２５（５）カドルッスの消息

2-25-5-1それに、父の住居を思い出させるようなものは、なに一つ見当らなかった。2-25-5-2壁紙（かべがみ）までがちがっていた。2-25-5-3すべての古い家具（かぐ）、ダンテスにとって子供時代からの馴染（なじみ）であり、その細かいところまで『はっきり』記憶に残っているすべてのものは、どこを見まわしても見つからなかった。2-25-5-4かわっていないものは壁だけだった。2-25-5-5ダンテスは、ベッドのほうへ目をやった。2-25-5-6それは、以前（いぜん）父親の住んでいたときと同じ場所におかれていた。2-25-5-7ダンテスの目は、われにもあらず涙にくもった。 2-25-5-8老人は、わが子の名を呼びながら、おそらくそこで最後（さいご）の息を引き取ったにちがいなかった。2-25-5-9若い夫妻（ふさい）は、この険（けわ）しい額（ひたい）をした男が、眉毛（まゆげ）一本（いっぽん）動かさず、頬（ほお）の上に大粒（おおつぶ）の涙を流しているのを見て驚いた。2-25-5-10だが、あらゆる悲しみには、それぞれ神聖な理由のあることを思った二人は、この見知らぬ人に向かってなにも問いかけようとはしなかった。2-25-5-11二人は、後（うしろ）にさがって、思いのままに泣かせてやった。2-25-5-12そして、帰ろうとする彼を見送りながら、来たいときにはいつでもきてくれるよう、いつでも喜んでこの貧しい住居に迎えようと言ってくれた。 2-25-5-13一階（いっかい）下（した）までおりて行きながら、ダンテスは、も一つの戸口（とぐち）に立ち止まり、そこに、昔のまま仕立屋（したてや）のカドルッスが住んでいるかどうかをたずねた。2-25-5-14ところが門番（もんばん）の答えたところによると、彼は仕事に失敗して、いまはベルガルドからボーケールへ通（かよ）う街道（かいどう）のほとりに、ささやかな旅籠屋（はたごや：食事付きの宿泊施設）を出しているということだった。 ---門番は、ダンテスに同行している。 2-25-5-15下までおりたダンテスは、このアレ・ド・メランの家（いえ）の所有者（しょゆうしゃ）の番地を聞いた。2-25-5-16そして、そこへ出かけて行った彼は、自分はウィルモア卿でありと名乗って（彼の旅行券（パスポート）にはこの名と称号（しょうごう）とが記（しる）されていた）、その家を二万五千フラン（２５００万円）で買い取ることに話をきめた。2-25-5-17それは時価（じか）にくらべて、まさに一万フラン（１０００万円）もの高値（たかね）だった。2-25-5-18だがダンテスは、たといそれが五十万フランときかされても、喜んで支払ったにちがいなかった。 2-25-5-19その日のうちに、六階に住んでいる二人の若い夫妻は、契約書（けいやくしょ）を作製（さくせい）した公証人（こうしょうにん）の口から、今度の新しい所有者が、おなじ家賃（やちん）で、その家のどの室でも勝手（かって）に選んでくれていい、そのかわり、いまいる二つの室だけを譲（ゆず）ってもらいたいということを聞かされた。2-25-5-20このふしぎなできごとは、いつもアレ・ド・メランを行き来（いきき）している人たちのあいだに、一週間（いっしゅうかん）以上にわたっての話題（わだい）となった。2-25-5-21そしてさまざまな推測（すいそく）がくだされたが、どれ一つとして正鵠（せいこく：急所：物事のねらいどころ）をつかんだものではなかった。 2-25-5-22だが、とりわけ人々の頭を混乱させ、その考えをはぐらかしたのは、あのアレ・ド・メランの家へはいったその人が、その日の夕方（ゆうがた）、カタロニヤ村のなかを散歩（さんぽ）しているのを見かけたこと、そして、一軒（いっけん）の貧（まず）しい漁師（りょうし）の家へはいっていって、そこに一時間以上も足を留（と）め、いまは死んだ人々のこと、或いは十五年、十六年も前に姿をかくした人々についていろいろたずねたということだった。 2-25-5-23そうした日の翌日、彼が訪れていろいろ話を聞かせてもらった家の人々は、地曳網（じびきあみ）が二つと、大曳網（おおびきあみ）が一つついた真新（まあた）らしいカタロニヤ風（ふう）の船を一艘（いっそう）贈（おく）られた。2-25-5-24正直（しょうじき）な人々は、こうした大（おお）まかな贈り主に向かって、なんとか礼を言わなければと思った。2-25-5-25だが人々は、その男が、家を出るなり一人の船員になにか命令し、そのまま馬にまたがると、エクス門を通ってマルセイユの町を去った姿を見たのだった。 ---ダンテスは、カドルッスに会いに出かけた。門番の話では、カドルッスは、ベルガルドからボーケールへ通う街道のほとりに、ささやかな旅籠屋を出しているということだった。

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引用者：2016/8/26　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義