２９（３） ２９（３）
| 2-29-3-1「まず、」とイギリス人はポケットから一束（ひとたば）の書類を取り出しながら言った。2-29-3-2「ここに刑務検察官のボビルさんからお譲りいただいた二十万フラン（二億円）の譲渡証（じょうと・しょう）がございます。2-29-3-3ボビルさんに、この金額をお支払いにならなければならないことをお認めになっていただけましょうか？」。2-29-3-4「認めます。2-29-3-5それはあの方（かた）が、もう五年前になりますが、四分五厘（４５％）の利息でわたしの店にお預けになったものでした」。2-29-3-6「そしてお支払いのほうは？・・・・」。2-29-3-7「今月の十五日に半金、来月の十五日に半金ということになっていました」。2-29-3-8「さようでございます。2-29-3-9それに、今月末払い三万二千五百フランというのがございまして。 2-29-3-10あなたの御署名（ごしょめい）になった手形で、あなたがお振り出しになった第三者（だいさんしゃ）から、わたくしどものほうへ書き換えになったものでして」。2-29-3-11「それも認めます」。生まれてはじめて、約束の履行（りこう）ができないのではないかと思うと、モレル氏は、恥（はずか）しさに『さっ』と顔をあからめずにはいられなかった。2-29-3-12「それだけでしょうか？」。2-29-3-13「いえ、まだ来月（らいげつ）末（すえ）払（ばら）いとして、この手形がございます。2-29-3-14これはマルセイユのパスカル商会とワイルド・アンド・ターナー商会がまわしてよこしましたもので、金額は約五万五千フランばかり。2-29-3-15つまり、全部で二十八万七千五百フラン（２億８７５０万円）ということになります」。 2-29-3-16こうした数字が並（なら：本は列）べたてられている間、モレル氏がどれほど苦しい思いをしたであろうか、とても筆（ふで）にはあらわし得ない。2-29-3-17「二十八万七千五百フラン」と、彼は機械的にくり返した。2-29-3-18「さようでございます」と、イギリス人が答えた。2-29-3-19「ところで、」と、彼はしばらく黙っていたあとで語をつづけた。2-29-3-20「腹蔵（ふくぞう：心の中に包みかくすこと）なく申しあげますと、あなたさまが今日まで非難（ひなん）のない廉直（れんちょく：行いが潔白で正直なさま）な方でおいでだったことは十分（じゅぶん）承知（しょうち）しておるわけですが、マルセイユきっての噂（うわさ）では、どうやらお店を張っておいでになれなくなったとか申すことで」。2-29-3-21こうした、残酷（ざんこく）ともいうべき切り出し方をされて、モレル氏の顔はおそろしいほど青（あお）ざめた。 2-29-3-22「わたしは、」と、彼は言った。2-29-3-23「父からこの店をゆずられて二十四年あまり、それ以前に父も三十五年間店を張ってまいりましたが、今日（こんにち）まで、モレル父子の署名のある手形が会計に差し出されて支払われなかったためしは一度もありませんでした」。2-29-3-24「よく存じております」と、イギリス人は答えた。2-29-3-25「しかし男（おとこ）同士（どうし）のお話です、打ち明けてのお話が願えませんか？2-29-3-26あなたは従前（じゅうぜん：今まで）どおり、『きちん』とこの手形をお支払いくださるおつもりですか？」。2-29-3-27モレル氏はおののいた。2-29-3-28そして、いままでの自分以上の確信をもって、こんなふうに話を進めていく相手の顔をじっと見つめていた。 2-29-3-29「そう打ちあけてのおたずねを受けますと、こちらも打ち明けてお答えしなくてはなりますまい」と、彼は言った。2-29-3-30「さよう、もし、わたしの希望（きぼう）しているように、船が無事にもどりましたら、お支払いいたすこともできましょう。2-29-3-31船さえはいりましたら、次から次の災難で、わたしから離れて行ってしまった信用を取りもどすこともできましょうから。2-29-3-32しかし、不幸にしてあのファラオン号が、すなわち、わたしの頼みにしている最後の綱（つな）が切れでもするようなことがありましたら・・・・」。2-29-3-33哀（あわ）れな船主（ふなぬし）の眼には涙が浮かんでいた。 2-29-3-34「では、」と、相手はたずねた。2-29-3-35「もし最後の望みの綱が切れたときは？・・・・」。2-29-3-36「そのときは、」と、モレル氏はつづけた。2-29-3-37「申しにくいことですが、すでに不幸には慣（な）れております。2-29-3-38恥（はじ）というものにも慣れなければなりますまい。2-29-3-39そのときは、支払い停止をせざるを得なくなります」。2-29-3-40「こうした場合、あなたをお助けしようというお友だちでもおありではないのですか？」。2-29-3-41モレル氏は淋（さび）しく微笑（びしょう）した。2-29-3-42「商売道（しょうばい・どう）には、」と、彼は言った。2-29-3-43「友だちなどいないのです。2-29-3-44これは御存知のことと思いますが。2-29-3-45あるものは、ただ取引先だけというわけです」。 2-29-3-46「なるほど、」とイギリス人はつぶやいた。2-29-3-47「で、いまのあなたには、たった一つの『あて』しかおありにならないというわけですか？」。2-29-3-48「たった一つ」。2-29-3-49「最後の？」。2-29-3-50「最後の」。2-29-3-51「それでは、もしその望みの綱が切れたときは・・・・」。2-29-3-52「破産（はさん）です。完全に破産というわけです」。 |
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ささくら修道会 必読書
2016/9/4 （笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」 初代代表者 笹倉正義