４４（１１）家令(かれい)「五万(ごまん)フランのダイヤモンド」

3-44-11-1「そうしたわけで、わたくしはカドルッスにかくまってもらおうと思いました。3-44-11-2平素（へいそ）何ごとのない時でも、わたくしたちは、いつも往来（おうらい）へ向いた入口（いりぐち）からは入っていかないことにしていました。3-44-11-3で、わたくしは、この習慣（しゅうかん）を破（やぶ）りたくないと思って、庭（にわ）の生垣（いけがき）をまたぎ、ちっぽけなオリーブの木や野生（やせい）の『いちじく』のあいだをくぐり、ひょっとして客（きゃく）でも泊（とま）っているといけないと思って、これまでにもたびたび、まるで暖（あたた）かいベッドにでも寝（ね）るような気持で一夜（いちや）をあかしたことのある、天井（てんじょう）裏（うら）とでもいったような所（ところ）へもぐり込（こ）んだというわけでした。 3-44-11-4この天井裏と、宿（やど）の階下（かいか）の広間（ひろま）とは、板仕切（いたしきり）一（ひと）つで隔（へだ）てられていまして、それには穴（あな）が明（あ）いていて、いいところを見はからって、来ていることを知らせる手はずになっていました。 3-44-11-5わたくしは、もしカドルッスが一人（ひとり）だったら、さっそく自分の来たことを知らせ、税関吏（ぜいかんり）のおかげで中途（ちゅうと）でやめてしまった食事（しょくじ）にありつき、そして、折（おり）からやって来かけていた嵐（あらし）を幸（さいわ）い、ローヌの河岸（かわぎし）までもどっていって、船（ふね）や、乗りこみの連中（れんちゅう）の安否（あんぴ）をたしかめようと考えていました。3-44-11-6で、わたくしは、天井裏にもぐりました。3-44-11-7折もよし、ちょうどその時、カドルッスが、知らない男をつれて帰ってまいったところでした。 3-44-11-8わたくしは様子（ようす）を窺（うかが）いました。3-44-11-9それは、主人（しゅじん）の秘密（ひみつ）を迎（むか）えようといった気持（きもち）からではなく、ほかに仕方（しかた）がないからなので。3-44-11-10それに、これまでにも、こうしたことは幾度（いくど）もあったことでございましたし。3-44-11-11カドルッスといっしょに入ってきたのは、明らかにこの地方（ちほう）の男ではなく、ボーケールの市（いち）に宝石類（ほうせきるい）を売（う）りにやってきて、ヨーロッパの各地（かくち）から、商人（しょうにん）だの客だのの集ってくるこの一ヶ月（いっかげつ）の市（いち）のあいだに、時として十万フラン（読者註：１フランが１０００円の場合は１億円）、十五万フランの商売（しょうばい）をして行くといったような、一人（ひとり）の地方（ちほう）まわりの商人でした。 3-44-11-12カドルッスは、勢（いきお）いこんで、先（さき）に立（た）ってはいってきました。3-44-11-13そして、階下の室（しつ）が、いつものように空（から）っぽで、犬（いぬ）だけが番（ばん）をしているのを見とどけますと、いきなり女房（にょうぼう）を呼びました。3-44-11-14『おおい！カルコント、あの神父（しんぷ）さんは、おれたちをごまかしたんじゃなかったぜ。3-44-11-15ダイヤモンドは本物（ほんもの）だとよ』。 3-44-11-16嬉（うれ）しそうな叫（さけ）び声（ごえ）が聞（き）こえました。3-44-11-17そして、それと同時（どうじ）に、疲労（ひろう）と病気（びょうき）のため、いかにも重（おも）たげな女房の足の下で、梯子（はしご）の鳴（な）るのが聞こえました。3-44-11-18『なんだって？』と、死人（しにん）よりも青（あお）い顔色（かおいろ）の女房がたずねました。3-44-11-19『ダイヤモンドは本物（ほんもの）だったよ。3-44-11-20ここにおいでの旦那（だんな）は、パリで一流（いちりゅう）の宝石屋（ほうせきや）さんだが、すぐに五万フラン（読者註：５０００万円）で買おうとおっしゃる。3-44-11-21ただ、ダイヤモンドがたしかにおれたちのものだと御納得（ご・なっとく）がいくように、どういう風（かぜ）の吹（ふ）きまわしでそれがおれたちの手の中に転（ころ）げ込んだか、おれがお話ししたとおり、お前の口（くち）からも聞かせてほしいとおっしゃるんだ。3-44-11-22いまお話し申しますから、旦那、どうぞお掛（か）けになって。3-44-11-23なんともえらい暑（あつ）さでして。3-44-11-24お咽喉（のど）をぬらすものでも取ってきましょう』。 3-44-11-25宝石商は、注意深（ちゅうい・ぶか）く、室（しつ）のなかや、まるで貴族（きぞく）の宝石箱（ほうせきばこ）からでも出てきたようなこのダイヤモンドを売ろうという、ひどく貧（まず）しい世帯（せたい）のようすを『じろじろ』ながめておりました。3-44-11-26やがて、亭主（ていしゅ）が何か合図（あいず）をして女房の心（こころ）を動かしたりしないように、そして、亭主のいないうちに、二人（ふたり）の話が『ぴったり』合うかどうかを試（ため）してみようと思ったのでございましょう。 3-44-11-27『おかみさん、お話しを聞こうじゃありませんか』と申しました。3-44-11-28『まあ驚（おどろ）いちゃったんでございますよ』と、女房は『べらべら』しゃべり出しました。3-44-11-29『夢（ゆめ）にも思わぬ神さまのお恵（めぐ）みだったんでございますよ。3-44-11-30お聞きください、旦那さま。3-44-11-31『うち』は、西暦１８１４年だか１５年だかに、エドモン・ダンテスという船乗（ふなの）りと懇意（こんい）になりましてね。3-44-11-32うちのほうでは『すっかり』忘れていましたのに、向（む）こうでは『ちゃん』と覚（おぼ）えていて、その死（し）にぎわに、いまお目にかけたようなダイヤモンドをくれることにしたんでございますよ』。 ウィルモア卿(きょう)とブゾーニ司祭(しさい) 3-44-11-33『ですが、どうしてこんなダイヤモンドを持っていたんでしょうな。3-44-11-34牢屋（ろうや）にはいる前から持っていたとでもいうんでしょうか？』、こう宝石商がたずねました。3-44-11-35すると女房が、『いいえ、あなた、牢屋のなかですばらしくお金持（かねもち）のイギリス人と懇意（こんい）になって、同じ室（しつ）で暮（くら）しているうち、その人が病気（びょうき）になり、ダンテスから、兄弟（きょうだい）同様（どうよう）親切（しんせつ）にせわしてもらったということから、放免（ほうめん）になるとき、このダイヤをくれたとかいうことでした。3-44-11-36ところでダンテスは、その人ほどの運がなくって、とうとう牢屋で死にましたが、死にぎわに、今度はわたしたちにそれをくれることにしたんでした。3-44-11-37そして、それを預（あず）かった御親切（ごしんせつ）な司祭（しさい）さまが、今朝（けさ）突然（とつぜん）持ってきてくだすったというわけでして』。 3-44-11-38《話の筋道（すじみち）にちがいはないな》と、宝石商はつぶやきました。3-44-11-39『ちょっとうかがっただけでは、どうもほんとうのようには思われませんが、お話しに嘘（うそ）もありますまい。3-44-11-40ところで、お値段（ねだん）の点がまだ折り合っていないというわけですがね』。3-44-11-41『え！折り合ってない？3-44-11-42申しあげた値段（ねだん）で手打（てう）ちだったと思っていますが』と、カドルッスが申しました。 3-44-11-43それを聞いた宝石商（ほうせきしょう）は、『つまりわたくしは四万フラン（４０００万円）でと言ったんでしたが』と申しました。3-44-11-44『四万フラン!』と、カルコントが叫びました。3-44-11-45『どうしてそんな値段で手ばなせますか。3-44-11-46司祭さまは、五万フランはまちがいないとおっしゃっいましたよ』。3-44-11-47『で、その司祭さんのお名前は？』と、相手（あいて）は『しつこく』たずねました。3-44-11-48『ブゾーニ司祭さまとおっしゃる方（かた）で』こう、女房（にょうぼう）が答えました。3-44-11-49『では、外国（がいこく）の方ですな！』。3-44-11-50『マントウアの近くの、イタリーの方（かた）だと思いますが』 3-44-11-51『ダイヤモンドを拝見（はいけん）しましょう』と、宝石商が申しました。3-44-11-52『も一度（いちど）見たいと思いますから。3-44-11-53ちょっと見ただけでは、とかく宝石には見損（みそこ）ないがあるものでしてね』。 3-44-11-54カドルッスは、ポケットから小さい黒い『なめし』革（かわ）のサックを出し、それを開（あ）けて宝石商に渡しました。3-44-11-55その小さな『くるみ』の実（み）ぐらいのダイヤモンド、いまでもまだ、目さきにちらついているように思われますが、それを見ますと、カルコントの眼は、貪欲（どんよく）そうに輝（かがや）きました」。 3-44-11-56「ところで、その話を盗（ぬす）み聞きしたお前は、どういうふうに思ったね？」と、モンテ・クリスト伯がたずねた。3-44-11-57「そんな愉快（ゆかい）なお伽噺（とぎばなし）を、ほんとのこととでも思ったかね？」。

次へ

ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/7/22