２６（８）カルコントの用心(ようじん)

2-26-8-1「なんで亡くなりました？」と、司祭は不安げに声をかけた。2-26-8-2「そう、飢（う）え死（じ）にだと思いますよ！」。2-26-8-3「飢え死に！」。司祭は椅子の上に踊（おど：本は跳）りあがって叫んだ。2-26-8-4「飢え死に！2-26-8-5どんな卑（いや）しい動物だって飢え死になどするものではありません。2-26-8-6町の中をうろついている犬（いぬ）にしても、情（なさ）けのある人の手によってパンを投げてもらえます。2-26-8-7しかも一人の人、キリストを信ずる一人の人、それが、キリスト教（きょう）信者（しんじゃ）と自（みずか）ら言っている人たちのあいだにあって、飢え死にをさせられるなんて！2-26-8-8そんなことはあり得ません！2-26-8-9おお！そんなことはあり得ません！」。2-26-8-10「わたしはただそう申しあげただけなのですよ」と、カドルッスは言った。 2-26-8-11「お前さんだめだよ」と、階段のところで声がした。2-26-8-12「お前さん、なんでつまらない口出（くちだ）しなんかするんですよ？」。2-26-8-13ふり返った二人は、欄干（らんかん）の柱（はしら）のあいだにカルコントの病（や）みほおけた顔をみつけた。2-26-8-14彼女は、そこまで乗り出してきて、いちばん上の段（だん）に腰（こし）をおろし、膝（ひざ）に顔をのせながら二人の話を聞いていた。2-26-8-15「お前こそなんで口出しするんだ？」と、カドルッスが言った。2-26-8-16「旦那（だんな）がいろいろなことを聞かせてくれとおっしゃるんだ。2-26-8-17礼儀（れいぎ）としてもお話し申しあげなければならないじゃないか」。 2-26-8-18「そうでしょうよ。2-26-8-19でも用心（ようじん）ということを考えたら、お断（ことわ）り申したほうがいいでしょうよ。2-26-8-20どういう下心（したごころ）でお前さんにしゃべらせようとなさるんだか知れたもんじゃないからね、おばかさん」。2-26-8-21「いや、りっぱな下心があってのことなんですよ。2-26-8-22おかみさん、うけ合いますよ」と、司祭が言った。2-26-8-23「御亭主（ごていしゅ）は何もびくびくなさることはないのです、ただ正直（しょうじき）に答えてさえくださればいいのです」。 2-26-8-24「びくびくすることはないんですって？2-26-8-25いつでもはじめはうまいお話ばかりでさあね。2-26-8-26で、何もびくびくすることはないと言って安心させておいて、約束したことなんかケロリと忘れて行ってしまう。2-26-8-27するとある日、どこからきたのかわからないが、とんだ災難（さいなん）が気の毒な一家（いっか）に舞（ま）いこんでくるっていうわけですよ」。 2-26-8-28「御安心（ごあんしん）なさい。2-26-8-29災難が、こちらから降（ふ）りかかって行くようなことは万々（ばんばん）ありませんからね、うけ合いますよ」。2-26-8-30カルコントはなんだか聞きとれない言葉をつぶやいていたが、やがてもたげていた顔をまたがっくりと膝の上に落とし、そして熱にふるえつづけながら、それでもべつに夫の話すのを止めようともしないで、ただ自分ではその一語（いちご）をも聞き洩らすまいとしていた。2-26-8-31そのあいだに司祭は水を幾口（いくくち）か飲んで、いくらか気持を落ちつけた。 2-26-8-32「ところで、」と、彼は言葉をつづけた。2-26-8-33「その気の毒な老人は、そんな死に方をするほどみんなからかまわれないでいたのですか？」。2-26-8-34「おお！」と、カドルッスは言った。2-26-8-35「それはなにも、カタロニヤ村のメルセデスやモレルさんが、ほったらかしといたというわけではありませんや、だた老人は、フェルナンにたいしてはひどく反感を持っていました。2-26-8-36フェルナンというのは、」と、カドルッスは皮肉な微笑を浮かべながら言葉をつづけた。2-26-8-37「つまりダンテスが、その友だちの一人として挙げた男のことですがね」。2-26-8-38「では、ほんとうの友だちではなかったのですか？」と、司祭がたずねた。 2-26-8-39「ガスパール！ガスパール！」と、階段の上から女房（にょうぼう）がささやいた。2-26-8-40「めったなことを言うんじゃありませんよ」。

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引用者：2016/8/28　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義