３１（１５）初物(はつもの)の味について

2-31-15-1「御自身（ごじしん）お試（ため）し願いましょう。2-31-15-2お試しください。2-31-15-3だが、やってみただけでおやめになってはいけません。2-31-15-4なにごとでもそうですが、感覚（かんかく）というものは、静（せい）なり、動（どう）なり、喜びなり、悲しみなり、つまり新しい衝動（しょうどう）に慣（な）らしてやらなければいけません。2-31-15-5このあらたかな食物にたいしても、いつも天性（てんせい：生まれつきにそうであること）というやつが反撥（はんぱつ）します。2-31-15-6喜びをわすれ、ひたすら悩みに執（しゅう）したがる人間の天性というやつが反撥（はんぱつ）します。 2-31-15-7その天性というやつを、打ち負かせてやるようにするのですな。2-31-15-8『うつつ』をして、夢に従わせるようにするのですな。2-31-15-9そうなると、夢が主人公（しゅじんこう）として君臨（くんりん）することになります。2-31-15-10そして夢が生活（せいかつ：命をつなぎ活動することであり、また生きながらえるために行う様々な活動である ）となり、生活が夢となります。2-31-15-11しかも、こうした変化から、なんと大きな相異（そうい）の生（う）まれることか！2-31-15-12すなわち、現実の生活の悩みと、技巧（ぎこう）の生活の享楽（きょうらく）とをくらべてみて、もう生きるのはいやだ、いつまでも夢を見ていたいと思うようになります。 2-31-15-13もしあなたがこうしたあなたの世界を去って普通人（ふつうじん）の世界にうつられると、おそらくナポリの春を去ってラップランド（Laplandは、スカンジナビア半島のあたり、スウェーデン・ラップランド）の冬にうつりでもしたような気持におなりでしょう。2-31-15-14楽園から地上に、天国から地獄にうつったような気持におなりでしょう。2-31-15-15ひとつハシッシュを味わっていただきましょう。2-31-15-16さあどうぞ！」。 2-31-15-17フランツは、返事をするう代（か）わりに、このすばらしい『ねりもの』を一匙（ひとさじ）、主人の取ったくらいすくいあげ、それを口のはたへ持って行った。2-31-15-18「や、これは！」と、彼は、この効験（こうけん）あらたかなジャムを呑（の）みこんでから言った。2-31-15-19「あとになって、おっしゃるほどの愉快（ゆかい）になれるかどうかは知りませんが、うけたまわったほどうまいもののようにも思われませんが」。 2-31-15-20「それはあなたのお口（くち）のなかが、それの『あらたかさ』にお慣れでないからのことなのです。2-31-15-21お考えになってもごらんください、牡蠣（かき）にしろ、茶（ちゃ）にしろ、麦酒（ビール）にしろ、後ではお好きになったもので、はじめからお好きだったものがあるでしょうか？2-31-15-22ローマ人（びと）が、なぜ雉（きじ）料理（りょうり）に阿魏（あぎ：香辛料）を用（もち）い、シナ人（じん）が、なぜ燕（つばめ）の巣（す）を食べるかおわかりですか？2-31-15-23御存知（ごぞんじ）ない！ 2-31-15-24ハシッシュにしても同じことです。2-31-15-25一週間でよろしい、つづけて召（め）しあがってごらんなさい。2-31-15-26今日（きょう）、不快（ふかい）な嘔吐（おうと：吐き気）を催（もよお）しはしまいかとお思いだったこの味（あじ）の微妙（びみょう）さを、世界（せかい）無比（むひ）のものとお思いになることでしょう。2-31-15-27ともかく、隣（とな）りの室へ参りましょう。2-31-15-28お室は、隣りに取っておきました。2-31-15-29アリにコーヒーを持たせましょう。2-31-15-30それから、煙管（きせる）を出させましょう」。 2-31-15-31二人（ふたり）は立ち上がった。2-31-15-32そして、みずからシンドバッドと称（しょう）し、作者（さくしゃ：デュマ）もまた、客と同じくなんらかの名で呼ばなければならないのでときどきこの名で呼んでいたその男が、なにか下僕（げぼく）に命じているそのあいだに、フランツは、隣りの室といわれたところへはいって行った。2-31-15-33室の装飾は、贅（ぜい）を尽した点では劣（おと）っていなかったが、はるかに簡素（かんそ）なものだった。2-31-15-34室は円形（えんけい）で、大きな寝椅子（ねいす）が周囲を取りまいていた。2-31-15-35だが、椅子といい、壁（かべ）といい、天井（てんじょう：室の上の面）といい、床（ゆか）といい、すべてみごとな、やわらかな『じゅうたん』のように手ざわりのいい、『ふっくら』した毛皮（けがわ）で張りつめられていた。 2-31-15-36雄々（おお）しい鬣（たてがみ）をそなえた、アトラス山（モロッコにある高山の名）の獅子（しし：ライオン）の皮もあった。2-31-15-37輝かしい縞（しま）を見せたベンガル産（さん）の虎（とら：タイガー）の皮（かわ）もあった。2-31-15-38ダンテの神曲のなかに出てくるような、はでな『ぶち』のついた喜望峰（きぼうほう：アフリカ最南端）の豹（ひょう）の皮もあった。2-31-15-39シベリヤの熊（くま）の皮、ノルウェーの狐（きつね）もあった。 ダンテ神曲（地獄篇）（Ｄａｎｔｅ　Ａｌｉｇｈｉｅｒｉ：1265-1321(56)）　 寿岳文章（訳）　集英社文庫 (1-28)(1-29)(1-30)(1-31)(1-32)(1-33)(1-34)(1-35)(1-36)つかれた躯（むくろ）を憩わせることしばらく、再び私は荒涼の斜岸を横切り進む、右足をいつも低めて。だが見よ、絶壁のはじまるあたりに、斑（まだら）の毛皮をきらきらさせ、駿足にしていとも身軽な一匹の豹（ひょう）、突如あらわれ、私の眼前から身をひかぬばかりか、道の行くてに立ちはだかったので、一再ならず私はたじたじと後退（あとじさ）りする。 2-31-15-40これらの毛皮は、ゆたかに重ねられていて、まるで厚（あつ）い芝生（しばふ）をふみ、なごやかなベッドにやすんででもいるような気持にさせた。2-31-15-41二人は寝椅子の上に横たわった。2-31-15-42手のとどくところに、素馨（そけい：ジャスミン）の羅宇（らお：煙管：きせる）、琥珀（こはく）の吸口（すいくち）の幾つかの長煙管（ながキセル）が、二度とおなじ煙をくゆらす必要がないようにととのえられていた。2-31-15-43二人はそれを一本（いっぽん）ずつ取りあげた。2-31-15-44アリは煙管（きせる）に火をつけた後、コーヒーを持ってくるために出て行った。

次へ

引用者：2016/9/17　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義