４０（１）アヘンの粒(つぶ)入れ

3-40-1-1読者（どくしゃ）は思い起（お）こされるであろう、伯爵は至（いた）って小食（しょうしょく）な客人（きゃくじん）だった。3-40-1-2アルベールもそれに気がついていて、パリの生活が、その物質的（ぶっしつてき）な方面（ほうめん）、と同時にとりわけ大切な食事（しょくじ）の方面（ほうめん）において、はじめから旅人（たびびと）の気に入らないであろうことを懸念（けねん）していた。3-40-1-3「伯爵、」と、彼は言った。3-40-1-4「ごらんのとおり、わたしは心配いたしておりますので。3-40-1-5それは、このエルデ町の食事が、（読者註：ローマの）スペイン広場（ひろば）の（ロンドン・ホテルの伯爵メニュー）料理ほどお気に召すまいと思いまして。3-40-1-6じつはお好みを伺（うかが）って、お気に召すような品（しな）を整えさせておくべきでした」。 3-40-1-7「いや、あなたが、わたしという人間（にんげん）をもっとよくわかっておいででしたら、」と、微笑（びしょう）しながら伯爵が言った。3-40-1-8「ナポリはマカロニ、ミラノではポレンタ、バレンシアではオーリャ、ポドリーダ、コンスタンチノーブルではピラウ（ピラフ料理）、インドではカリック（カレー料理）、シナ（中国）では燕（つばめ）の巣（す）といったぐあいに、次から次へと食べ歩いてきた旅人（たびびと）には、そんな恐縮（きょうしゅく）するような御心配（ごしんぱい）はなさらないでもいいでしょう。3-40-1-9わたしのような世界人（せかいじん）には、べつにきまった料理（りょうり）などはありません。3-40-1-10わたしはなんでも食べます。3-40-1-11また、どこででも食事をします。3-40-1-12ただし、はなはだ小食（しょうしょく）ですが。3-40-1-13さきほども、わたしの小食についてちょっとお咎（とが）めでしたが、今日（きょう）なぞは、わたしとして食欲（しょくよく）のある日のほうに属（ぞく）します。3-40-1-14昨日（きのう）の朝（あさ）から、なに一つ口（くち）に入れずにいたのですから」。 3-40-1-15「えっ、昨日の朝から！」と、一同は叫んだ。3-40-1-16「二十四時間何も召しあがらずにおいででしたか？」。3-40-1-17「食べませんでした」と、モンテ・クリスト伯は答えた。3-40-1-18「ニーム附近（ふきん）で道に迷って、ほうぼう聞き合わせているうちに少し遅れてしまいました。3-40-1-19それで、なるべく足（あし）を止めずにと思いまして」。3-40-1-20「では、車の中で食事をおとりでしたか？」と、アルベールがたずねた。3-40-1-21「いや、車の中では眠（ねむ）りました。3-40-1-22退屈（たいくつ）して、しかも気をまぎらわそうという元気がないとき、あるいは、腹（はら）が減（へ）っても食欲のないとき、わたしはしばしばそれをやります」。3-40-1-23「では、おやすみになりたいときは、いつでもおやすみになれるのですか？」と、大尉（たいい）がたずねた。 3-40-1-24「まずそういったところですな」。3-40-1-25「そのため、何かいい方法（ほうほう）でもおありなので？」。3-40-1-26「たしかな方法がありましてね」。3-40-1-27「それは、われわれアフリカでの生活者（せいかつしゃ）にとって持（も）ってこいというわけですな。3-40-1-28いつも食物（たべもの）があるとはきまらず、飲物（のみもの）のないこともしばしばですから」と、大尉が言った。3-40-1-29「そうなんです」と、モンテ・クリスト伯は言った。3-40-1-30「しかし、残念（ざんねん）なことに、わたしの方法は、ふう変りな生活の者には持ってこいというわけですが、軍隊（ぐんたい）で使うとしたら、ずいぶん危険（きけん）があるでしょう、『いざ』というとき目が覚めなかったりしましては」。 3-40-1-31「ひとつお聞かせねがえませんか？」と、ドプレーがたずねた。3-40-1-32「おやすいことです」と、モンテ・クリスト伯は言った。3-40-1-33「なにも秘密（ひみつ）はありません。3-40-1-34それは、その純良（じゅんりょう）な『やつ』を手に入れるため、わたし自身（じしん）広東（かんとん：中国）まで行って買ってきた良質（りょうしつ）の鴉片（あへん：ウィキペディア：アヘンは、ケシの実から採取される。ケシの実から採取されるアルカロイドはオピエートと呼ばれ、そこから合成されるものがオピオイドである。麻薬とは、本来このようなオピエートやオピオイドを指す）と、東洋（とうよう：この場合はアラビヤのこと）、すなわちチグリス、ユーフラテスの両河（りょうがわ）のあいだにできる純良なタッチスをまぜ合わせてつくったものです。3-40-1-35これを、必要なときに呑（の）むのですな。3-40-1-36十分（じゅっぷん：時間の単位）もするとしるしが見えます。3-40-1-37フランツ・デピネー男爵におたずねください。3-40-1-38あの方（かた）もかつておためしになったことがあるのですから」。 3-40-1-39「そうでした」と、アルベールが言った。3-40-1-40「わたしも、ちょっとききました。3-40-1-41なんだか、非常（ひじょう）に愉快（ゆかい）な思い出さえも持っているように思うのですが」。3-40-1-42「では、」と、新聞記者（しんぶん・きしゃ）であるだけにきわめて猜疑心（さいぎしん）の強いボーシャンが言った。3-40-1-43「その薬を、いつも肌身（はだみ）離（はな）さず持ってお歩（ある）きというわけですか？」。3-40-1-44「いつでも」と、モンテ・クリスト伯は答えた。3-40-1-45「ぶしつけですが、ひとつその貴重（きちょう）な薬（くすり）というのを拝見（はいけん）させていただけませんか？」と、ボーシャンは、相手（あいて）の虚（きょ）を突（つ）こうとでもするように言葉をつづけた。 3-40-1-46「おやすい御用（ごよう）で」と、伯爵が答えた。3-40-1-47彼は、ポケットから、エメラルドを丸彫（まるぼり）にしてつくったみごとなボンボン入れを取り出した。3-40-1-48口（くち）は、金（きん）の螺旋（らせん）になっていて、螺旋をまわすと、青味（あおみ）がかった、豌豆（えんどう）くらいの小さい球（たま）が出るしかけになっていた。3-40-1-49その球は、いがらっぽい、沁（し）み入るような臭（にお）いだった。3-40-1-50エメラルドの函（はこ）のなかには、いくつか同じような粒がはいっていたが、全部で十二くらいははいりそうに思われた。3-40-1-51ボンボン入れは、食卓を一巡（いちじゅん）した。3-40-1-52だが、客人（きゃくじん）たちは、それを手から手へとまわしながら、丸薬（がんやく）を見たり嗅（か）いだりするというより、むしろみごとなエメラルドの容器（ようき）のほうをながめていた。

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ページ制作者：（ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2016/10/1、2017/6/4