３１（５）先客はスペイン人

2-31-5-1これらすべては、完全な沈黙（ちんもく）のなかにおこなわれた。2-31-5-2それに、進路（しんろ）を変えてからというもの、船中（せんちゅう）誰一人（だれひとり）として口をきかなかった。2-31-5-3くることを勧（すす）めたガエタノは、すべての責任を自分（じぶん）一身（いっしん）に引き受けていた。2-31-5-4四人（よにん）の水夫は、『かい』の支度（したく）をし、明らかに腕にまかせて漕（こ）いで行こうという意気（いき）ごみを見せながら、じっと船長のほうを見つめていた。2-31-5-5ちょうどあたりは闇（やみ）のことだし、漕いで行くのは、べつに難しいこととも思われなかった。 2-31-5-6フランツは、すでにわれわれも知っている冷静（れいせいな）な態度（たいど）で、自分の武器（ぶき）を調べていた。2-31-5-7彼は、二連銃（にれんじゅう）をニ挺（にちょう）と、騎兵銃（きへいじゅう）を一挺（いっちょう）持っていた。2-31-5-8彼は弾丸（だんがん）込（ご）めして、引金（ひきがね）を調べていた。2-31-5-9そのあいだに、船長は、ピー・ジャケットとシャツをぬぎ捨て、腰の『さるまた』をしっかりしめた。2-31-5-10跣足（せんそく：はだし）でいたので、靴（くつ）や靴下（くつした）を脱（ぬ）ぐせわもなかった。 2-31-5-11彼は、こうした服装になると、いや、こうして服装をかなぐり捨てると、ぜったい静かにしているように唇（くちびる）に指を当てて知らせながら、『するり』と海中（かいちゅう）に滑（すべ）りこみ、ちょっとの音（おと）さえ立てないほどの注意を払（はら）って、岸へ向かって泳ぎはじめた。2-31-5-12『きらきら』光る水脈（すいみゃく）で、わずかにそれと、彼の進んで行くのが見えていた。2-31-5-13しばらくののち、その水脈さえも見えなくなった。2-31-5-14ガエタノは、島に着いたにちがいなかった。 2-31-5-15船中の誰も彼も（だれもかも）、半時間（はんじかん：３０分）のあいだ、身動（みうご）き一（ひと）つしないでいた。2-31-5-16ところが、半時間ばかりの後、前と同じく『きらきら』光る水脈が岸（きし）近くあらわれ、それが船の方へ近づいてきた。2-31-5-17しばらくすると、ガエタノは、抜（ぬ）き手をきって船に戻った。2-31-5-18「で？」。フランツと四人の水夫は、口（くち）を揃（そろ）えてこうたずねた。2-31-5-19「どうだったかって？」と、彼は言った。2-31-5-20「スペインの密輸入者でさ。ただ、コルシカ人の山賊（さんぞく）二人（ふたり）もいっしょでしたよ」。2-31-5-21「で、そのコルシカの山賊とスペインの密輸入者と、いったいなにをしていたというわけなんだ？」。（スペインのマラガかな？） 2-31-5-22「いや、なんと申しましても、御前（ごぜん：あなたさまの古風な言い方）、」と、ガエタノは、いかにも虔（つつ）ましい深い同情（どうじょう）の調子（ちょうし）で言った。2-31-5-23「人間は助け合わなければならないのでございまして。2-31-5-24ときどき山賊（さんぞく）が、陸（りく）で憲兵（けんぺい）や銃兵（じゅうへい）に追いつめられることがございます。2-31-5-25すると、そこに折（お）りよく船がある。2-31-5-26船のなかには、わたしどものような情け深い人間がいる。2-31-5-27奴（やつ）らは、この水に浮いた家のなかにかくまってくれと頼みますんで。2-31-5-28追っ手（おって）がかかってるのを知って、どうしていやだと言えましょう！2-31-5-29入れてやります。2-31-5-30そして、安全なようにと沖（おき）へ出ます。2-31-5-31そうしてやっても一文（いちもん）の損（そん）になるわけでもなし、そして、人の生命（せいめい）を助けてやれます。2-31-5-32少なくも、仲間を逃（のが）してやれるわけで。2-31-5-33しかもそうした仲間は、必要なときには、こっちの恩義を忘れずに、お礼ごころに、野次馬（やじうま：見物人）に邪魔（じゃま）されずに荷揚（にあ）げのできる場所を教えてくれたりしますんで」。 2-31-5-34「驚いたな！」と、フランツが言った。2-31-5-35「では、ガエタノ、お前も少しは密輸入をやるというわけなんだな？」。2-31-5-36「いたし方（かた）がございませんので、御前！」と彼は、名状（めいじょう）できない微笑（ほほえみ）とともに言った。2-31-5-37「いろいろなことをやりますんで。2-31-5-38食って行かなくてはなりませんから」。

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引用者：2016/7/10、9/14　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義