３４（７）Ｇ伯爵夫人の桟敷席

2-34-7-1「ははあ、だいぶお安くないようだな？」と、アルベールが言った。2-34-7-2「それさ！つまりそうした考えが、いつも僕たちフランス人に勘違いさせ、いろんなばかをやってのけさせるってわけなんだ。2-34-7-3なにからなにまで、みんなパリ人（じん）風（ふう）の見かたで見ようとするからいけない。2-34-7-4スペイン人とか、ことにこのイタリーでは、自由な交際（こうさい）というだけの事実で、人々の仲（なか）を推（お）し量（はか）ったりすると大間違（おお・まちが）いだ。2-34-7-5僕は、たんに伯爵夫人と話が合った。2-34-7-6ただそれだけのことなのさ」。2-34-7-7「心も合ったというわけかい？」と、アルベールは笑いながら言った。 2-34-7-8「ちがう、頭の上でのことだけなんだ」と、フランツは、まじめなようすでそれに答えた。2-34-7-9「それはいったいどうしたときにさ？」。2-34-7-10「コリゼーへ散歩（さんぽ）に行ったときだ。2-34-7-11ちょうど僕たちが行ったようにさ」。 2-34-7-12「月の晩にか？」。 2-34-7-13「そう」。 2-34-7-14「二人（ふたり）きりで？」。 2-34-7-15「そんなところだ！」。 2-34-7-16「で、いったいどういう話をしたんだ・・・・」。 2-34-7-17「昔（むかし）の死んだ人たちの話さ」。 2-34-7-18「やれやれ、」と、アルベールは叫んだ。2-34-7-19「さだめしおもしろかったことだろう。2-34-7-20もしこの僕が、ああした美しい伯爵夫人のお相手（あいて）をしてそうした散歩をするんだったら、生きている人たちのことだけしか話さないな」。 2-34-7-21「ところが、それはかえってだめだろうぜ」。2-34-7-22「それはともかく、約束どおり紹介（しょうかい）してくれるか？」。2-34-7-23「幕（まく）がおりたら」。2-34-7-24「畜生（ちくしょう）、この一幕（ひとまく）目（め）の長いことといったら！」。2-34-7-25「終曲（しゅうきょく：フィナーレ）を聞けよ、きれいじゃないか。2-34-7-26それにコゼルリのみごとな歌いかたといったら」。2-34-7-27「そう、だが、節（ふし）まわしがたまらないな！」。2-34-7-28「ラ・スペッチは、すばらしくドラマチックだ」。2-34-7-29「だがね、ゾンタッハやマリブラン（スペインの血をうけた歌劇女優）を聞いた耳では・・・・」。2-34-7-30「モリアニの歌いかたがよくはないかね？」。2-34-7-31「ブラン（黒髪）の男が、ブロンド（金髪）らしい声を出すところがたまらないな」。 2-34-7-32「やれやれ！」と、フランツはふり向いて言った。2-34-7-33アルベールは、なおもしきりにオペラ・グラスでながめていた。2-34-7-34「じっさい君はむずかしやだな」。2-34-7-35やがて、幕がおりたのでアルベールは満足だった。2-34-7-36彼は、帽子を手にし、髪（かみ）とネクタイとカフスに素早（すばや）くちょっと手をやった後で、もう支度（したく）ができているということをフランツに知らせた。2-34-7-37一ぽう（いっぽう）伯爵夫人のほうでも、フランツが目で問いかけたのに対して、どうぞといった意味を知らせてきた。2-34-7-38で、フランツは、すぐにアルベールの熱心（ねっしん）さを満足させてやることにした。2-34-7-39そして、体を動かしたため、シャツの襟（えり）や上衣（じょうい）の背に皺（しわ）のできたのを途中（とちゅう）で直しているアルベールを後に従え、半円形の観客席を『ぐるり』とまわって、伯爵夫人の四号（よんごう）桟敷の扉を叩（たた）いた。 2-34-7-40と、すぐに、桟敷の『はな先』、夫人の傍（そば）に坐っていた一人の青年が起（た）ち上がって、イタリーふうに、この新しい客のために席を譲（ゆず）った。2-34-7-41譲られた者は、また新しい客にその席（せき）を譲らなければならないのだった。2-34-7-42フランツは、わが国の青年のなかでも、社会的地位（ちい）なり才分（さいぶん）なり、もっとも勝（すぐ）れた一人としてアルベールを伯爵夫人に紹介した。2-34-7-43事実それにちがいなかった。2-34-7-44パリの社交界にあって、アルベールはまさに一点非（いってんひ）の打ちどころのない紳士（しんし）だった。 2-34-7-45フランツは言葉をつづけ、じつはこの友人は、夫人のパリ滞在中（たいざいちゅう）、夫人に紹介される機会を持たなかったため、その失策をつぐなおうと思って、自分に『とりなし』を頼んだことを申し添（そ）えた。2-34-7-46そして、自分にしても、誰かの紹介を必要とすべきであるところを、こうした無作法をあえてするのを御容赦（ごようしゃ）願いたいと詫（わ）びながら、ともかく頼（た）まれたことを果してのけた。2-34-7-47夫人はそれに答えて、アルベールへは愛想のいい会釈（えしゃく）を見せ、フランツのほうへは手を出した。2-34-7-48アルベールは、夫人から勧（すす）められるままに、前のほうの空（あ）いた席に腰をおろした。2-34-7-49フランツは、夫人の背後の二列目に坐った。

次へ

引用者：2016/10/9　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義
オリジナル教会・ささくら修道会・必読書