２９（６）だめですなそれでは

2-29-6-1「あの辺では、それだけではだめですな」と、イギリス人が言った。2-29-6-2「わたしだったら、帆（ほ：リー）を四つ（よっつ）縮めて、前檣帆（ぜんしょうほ：ミゼーン）をとってしまいますな」。2-29-6-3力強い、凛（りん）とした、そして待ちもうけていなかったこの声に、一同（いちどう）は思わず『ぎょっ』とした。2-29-6-4ペヌロンは、片手を眼の上にあてがって、自分の船長のやり口（くち）に、こうもしっかりした批判をくだした男を見つめた。 2-29-6-5「ところが、あっしたちは、もっとうまいやり方をしたんでさあ、旦那」と、老会員はいささか敬意をあらわしながら言った。2-29-6-6「後檣梯形帆（こうしょうていけいほ：ブリガンテイース）を捲いて『あらし』の前を駆け抜けようと、風向にしたがって舵を取った。2-29-6-7そして十分（じゅっぷん）たつと、まるで帆なんかなしで走ったもんでさ」。2-29-6-8「そんな危ない真似をするには、船がちょっと古過ぎましたな、」と、イギリス人が言った。 2-29-6-9「そのとおり！2-29-6-10それで、やられちまったっていうわけでさあ。2-29-6-11悪魔が指図（さしず）をしてるんじゃないかと思われるほど、十二（じゅうに）時間がとこも、揺（ゆ）られたあげく、とうとう浸水（しんすい）をはじめました。2-29-6-12『ペヌロン、沈むらしいぜ、さ、おれに舵（かじ）をよこせ、そして船倉（せんそう）におりて見てくれ』。2-29-6-13こう船長が言うもんで、舵を渡して降（お）りてって見ると、もう水は三フィート（３０．５CmX３＝９０Cm）もある。2-29-6-14あっしは、ポンプだ、ポンプだってどなりながらかけあがった。2-29-6-15が、手遅れでした。 2-29-6-16作業をはじめた。2-29-6-17が、掻（か）い出せば掻い出すほど、水かさは増してくる。2-29-6-18『ええ『くそ』！2-29-6-19沈むんなら沈んじまえ、人間（にんげん）一生（いっしょう）に一遍（いっぺん）しきゃ死なねえんだ!』。2-29-6-20四時間働いたあげく、こう言ったもんでさ。2-29-6-21すると『ペヌロン、お前そんな手本（てほん）を出すのか？2-29-6-22ようし！待ってろ！』と、船長が言いやした。2-29-6-23船長は、自分の室へ二挺の（にちょう）のピストルを取りに行きやした。2-29-6-24『誰でもポンプを離（はな）れた奴（やつ）は頭（あたま）に風穴（かざあな）を明けてくれるぞ！』と、こうでさ」。 2-29-6-25「うむ」」と、イギリス人は言った。2-29-6-26「まっとうな理屈（りくつ）くらい元気にするものはありませんな」と、水夫は言葉をつづけた。2-29-6-27「そこへもおってきて、空は明るくなったし、風はやんだし。2-29-6-28が、やっぱし水が増してくることに変りはないんで。2-29-6-29たししてじゃありませんが、一時間にニインチ（２．５CmX２＝５Cm）ぐらいずつ、とにかく増してきてるんでさ。2-29-6-30一時間にニインチと言やあ、あんた、たいしたことではなさそうですがね、十二時間には二十四インチって言やあニフィートで、そのニフィートと前にはいっていた三フィートと合わせると五フィートでさ。2-29-6-31船の腹んなかに五フィート（３０．５CmX５＝１ｍ５２Cm）の水が溜（た）まったとなると、こいつあまるで腹水病（ふくすい・びょう）みたいなものなんで。 2-29-6-32『さ、これでじゅうぶんだ』と、船長が言いやした。2-29-6-33『これでモレルさんもおれたちをお叱（しか）りにはなるまい。2-29-6-34船を助けるためにはできるだけのことをしたんだ。2-29-6-35今度は人間を助けるばんだ。2-29-6-36みんな、ボートに乗れ、ぐずぐずしてちゃいけねえぞ・・・・』」。2-29-6-37「ねえ、旦那（だんな）と、ペヌロンはつづけた。2-29-6-38「あっしたちはファラオン号をかわいがっていたんでした。2-29-6-39でも、船乗（ふなの）りがどんなに自分の船をかわいがったにしたところで、自分の命（いのち）のほうがかわいいもんでさ。2-29-6-40だから船長に二度とは言わせなかった。 2-29-6-41それにね、船のようすを見ていると、情けなそうに『早く行っちまってくれったら。2-29-6-42行っちまってくれったら！』と言ってるように見えるんでさ。2-29-6-43ファラオン号の言ってる言葉に嘘（うそ）はなく、あっしたちの足の下には船の沈んで行くのが感じられだしていたんでした。2-29-6-44素早（すばや）くボートをおろすと、あっしたち八人の者が乗りこみやした。2-29-6-45船長は最後（さいご）におりました。2-29-6-46いや、おりたというよりおりなかった、船を離れようとしなかったんで。2-29-6-47あっしが船長をひっ抱（かか）えて、友だちのほうへほうり出す。 2-29-6-48それからあっしが飛びおりたんです。2-29-6-49間一髪（かん・いっぱつ）っていうやつで、あっしが飛び降りると、甲板（かんぱん）は片舷（かたげん）四十八門の大砲を一度にぶっぱなしたと思われるほどの音をたてて割れちゃいました。2-29-6-50十分（じゅっぷん）たつと、船は舳（へさき）を突っこむ、艫（とも：船尾）が沈む、それから自分の尻尾（しっぽ）を追っかける犬（いぬ）のように、ぐるっとまわって、みんな、あばよ、『ぶくぶくぶく』！・・・・それでおしまい、もうファラオン号の姿は見えない！ 2-29-6-51あっしたちは、三日（みっか）というもの、水（みず）一滴（いってき）飲まず、なに一つ喰わずで、もう誰がいちばん先に他の奴らに喰われるかって相談をはじめてると、ジロンド号が見えました。2-29-6-52合図をする、向こうでも気がつく。2-29-6-53こっちへ向いてきて、ボートを出して助けてくれたっていうわけなんです。 2-29-6-54旦那、ま、こう言ったようなわけなんで、あっしも船乗りだ、言った言葉に嘘（うそ）偽（いつわ）りはありませんや！2-29-6-55な、そうだろう？2-29-6-56みんな、どう思う？」。2-29-6-57一同（いちどう）の感嘆（かんたん）してささやきかわしたのを見ても、話し手の筋道（すじみち）が事実であること、細かい点を見ているように描き出して、一同の承認を得たことは明らかだった。

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2016/9/5　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義