ていこう）したらためにならんぞ』。 3-45-3-51抵抗するどころの騒（さわ）ぎではございません。3-45-3-52驚（おどろ）きと怖（おそ）れで気（き）も転倒（てんとう）しておりました。3-45-3-53そして、手錠（てじょう）をはめられ、馬（うま）の尻尾（しっぽ）にくくりつけられ、ニームに連（つ）れていかれました。 |
| 次へ |
 |
ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/7/25