２４（１）どこからか見られている

2-24-1-1太陽は、ほとんどその一日（いちにち）の歩（あゆ）みの三分の一ほどのところに達（たっ）していた。2-24-1-2そして五月（ごがつ）の光は、熱く、溌剌（はつらつ）として、これらの岩を照らしていた。2-24-1-3岩（いわ）自身（じしん）にも、暑さが感じられてでもいるようだった。2-24-1-4繁（しげ）みに姿をかくしている幾千（いくせん）かの蝉（せみ）は、その単調（たんちょう）な、連続した声を響かせていた。2-24-1-5ミルトとオリーブの葉は、顫（ふる）えながらそよぎわたって、ほとんど金属性（きんぞくせい）な音をたてていた。 2-24-1-6ほてった花崗岩（かこうがん）の上を行くダンテスの一足（ひとあし）ごとに、まるでエメラルドといったような『とかげ』が走った。2-24-1-7遠く勾配（こうばい）になったところには、野生（やせい）の山羊（やぎ）の跳（と）びはねるのが見られた。2-24-1-8それが時折（ときおり）、猟夫（りょうふ）をこのあたりへまで誘（さそ）うのだった。2-24-1-9こうして、この島には住んでいるものもあり、生きものもいることはいた。2-24-1-10だが、ダンテスは、主（しゅ）のみ手の下（した）に、自分はただ一人（ひとり）きりだと思っていた。 2-24-1-11彼は、なぜとも知らず、一種（いっしゅ）怖（おそ）れに似た気持を感じた。2-24-1-12それは、沙漠（さばく）のなかにあってもなお見まもっている目を感じる、あの白日（はくじつ：隠すところがなく、いっさいを人に知られる）にたいする警戒（けいかい）の気持ちだった。2-24-1-13この気持（きもち）はじつに強かった。2-24-1-14そしてダンテスは、いざ仕事に取りかかろうというまぎわになって、たちまち立ち止まり、鶴ハシを置き、銃を手にして、それからも一度（もいちど）、島で一番（いちばん）高い岩の上までよじのぼり、身のまわり一円（いちえん）にたいして、ひろく眼差しを投げてみた。 2-24-1-15だが、もちろんそのときの彼の注意（ちゅうい）を集めたものは、決してあの趣（おもむ）きの深い、そしてその家々（いえいえ）まで見えているコルシカ島（とう）でもなければ、その向うに列（つら）なってほとんど忘れられたようなサルジニア島でもなく、壮大（そうだい）な思い出（ナポレオンの最初に流された島（しま））をもったエルバ島でもなく、また水平（すいへい）の彼方（かなた）、船人（ふなびと）の馴（な）れた目をもって見れば、そこにあの壮麗（そうれい）なジェノワ（＝ジェノバ）と、商業（しょうぎょう）をもって聞こえたリブールヌ（＝リボルノ）の港が見わけられる縹渺（ひょうびょう：はてしなく広いさま）たる海際（うみぎわ）の一線（いっせん）でもなかった。 2-24-1-16いな、それは今日（きょう）の明け方（あけがた）出て行ったブリガンテン（帆船）の影、そして、さっき出て行ったばかりのタルターヌ（帆船：ジャコポが乗っている仲間の船）の影にほかならなかった。2-24-1-17第一のもの（ブリガンテン）は、まさにボニファチオの海峡に姿をかくそうとしていた。2-24-1-18第二のもの（タルターヌ）は、それと反対の航路（こうろ）を取って、コルシカの岸に沿って、まさにそこを通り過ぎようとしていた。

2-24-1-19これを見てダンテスは安心した。2-24-1-20そこで、もっと手近（てぢか）に自分を取りまいているものの上に目をうつした。2-24-1-21彼はいま自分が島一番（しまいちばん）の高い地点（ちてん）、円錐形（えんすいけい）の大きな台石（だいいし）の上に、危（あぶ）なげな立像（りつぞう）とでもいったように立っているのを見た。2-24-1-22下を見れば人っ子（ひとっこ）一人（ひとり）いない。2-24-1-23まわりには船（ふね）一艘（いっそう）見えない。 2-24-1-24目に入るものは島に寄（よ）せて砕（くだ）け散（ち）る藍碧（らんぺき：あいのように濃い緑色：あおみどり：本は碧藍）の海。2-24-1-25岸は、永遠に来り砕ける波によって、白銀（はくぎん）に縁（ふち）どられているのだ。 2-24-1-26彼は急ぎ足に、しかもじゅうぶん注意をしながらおりて行った。2-24-1-27彼は、さっき巧（たく）みに効果（こうか）あるお芝居（おしばい）としてやってのけたことが、今度（こんど）は事実（じじつ）として起こることを警戒（けいかい）していた。 2-24-1-28前にも言ったように、ダンテスは、岩々の上に残された目じるしと逆のほうへ向かって進んで行った。2-24-1-29そしてその線が、ちょうど昔の《女神の泉》とでもいうように、人目（ひとめ）からかくされている小さな入江（いりえ）のようなところへ達しているのを見た。2-24-1-30その入江は、入口のところがかなり広く、中央はかなり深かったので、スペロナール型の小さな帆船なら、そこにはいってこっそりかくれることができた。2-24-1-31そこで彼は、ファリア司祭がいかにも巧みにたどってみせた、蓋然性（がいぜんせい：知識・判断などの確かさの程度）の迷路のなかをたどる帰納（きのう：個々の具体的事実を総合して、一般的な原理・法則を導き出すこと）の糸というやつをたぐって、これはてっきり枢機員（すうきいん）のスパダが、人に見られないように、舟をここの入江にかくしておいて、目じるしの線をたどり、その線の端（はし）に宝を埋めたにちがいないと思った。2-24-1-32こう推定（すいてい）したダンテスは、ふたたびあの円形をした岩のところまで帰って行った。

次へ

引用者：2016/8/7　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義