３０（１１）かわいそうに夫人は

2-30-11-1「娘、わけを聞かせてくれ」と、彼は言った。2-30-11-2「この財布をどこで見つけてきたのだね？」。2-30-11-3「アレ・ド・メランの十五番地の家の六階、見すぼらしい小さな室の暖炉棚（だんろ・だな）の隅（すみ）です」。2-30-11-4「では、この財布はお前のではないのだね」と、モレル氏は叫んだ。2-30-11-5ジュリーは、その朝受取った手紙を父親の前へ出した。2-30-11-6「で、お前（まえ）一人（ひとり）でその家へ行ったのか？」と、手紙を読み終わってからモレル氏が言った。 2-30-11-7「お父さま、エマニュエルさんがついて行ってくれましたの。2-30-11-8ミュゼー町の角（かど）で待ってくれるはずでしたが、おかしなことに、わたしが帰ってきたとき、もうそこにはいませんでした」。2-30-11-9「モレルさま！」と、階段のところで呼ぶ声がした。2-30-11-10「モレルさま！」。2-30-11-11「あの人の声ですわ」と、ジュリーが言った。2-30-11-12と同時に、エマニュエルは喜悦（きえつ）と感動（かんどう）とに相好（そうこう：顔つき、表情）を崩（くず）しながらはいってきた。 2-30-11-13「ファラオン号です！」と、彼は叫んだ。2-30-11-14「ファラオン号です！」。2-30-11-15「なんだと？ファラオン号だと！2-30-11-16お前どうかしてはいないか、エマニュエル？2-30-11-17沈没（ちんぼつ）したことを知ってるじゃないか」。2-30-11-18「ファラオン号です、ファラオン号の入港（にゅうこう）を知らせています。2-30-11-19ファラオン号がはいってきます」。2-30-11-20モレル氏は、またもや椅子に腰を落とした。2-30-11-21力が抜けきっていたからだった。 2-30-11-22彼の頭では、こうした信（しん）じ難（がた）い、未曾有（みぞう）の、物語にでもありそうな事件の連続を、どう考えていいかわからなくなっていたのだった。2-30-11-23次にはいってきたのは息子だった。2-30-11-24「お父さん、」とマクシミリヤンは叫んだ。2-30-11-25「ファラオン号が沈んだんですって！2-30-11-26見物台（けんぶつ・だい）があの船の見えたことを知らせています。2-30-11-27もうすぐ港にはいってきます。 2-30-11-28「みんな、」と、モレル氏は言った。2-30-11-29「もしそれがほんとうだったら、神さまのお示しくだすった奇蹟（きせき）と言わねばなるまい！2-30-11-30あり得ないことだ！2-30-11-31あり得ないことだ！」。2-30-11-32だが、動かしがたい事実であるとともに、どう考えていいかわからないのは、いま現（げん）に、彼の手のなかにあるこの財布であり、支払済みの手形であり、それにまたみごとなダイヤモンドだった。2-30-11-33「旦那（だんな）さま！」と、コクレスが叫んだ。2-30-11-34「ファラオン号とはいったいどうしたことでございましょう？」。 2-30-11-35「さあ、みんな、」と、モレル氏は立ちあがりながら言った。2-30-11-36「さ、行ってみよう、もしこれがまちがいだったら、神さま、どうかわたくしどもをお憐（あわ）れみくださいますよう」。2-30-11-37一同は階下（かいか）におりて行った。2-30-11-38階段のなかほどのところに、モレル氏が待っていた。2-30-11-39かわいそうに、夫人はあがってこれずにいたのだった。

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引用者：2016/7/10、9/11　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義