２９（５）ありがたい！損害は

2-29-5-1「乗組員は？」と、モレル氏がたずねた。2-29-5-2「助かりました」と、娘は言った。2-29-5-3「さっき入港したボルドーの船に助けられて」。2-29-5-4モレル氏は、『あきらめ』　と、このうえない感謝の色を浮かべながら両手を高く差しあげた。2-29-5-5「ありがたい、ありがたい！2-29-5-6損害（そんがい）はわたし一人ですんだのだ」。2-29-5-7これを聞きながら、冷静にかまえてはいたものの、イギリス人の目蓋（まぶた）は涙でしめっていた。 2-29-5-8「おはいり」と、モレル氏が言った。2-29-5-9「おはいり。みんな戸口（とぐち）にきていることはわかっているのだ」。2-29-5-10言われたとおり、そしてその言葉が終るか終らぬうちに、モレル夫人が嗚咽（おえつ）の声をたてながらはいってきた。2-29-5-11夫人のうしろにはエマニュエルが従っていた。2-29-5-12奥の、控えの間（ま）のほうには、七八人（しち・はち・にん）の荒（あら）くれた、半（なか）ばは裸（はだか）の海員（かいいん）たちの顔が見えていた。2-29-5-13この男たちを見ると、イギリス人は戦慄（せんりつ）した。2-29-5-14そして、思わずそちらへ進みよろうとするように一歩（いっぽ）前へふみ出したが、思い返して、逆に、書斎（しょさい）のいちばん暗い、いちばん奥まった隅（すみ）にひっこんだ。 2-29-5-15モレル夫人は椅子へ行って腰をおろし、夫の片手を両手で握（にぎ）った。2-29-5-16ジュリーは、あいかわらず父の胸にもたれていた。2-29-5-17エマニュエルは、室の中ほどのところに立ち止まって、モレル親子と、戸口にたたずんでいる海員の間（あいだ）を、取り結（むす）んででもいるようだった。2-29-5-18「どうしたんだ？」と、モレル氏はたずねた。2-29-5-19「ペヌロン、前に出るがいい」と、エマニュエルが言った。2-29-5-20「お話しするがいい」。2-29-5-21赤道（せきどう）の陽（ひ）にやけた老水夫（ろう・すいふ）は、見るかげもない帽子を両手でまるめながら進み出た。 2-29-5-22「今日（こんにち）は、モレルさま」と、彼は、まるで昨日（さくじつ）マルセイユを出て行って、エックスかトゥーロン（マルセイユの近くにある刑務所で名高い町）あたりからでも帰ってきたかのように言った。2-29-5-23「今日は」と、船主は涙（なみだ）のなかにも微笑（ほほえみ）を禁（きん）じ得ないで言った。2-29-5-24「ところで、船長はどこにいるね？」。2-29-5-25「船長ですか、モレルさま、船長は病気でパルマに残っておりやす。2-29-5-26が、おかげさまでたいしたことはねえでしょう。2-29-5-27あなたやあっし同様（どうよう）『ぴんぴん』して、ニ三日（に・さん・にち）のうちに帰って見えると思いやす」。 2-29-5-28「よし・・・・さ、話を聞こう、ペヌロン」と、モレル氏が言った。2-29-5-29ペヌロンは噛煙草（かみ・たばこ）を右の頬（ほお）から左の頬へうつし、口（くち）を手でおおいながら後をふり向き、次の間（ま）のほうへ『ぴゅっ』とくろずんだ唾（つば）を飛ばしてから一足（ひとあし）踏（ふ）み出し、腰（こし）を揺（ゆ）すりながら話し出した。2-29-5-30「そのとき、あっしたちはブラン岬（みさき）とボワヤドオル岬とのまん中あたりを、南西（なんせい）のけっこうな風を受けて走っていやした。2-29-5-31一週間ばかり凪（なぎ：風がなく波が静かな海のようす）で苦しみ抜（ぬ）いたあげくでした。 2-29-5-32そのとき、ゴーマール船長があっしのそばにやってきて、（あっしはそのとき、舵（かじ）を握（にぎ）っていやしたが、）こう言いやした。『ペヌロン親爺（おやじ）、あすこの水平線のところに出てる雲をどう思うな？』ってね。2-29-5-33ちょうどあっしも、そのときその雲を見ていたんでさ。2-29-5-34『どう思うかって、船長、普通（ふつう）の立ち方よりゃ少し早過ぎるようですな、それに『わるさ』をしない雲にしちゃあ、どうやらちっと黒過ぎるし・・・・』。2-29-5-35『おれもそう思う』と、船長が言いやした。2-29-5-36『ともかく用心（ようじん）しようや。2-29-5-37これから出て来る風には帆が多過ぎるぜ・・・・小角帆（しょうかくほ：カトワ）を引きしめて斜檣帆（しゃしょうほ：クラン・フォック）を下に絞（しぼ）っちまえ』。 2-29-5-38折（おり）も折、命令どおりの作業が済（す）まねえうちに、風が追っかけてきやがって、船はたちまちかぶりはじめる。2-29-5-39『ようし！』と、船長が言いやした。2-29-5-40『まだ帆が多すぎるぞ。2-29-5-41大帆（だいほ：グランド・ブオワル）を絞っちまえ！』。2-29-5-42五分（ごふん）たつと大帆は絞られる。2-29-5-43船は前檣帆（ぜんしょうほ：ミゼーン）と角帆（かくほ：ユニユ）と第二接檣帆（せっしょうほ：ペロケ）とで走（はし）っていやした。2-29-5-44『おい、ペヌロン親爺！』と、船長が言いやした。2-29-5-45『そんなに頭を振ってどうしたってんだ？』。2-29-5-46『あっしがお前さんだったら、こんなところに『うろうろ』しちゃいませんぜ』。 2-29-5-47『もっともだ。2-29-5-48いまに『はやて（急に激しく吹き起こる風）』がくるだろう』。2-29-5-49『『じょうだん』じゃねえ』と、あっしは返事をしたもんでさ。2-29-5-50『あすこに出て来たやつを『はやて』だなんてと思ったら、『どえらい』目に会いますから。2-29-5-51ありゃたしかに『しけ（風雨のために海が荒れること）』ですぜ、さもなきゃ、あっしの眼がどうかしてるってもんでさ！』。 2-29-5-52というのは、モントルドン（アフリカの砂嵐有名な所か？場所をとくていできず）で砂埃（すなぼこり）がやってくるのとおなじように、風のやってくるのが見えたからで。2-29-5-53幸いこっちも腕に覚えがあったんでしてね。2-29-5-54『角帆を二つ縮めちまえ！』と、船長がどなる。2-29-5-55『『はらみづな』をゆるめて、風向（かざむき）に桁（けた）をまわすんだ。2-29-5-56角帆を降ろせ、小帆（しょうほ）を帆桁（ほけた）に縛りつけろ！』」。

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2016/9/4　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義