３６（２） ３６（２）
| 3-36-2-1馬車は列のなかへはいっていった。3-36-2-2前のできごととくらべて、これ以上正反対なものはとても考えられないことだろう。3-36-2-3陰惨な、『しん』とした死刑の場面にかわって、ポポロ広場には、いま、狂気（きょうき）じみた騒（さわ）がしい大乱痴気（だい・らんちき）の光景（こうけい）が示されていた。3-36-2-4仮面をつけた連中（れんちゅう）の波（なみ）は、あらゆるところから溢（あふ）れ出し、或（あつ）いは戸口（とぐち）から流れ出し、或いは窓からおりてきて、町のなかへ押し出していた。 3-36-2-5ピエロや、アルレキンや、ドミノや、公爵や、トランステベルの服装をした連中や、滑稽（こっけい）な服装をした連中や、騎士（きし）や、百姓（ひゃくしょう）などをいっぱいつめこんだ馬車が、町中のありとあらゆるところに流れ出していた。3-36-2-6これらすべての人々は、喚（わめ）きたて、身ぶりをしながら、麦粉をつめた卵とか、コンフェッチとか、花束（はなたば）とかを投げつけていた。3-36-2-7友だちだろうが、見ず知らずの人だろうが、知っている人だろうが、知らない人だろうが、相手かまわず、悪口雑言（あっこう・ぞうごん）を浴（あ）びせかけ、投げつける。 3-36-2-8だが、誰もそれにたいして腹（はら）をたてる権利（けんり）がなく、ただ笑って済（す）ませるしきたりになっていた。3-36-2-9フランツとアルベールは、さも深い悲しみをまぎらすため、大乱痴気の饗宴（きょうえん）に連（つ）れてゆかれる人とでもいうようだった。3-36-2-10二人は、酒を飲み、酔（よ）いがまわってくるにつれて、過去と現在のあいだの帳（とばり）がますます深（ふか）く垂（た）れさがってくるように思った。3-36-2-11二人はあいかわらず、さっき見たところのものを思い浮かべていた。3-36-2-12というよりは、むしろそれを自分自身のうちに感じていた。3-36-2-13だが、だんだんあたりの熱狂（ねっきょう）が二人の上にも及んできた。3-36-2-14二人にとっては、よろめきかけている自分たちの理性（りせい）が、どうやら自分たちを見捨（みす）てていってしまいそうに思われた。 3-36-2-15二人は、こうした『ざわめき』、こうした動き、こうした逆上（ぎゃくじょう）に、自分たちもいっしょに捲（ま）きこまれたいというふしぎな欲望（よくぼう）を感じた。3-36-2-16アルベール目がけて隣（とな）りの馬車から投げられた一握（ひとにぎ）りのコンフェッチは、彼と連れだった二人の上にうどん粉（こ）の雨（あめ）を浴（あ）びせ、彼の頸筋（くびすじ）や、仮面の当たっていない顔の部分を、まるで一度に百本（ひゃっぽん）の針（はり）を投げつけでもしたようにチクチク刺（さ）した。 3-36-2-17とうとう彼らも、いままで往（い）き会った仮面の人たちのあいだで行われている戦（たたか）いに参加（さんか）しないではいられなくなった。3-36-2-18彼は、自分も馬車の中に立ちあがり、袋（ふくろ）のなかの卵（たまご）やボンボンなどを両手（りょうて）にいっぱいつかみ出し、あらんかぎりの力で、できるかぎり巧（たく）みに狙（ねら）って、近くの連中に投げつけてやった。3-36-2-19これを手始（てはじ）めに火蓋（ひぶた）は切られた。3-36-2-20つい半時間（はんじかん：３０分）ばかり前に見たものの記憶（きおく）は、二人の青年の心から、いまやまったく消え去っていた。 3-36-2-21それほどまでに、この目の前の、種々（しゅじゅ）さまざまな動いて止（や）まぬ乱痴気騒（らんちき・さわ）ぎは、二人の心をまぎらしてしまっていた。3-36-2-22一ぽう（いっぽう）モンテ・クリスト伯爵は、前にも言ったとおり、あいかわらず少しも心を動かされていないようすだった。 コルソ通り 3-36-2-23じっさい、このときの、広い美しいクール町のことを思い浮かべていただきたい。3-36-2-24両側には、端（はし）から端まで四階（よんかい）五階（ごかい）という大きな建物が並（なら：本は列）んでいる。3-36-2-25到（いた）るところの露台（ろだい）には綴錦（つづれにしき）が掛（か）けられ、窓口（まどぐち）には織物（おりもの）が掛けられている。3-36-2-26それらの露台や窓口には、三十万人の見物（けんぶつ）が詰（つま）っていた。3-36-2-27ローマの住民、イタリー人、それに世界のありとあらゆる隅々（すみずみ）からやって来た外国人（がいこくじん）、家柄（いえがら）の上からの貴族（きぞく）、財産（ざいさん）の上からの貴族、才能（さいのう）の上からの貴族、つまりありとあらゆる貴族階級（かいきゅう）が集（つど）っていた。 3-36-2-28美しい婦人（ふじん）たちも、この光景に心を奪（うば）われ、露台の上に身を屈（かが）め、窓の外まで乗り出して、通りかかる馬車にコンフェッチを雨霰（あめあられ）と投げかける。3-36-2-29と、馬車の上からは、花束（はなたば）を投げてこれに答える。3-36-2-30投げおろすボンボンと、投げ上げられる花束とが、まるで織（お）るように往（い）き交（か）う。3-36-2-31そして、町の石だだみの上には、狂（くる）おしい、ひっきりなしの陽気（ようき）な群集が、気ちがいじみた衣裳（いしょう）を身につけて『ぞめ』いて通る。 3-36-2-32大きなキャベツが歩いているかと思うと、人間（にんげん）の体（からだ）の上に水牛（すいぎゅう）の頭の乗ったのが咆（ほ）えて通り、また、後足（うしろあし）で立って歩く犬が通る。3-36-2-33こうした中で、一人（ひとり）の人が仮面を上げる。3-36-2-34カロの考えた『聖アントニウスの誘惑』（聖者アントニウスが修道にあたって悪魔から種々の誘惑を受けたことをいう。古来これを題材とした画が多い）といったような画面（がめん）のなかで、どこかのアスタルテがそのすばらしい素顔（すがお）を見せる。3-36-2-35と、後をつけていこうとするやつ。3-36-2-36だがたちまち、夢のなかに出てくる悪魔といったような連中に、その彼女とのあいだを『せか』れてしまう。3-36-2-37こんなようにでも想像（そうぞう）したら、ローマの謝肉祭の、そのおぼろげな気分（きぶん）だけでも受取れようか。 3-36-2-38二度目に町をまわったとき、伯爵は馬車を止めさせ、二人のほうへ向かって、馬車を自由（じゆう）に使ってくれるよう、自分（じぶん）はちょっと失礼（しつれい）する、と言った。3-36-2-39フランツが目をあげると、ちょうどロスポリ楼の前だった。3-36-2-40真中（まんなか）の窓、赤い十字のついた白い綾布（ダマス）を張った窓のところに、青いドミノ姿の男がいた。3-36-2-41フランツはたちまち想像を働かして、アルジャンチナ劇場で見た美しいギリシャ女のことを思い浮かべた。3-36-2-42「お二方（ふたかた）、」伯爵は、馬車から飛びおりながらこう言った。3-36-2-43「遊（あそ）び疲（つか）れて、ただ見物（けんぶつ）なさろうとお思いのときには、わたしの窓にお席が取ってありますから。3-36-2-44それまでは、馭者（ぎょしゃ）なり、馬車なり、召使（めしつかい）なり、どうぞお心（こころ）まかせにお使いください」。 3-36-2-45言い忘れたが、伯爵の馭者（ぎょしゃ）は、白熊（しろくま）の皮（かわ）の外套（がいとう）に堂々（どうどう）と身を固めていた。3-36-2-46それがちょうど『熊とパシャ』に出てくるオドリが着ているのにそっくりだった。3-36-2-47一ぽう（いっぽう）、馬車のうしろの二人（ふたり）の召使は、ぴったり体に合った青猿（あおざる）の皮でつくった服を身につけていた。3-36-2-48そして、『ばね』じかけの仮面をつけて、道行（みちい）く人にしかめっ面（つら）をして見せていた。 |
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ページ制作者： （ささくら宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書
2017/5/03