３０（５）ジュリー宛の手紙

2-30-5-1彼女は、その場に立ったままで、何も言わず、身動きもせずにいた。2-30-5-2しばらくすると、ふたたび戸があいた。2-30-5-3そして彼女は、二本の腕が自分を抱（だ）き、額（ひたい）に触（ふ）れる唇（くちびる）を感じた。2-30-5-4彼女は仰向（あおむ）いて見た。2-30-5-5そして歓喜（かんき）の叫びをあげた。2-30-5-6「マクシミリヤン兄（にい）さま！」と、彼女は叫んだ。2-30-5-7この叫びを聞くと、モレル夫人はかけよって、息子の腕の中に身を投げた。 2-30-5-8「お母さん、」と、青年（せいねん：若者のこと）はモレル夫人と娘とをかわるがわるに見ながら言った。2-30-5-9「どうしたというんです、なにごとが起こったんです？2-30-5-10お手紙を見てびっくりして、大急ぎでやってきたんです」。2-30-5-11「ジュリーや、」と、モレル夫人は、青年のほうをしめしながら言った。2-30-5-12「お父さまに、マクシミリヤンがまいりましたと、申しあげてきて」。2-30-5-13娘は室の外へ飛び出した。2-30-5-14だが、階段に足をかけたとき、手に一通（いっつう）の手紙を持った一人の男が目にはいった。 2-30-5-15「ジュリー・モレルさまではいらっしゃいませんか？」と、男は、強いイタリーなまりで言った。2-30-5-16「はい、」と、ジュリーは口ごもりながら答えた。2-30-5-17「なにか御用（ごよう）で？2-30-5-18わたくし、存じ上げない方（かた）ですが」。2-30-5-19「この手紙をお読みいただきましょう」と、男は手紙を差し出しながら言った。2-30-5-20ジュリーはためらっていた。2-30-5-21「お父さまの御運命（ごうんめい）にかかわることです」と、男は言った。2-30-5-22娘は、男の手から手紙を奪うように取った。2-30-5-23そして、急いで開けてみると、そこには次のようなことが書かれていた。 2-30-5-24ただちにアレ・ド・メランに赴き、十五番地の家に入り、門番より六階（ろっかい）の鍵をもらい、その室に入り、暖炉（だんろ）棚（たな）の隅に置かれたる緋絹（ひぎぬ）レースの財布（さいふ）を取り、これを父上（ちちうえ）に渡さるべし。2-30-5-25右の財布は、十一時以前（いぜん）に父上の手に渡さるることを要す。2-30-5-26御身（おんみ：あなた）は盲目的（もうもくてき）に予（よ：わたし）の命（めい）に従うことを約されたり。2-30-5-27予はその約を忘れざるものなり。 2-30-5-28船乗りシンドバッド 2-30-5-29娘は喜びの叫びをあげ、眼をあげて、わけをきこうと手紙を渡してくれた男を探した。2-30-5-30だが、もう男の姿は見えなかった。2-30-5-31彼女は、も一度（もいちど）読み返そうとして、手紙の上に眼を落とした。2-30-5-32すると、そこに追って書きのあるのに気がついた。2-30-5-33読んでみると、 こは御身みずからただ一人にて果たさるべきものとす。2-30-5-34他人を伴（ともな）わるるか、御身以外の人を遣（つか）わさるるときは、門番（もんばん）は、さることは知らずと答うべし。 2-30-5-35この追って書きは、娘の喜びの気持を甚（はなは）だしくさまたげた。2-30-5-36何かおそろしいことがあるのではないだろうか？2-30-5-37なにか奸計（かんけい）の網が張られているのではないだろうか？2-30-5-38無邪気な彼女としては、その年ごろの娘の身にどういう危険が待っているかは知らなかった。2-30-5-39だが、危険の恐ろしさを知るためには、いままでにそうした恐ろしい目に出会ったことのあることを必要としない。2-30-5-40自分になんだかわからない危険、そうしたものこそ、じつは、一そう（いっそう）大きな恐怖の念を起こさせるところのものなのだった。

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引用者：2016/7/10、9/9　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義