２６（１０）カルコントの翻意(ほんい)

2-26-10-1「見にこないか！」と、カドルッスは太い声で女房（にょうぼう）に言った。2-26-10-2「まあ、ダイヤモンド！」。カルコントは立ち上がって、かなりしっかりした足取（あしど）りで階段（かいだん）を下（お）りて来た。2-26-10-3「このダイヤモンド、いったいどうしたというんですの？」。2-26-10-4「聞いていなかったのか？」と、カドルッスは言った。2-26-10-5「これは、あの男が、おれたちのために遺言（ゆいごん）をしてのこして行ってくれたというんだ。2-26-10-6まずあの男の親父（おやじ）、それにフェルナン、ダングラール、おれの三人。2-26-10-7それから許嫁（いいなずけ）のメルセデスのためなんだ。2-26-10-8五万フラン（５０００万円）もするんだとよ」。 2-26-10-9「まあ、なんてきれいな！」と、彼女は言った。2-26-10-10「その五分の一だけがわたしたちのものだとおっしゃいましたね？」と、カドルッスが言った。2-26-10-11「そうなんです」と、司祭は答えた。2-26-10-12「それにダンテスの父親（ちちおや）のぶんが加わります。2-26-10-13これはみなさん四人の方にお分けしていいと思っています」。2-26-10-14「でも四人とは？」と、カルコントがたずねた。2-26-10-15「なぜって、あなた方（がた）四人はエドモンのお友だちじゃありませんか？」。 2-26-10-16「人を裏切ったりするものなんて、友だちとは言えませんよ」と、今度（こんど）は女房が低くつぶやいた。2-26-10-17「そうそう、」と、カドルッスが言った。2-26-10-18「おれもそれを言っていたんだ。2-26-10-19裏切り、おそらく罪といってもいいほどのことをしたやつに褒美（ほうび）をやるなんて、それは間違（まちが）ったことだからな。2-26-10-20神をけがすことだからな」。2-26-10-21「それもあなたのお心柄（こころがら）次第（しだい）でしてね」。2-26-10-22司祭はダイヤモンドをポケットにしまいながらしずかに言った。2-26-10-23「さあ、そこでエドモンの友だちの住所（じゅうしょ）を教えてくれませんか。2-26-10-24あの男の最後の願いを果してやろうと思いますから」。 2-26-10-25ポタポタと、汗がカドルッスの額（ひたい）から流れ落ちていた。2-26-10-26彼は、司祭が立ちあがって、さもちょっと馬（うま）に目で合図（あいず）をするためでもいったように戸口（とぐち）のほうへ歩いて行き、そしてまた立ちもどってくるのを見た。2-26-10-27カドルッスと女房とは、なんとも言いようのない顔つきをして互いに顔を見合わせた。2-26-10-28「ダイヤモンドは、すっかりおれたちのものになるだろうぜ」と、カドルッスは言った。2-26-10-29「そう思う？」と、女房が答えた。 2-26-10-30「司祭さんだ、まさか、おれたちを騙（だま：本は欺）したりもしまいじゃまいか？」。2-26-10-31「では、いいようにおしなさいよ」と、女房が言った。2-26-10-32「あたしは口出しをしないから」。こう言って彼女はブルブル身ぶるいをつづけながら階段のほうへもどって行った。2-26-10-33燃えるような暑さだったが、彼女は歯をガタガタいわせていた。2-26-10-34彼女は階段をのぼりつめたところでちょと立ち止まって、「よく考えてね、ガスパール！」と、言った。2-26-10-35「決心したよ」と、カドルッスが言った。 2-26-10-36カルコントは、溜息（ためいき）を一つつきながら部屋（へや）のなかへはいって行った。2-26-10-37そして、足の下にきしみを立てる天井（てんじょう）の音は、彼女が安楽（あんらく）椅子（いす）までたどりつき、そこにどっかり腰をおろすときまでつづいていた。2-26-10-38「どういう決心（けっしん）がおつきでしたな？」と、司祭がたずねた。2-26-10-39「すっかりお話ししようと決心しました」と、カドルッスが答えた。2-26-10-40「ほんとに、それがいちばんいいと思いますよ」と、司祭が言った。2-26-10-41「何もあなたがかくしたいと思っておいでのことを、是（ぜ）が非（ひ）でもお聞きしたいというのじゃないのでしてね。2-26-10-42ただ、あの男の贈り物を、贈（おく）り主（ぬし）の望みに添（そ）うように分けられるようにしてくだすったら、それがなによりだと思うのですよ」。 2-26-10-43「そうしたいと思います」。カドルッスは、希望（きぼう）と利欲（りよく）に両頬（りょうほお）をほてらしながらこう答えた。2-26-10-44「伺（うかが）いましょう」と、司祭は言った。2-26-10-45「お待ちください」と、カドルッスが言った。2-26-10-46「話のいちばんおもしろいところで邪魔（じゃま）がはいってはいけませんから。2-26-10-47それに、あなたがここへいらしったことを、べつに人に知らせる必要もありませんし」。2-26-10-48こう言いながら、彼は戸口へ行き、扉（とびら）を閉（し）めてから、用心の上にも用心して閂（かんぬき）までも『さし』てしまった。 2-26-10-49そのひまに、司祭は話のよく聞ける席を選び、そして、自分が『かげ』になっていられるように隅（すみ）のところに座（ざ）を占（し）めた。2-26-10-50したがって相手の顔には、光が真正面（ましょうめん）から落ちることになったのだった。2-26-10-51司祭は頭を垂（た）れ、手は、組（く）むというよりむしろ痙攣（けいれん）的（てき）に握（にぎ）りしめ、全身（ぜんしん）を耳にして、いざ聞こうと身（み）がまえた。2-26-10-52カドルッスは腰掛（こしかけ）を近寄（ちかよ）せて、彼の前に座（ざ）を占（し）めた。 2-26-10-53「あたしがすすめたんでないことだけは覚（おぼ）えていてくださいね！」と、カルコントのふるえ声が聞こえた。2-26-10-54まるで床板（ゆかいた）を通して、これから起ころうとする場面を見通してでもいるようだった。2-26-10-55「いいとも、いいとも、」と、カドルッスは言った。2-26-10-56「そのことはもう言わなくてもいいさ。2-26-10-57おれがすっかり引き受けてるんだ」。2-26-10-58こう言いながら話をはじめた。

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引用者：2016/8/28　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義