３３（１５）バンパ「 ３３（１５）バンパ「
| 2-33-15-1テレザは、まるで顔の上を焔（ほのお）が吹き過ぎたように思いました。2-33-15-2彼女は、目でバンパの意向（いこう）をたずねました。2-33-15-3いまさら否（いな）やも申せません。2-33-15-4バンパは、いままで自分の腕に抱（だ）いていた彼女の腕を、残（のこ）り惜（お）しそうに放（はな）しました。2-33-15-5そしてテレザは、その伊達（だて）な青年に導（みちび）かれて、ふるえながら、その貴族（きぞく）たちのカドリーユの組にはいりに行きました。 2-33-15-6たしかに芸術家に見させましたら、『がっちり』した、地味（じみ）なテレザの服装（ふくそう）は、カルメラ姫やその友だちの服装とくらべて、まったく別な味（あじ）を持っていたにちがいがございません。2-33-15-7ところがテレザは、いたって陽気（ようき）な、そしてはすっぱ（蓮っ葉：女性の言動が下品で軽はずみなさま）な娘でした。2-33-15-8モスリンの刺繍（ししゅう）、帯（おび）に挿（はさ）んだ（刺繍した）棕櫚（しゅろ）の枝（えだ）、それに、カシミヤ布の光沢（こうたく）、青玉（せいぎょく：サファイア）やダイヤモンドの光に、テレザは夢中（むちゅう）になってしまいました。 2-33-15-9一ぽう（いっぽう）バンパは、心の中に、なんともわからない気持の湧（わ）き起こるのを感じました。2-33-15-10それは、鈍（にぶ）い痛みとでもいったようなももので、初めはまず心臓を噛（か）み、それを振出（ふりだ）しに、『ぴちぴち』血管（けっかん）の中をかけまわり、しまいに体ぜんたいをつかんでしまうといったようなものでございました。2-33-15-11彼は、テレザと相手の男の一挙一動（いっきょ・いちどう）を眼からはなさずにおりました。2-33-15-12二人の手と手が触れ合ったりしますと、まるで眼がくらみでもするようで、脈管（みゃくかん）は高鳴（たかな）り、耳元（みみもと：本では許）では鐘（かね）が鳴ってでもいるようでした。 2-33-15-13二人がなにか話しているのを見ますと、テレザは、臆病（おくびょう）らしく伏目（ふしめ）になって男のいうことを聞いております。2-33-15-14そして、男が燃えるような眼つきをしているから見て、たしかに嬉（うれ）しがらせを言っているのにちがいないと見て取ったバンパは、まるで大地（だいち）が自分の足の下で回転（かいてん）し、地獄（じごく）からのあらゆる声が、口々に殺人、闇討（やみうち）の考えを吹きこんででもくるように思いました。2-33-15-15そこで、そうした気ちがいじみた気持に誘（さそ）いこまれてはならないと、バンパは、一方の手で自分がもたれて立っていた『あずまや』にかじりつき、片方の手では、まるで痙攣（けいれん）したといったような手ぶりで、帯にさした、柄（え）に彫刻（ちょうこく）のある短刀（たんとう）を握（にぎ）りしめておりました。 2-33-15-16しかも短刀は、われにもあらず、ときどき、鞘（さや）から抜き放たれかけていたのでした。2-33-15-17バンパは『やきもち』をやいておりました（しっとしていた）ので。2-33-15-18そうしたあいだも、若い百姓娘は、最初のうちこそ『おずおず』して、ほとんどおびえているように見えましたが、やがてすっかり落ちつきました。2-33-15-19テレザの美しさのことについては前にも申しあげましたが、そればかりではございません、テレザにはしとやかさというのもがございました。2-33-15-20それは、自然のままのしとやかさで、世間（せけん）によくあるわざとつくった、ひけらかすようなしとやかさにくらべて、一段（いちだん）の力をもっていました。 2-33-15-21テレザは、ほとんどカドリーユの人気（にんき）を一人で背負（せお）ってしまいました。2-33-15-22テレザがカルメラ姫（ひめ）を羨（うらや）ましいと思ったように、姫のほうでも、テレザのことを妬（ねた）ましく思わなかったとは申せません。2-33-15-23こうしてテレザの相手を勤（すす）めたりっぱな青年は、甘い言葉の言えるだけを言って、さっきテレザを迎（むか）いにきた場所、いまバンパがその帰るのを待ちうけていたところまで連れて帰ってまいりました。2-33-15-24カドリーユをやっていながらも、少女は二度三度バンパのほうへ眼を投げました。2-33-15-25と、その度（たび）ごとに、色青ざめ、顔を引きつらしているバンパの姿が見えました。 2-33-15-26一度などは半（なか）ば鞘（さや）から引き抜かれた短刀の刃が、まるで不吉（ふきつ）な電光（でんこう）のようにその眼をくらくらさせました。2-33-15-27で、テレザは、ほとんどふるえおののきながら、ふたたび恋人の腕に帰ってきたというわけでした。2-33-15-28カドリーユは、えらい成功をおさめました。2-33-15-29申すまでもなく、その第二回をやろうという話が持ちあがりました。2-33-15-30カルメラ姫だけは反対しました。2-33-15-31だが、サン・フェリーチェ伯は言葉やさしく娘をなだめてそれをやらせることにしました。2-33-15-32と、踊り相手の青年の一人は、すぐにテレザを呼びにやってきました。2-33-15-33テレザがかなければカドリーユはできませんので。2-33-15-34でも、少女はすでに姿を消してしまったあとなのでして。 2-33-15-35じつのところ、バンパは、もうこの第二回目をがまんできなくなっていました。2-33-15-36で、半分は納得（なっとく）させ、半分は力ずくで、テレザを庭の他の場所へと引っぱって行ったというわけでした。2-33-15-37テレザは、気が進まぬながらも、言われるままになっていました。2-33-15-38ですが、バンパの思い乱れた顔つき、じっと黙（だま）りこんでいるかと思うと折々（おりおり）神経的な顫（ふる）えを帯びた声でものを言うのを見せられますと、バンパの心の中に、なにか変ったことが起こったにちがいないことを見て取りました。2-33-15-39テレザ自身（じしん）も、心に何か不安を感じないではいませんでした。 2-33-15-40そして、自分ではなにも悪いことはしなかったと思いながらも、バンパが自分にたいして咎（とが）めだてするのも無理がないように思っていました。2-33-15-41では、それがどういうことであるか、それはわかっていませんでした。2-33-15-42それでいてテレザには、やはり咎めだてされるだけのものがあるように思われていました。2-33-15-43だが、テレザは、バンパがなにも言わないのに、かえって驚いていたのでした。2-33-15-44その晩中（ばんじゅう）、バンパの口からは、なんの言葉も聞かれませんでした。2-33-15-45ただ、夜が冷（ひ）えだすにつれ、庭のお客さんたちが引きあげ、お館（やかた）の戸口（とぐち）という戸口が、今度は家のなかでの宴会（えんかい）のために閉められましたとき、バンパはテレザを送って返りました。 2-33-15-46そして、テレザが自分の家へはいろうとするとき、『テレザ、』とバンパが申しました。2-33-15-47『さっきサン・フェリーチェのお嬢さんの前で踊っていたとき、お前なにを考えていたんだ？』。2-33-15-48『あたし、』と、娘はまったく無心（むしん）な気持で答えました。2-33-15-49『お嬢さんのような着物が着れたら、命を半分すてても惜しくないと思っていたの』。2-33-15-50『そして相手の男はなんと言った？』。2-33-15-51あたしさえその気になったら、そんなものはわけなく手にはいるって。2-33-15-52そして、あたしが一言（ひとこと）いったらそれでいいんだって』。2-33-15-53『そのとおりだ』と、バンパは答えました。 2-33-15-54『お前そう言っているほどそれがほしいのか？』。2-33-15-55『ほしいわ』。2-33-15-56『よし、そんならおれが持って来てやる！』。2-33-15-57娘は驚いて、問いかけようとして頭をあげました。2-33-15-58しかし、男の顔はいかにも恐ろしく、いかにも暗い色をしていたので、言葉は思わず唇のあたりで凍（こお）りついてしまいました。2-33-15-59バンパは、そう言ったと思うとそのまま行ってしまいました。2-33-15-60テレザはその姿の見えているかぎり、じっと闇（やみ）のなかを見送っておりましたが、それが見えなくなってしまうと、溜息（ためいき）をついて家の中へはいりました。 |
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引用者：2016/9/27 （笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義