２２（３）ジャコポの気持ち

2-22-3-1そして、もちろんこうした大事（だいじ）の場合にそなえるためであろう、ダンテスは、船長が、陸（りく）のほうへ近づいて行きながら、二挺（にちょう）の小さな長砲（ちょうほう：ゲールブリーン）を台座（だいざ）の上に乗せるのを見た。2-22-3-2それはフュジ・ド・ランバール（小銃より少し重く、いまの機関銃といったようなもの）に似ていて、あまり大きな音をたてずに、四つが一ポンド（４個で４５０ｇ）くらいの弾丸（だんがん）を千歩（せんぽ）ばかりの距離まで発射（はっしゃ）することができるのだった。2-22-3-3だがその晩、用心（ようじん）はまったく無用だった。2-22-3-4すべてはきわめて平穏（へいおん）に、きわめて順調におこなわれた。 2-22-3-5四艘（よんそう）のランチ（ｌａｕｎｃｈ：小型の蒸気船）は音をひそませながら本船（ほんせん）に近づいてきた。2-22-3-6こちらでもその挨拶（あいさつ）のつもりだろう、船のランチを一艘おろした。2-22-3-7この五艘（ごそう）のランチの働きで、午前二時には、すべての積荷がジュヌ・アメリー号から陸にとうつされてしまった。2-22-3-8その晩のうちに、賞与金の分配（ぶんぱい）がおこなわれた。2-22-3-9船長は、それほどきちょうめんな男だった。2-22-3-10おのおのトスカナ（イタリヤ・トスカナ国）貨幣（かへい）で百リーブルをもらった。2-22-3-11それはわが国（フランス）の貨幣でおよそ二十五フラン（25,000円）に当っていた。 2-22-3-12だが、航海（こうかい）はこれで終りではなかった。2-22-3-13船は舳（へさき）をサルジニヤに向けた。2-22-3-14積荷をおろした船に、さらに荷を積みに行くのだった。2-22-3-15今度の仕事も、最初のぶんに劣（おと）らず上首尾（じょうしゅび）に行われた。2-22-3-16ジュヌ・アメリー号はまったく有卦（うけ：幸運）に入（い）っていた。2-22-3-17今度の積荷はリュック公国へ行くものだった。2-22-3-18それはほとんど大部分ハバナの葉巻（はまき：タバコ）、ヘレスとマラガの葡萄酒だった。 2-22-3-19ところが、船はそこで、ジュヌ・アメリー号の船長にとって永遠（えいえん）の仇同士（かたきどうし）である税関（ぜいかん）とのあいだに悶着（もんちゃく）をおこした。2-22-3-20一人の税関吏はその場で殺され、乗組員の二人は手創（てきず）を負った。2-22-3-21ダンテスはこの二人のうちの一人だった。 2-22-3-22一発の弾（たま）が、彼の左の肩を貫（つらぬ）いた。2-22-3-23ダンテスは、この小ぜりあいをほとんど愉快（ゆかい）にさえ思い、手創を受けたことを満足にさえ思っていた。2-22-3-24この小ぜりあいとこの手創（てきず）、こうした二つの手荒（てあら）な教訓（きょうくん）によって、彼は自分がいかなる態度（たいど）で危険（きけん）に臨（のぞ）み、どれほどな胆力（たんりょく）をもって苦痛（くつう）に堪（た）え得（え）るかということを教えてもらった。2-22-3-25彼は喜んで危険に臨んだ。 2-22-3-26そして自分が傷ついたとき、ギリシャの哲学者（てつがくしゃ）とおなじように、《苦痛（くつう）よ、汝（なんじ）は悪（あ）しきものにあらず》ということができた。2-22-3-27それに、彼は致命傷（ちめいしょう）を受けた税関吏を見た。2-22-3-28彼は、闘争（とうそう）に逆上（ぎゃくじょう）したためか、人間的な感情が冷却（れいきゃく）してしまったためか、それを見て僅（わず）かの感情だけしか動かさなかった。 2-22-3-29ダンテスは、これから進んで行くべき路（みち）の上に立っていた。2-22-3-30その目的に向かって進んで行っていた。2-22-3-31そして、彼の心は、その胸のなかで化石しようとしていたのだった。 ---彼は復讐（ふくしゅう）という目的があった、それは、心を動かすことなくやり遂（と）げようとする感情の制御ができなければならぬ。 2-22-3-32それにジャコポは、彼が倒れるのを見ると、てっきり『やられた』と思い込み、飛んできて助け（たすけ：本は救）起こしてくれた。2-22-3-33そして、助け起こしたそのあとで、このうえもない親切な朋輩（ほうばい：主人あるいは先生が同じである友だち）としての看護（かんご）をしてくれた。 2-22-3-34つまり世の中は、パングロス博士（ボルテールの『カンディド』に出て来る人物の名）の考えたほど善良（ぜんりょう）なものでもなければ、ダンテスが考えたほど悪意（あくい）にみちたものでもなかった。2-22-3-35なぜかといえば、朋輩が死ねば、その男のぶんの賞与金までもらえるはずの男の殺されかかったのを見て、ジャコポはこれほど真剣に心配してくれたではなかったか。 2-22-3-36いいあんばいに、前にも言ったように、ダンテスはただ負傷しただけだった。2-22-3-37サルジニヤの老婆（ろうば）たちの手から密輸入者に売られる、或る時期に摘（つ）まれた或る種（しゅ）の薬草（やくそう）、そうした薬草のおかげで、創口（きずぐち）はひじょうに早く回復（かいふく）した。2-22-3-38ダンテスは、ジャコポを誘（さそ）ってみようと考えた。2-22-3-39そして看護の礼として、自分の賞与金の配当（はいとう）を贈（おく）ろうとした。2-22-3-40ところがジャコポは憤然（ふんぜん）としてこれをしりぞけた。 2-22-3-41ジャコポが、はじめてダンテスに会ったときから彼にしめしたこうした親切（しんせつ）な行為（こうい）によって、ダンテスは彼にたいして或る程度（ていど）の愛情を感じはじめていた。2-22-3-42だが、ジャコポとしては『もう』それだけで満足だった。2-22-3-43彼は、本能的に、ダンテスがいまの地位（ちい）よりずっとすぐれた人間であることを見抜（みぬ）いていた。2-22-3-44ダンテスは、それをほかの連中（れんちゅう）にはみごとに隠（かく）しおおせていた。2-22-3-45そして、ジャコポは、ダンテスからしめされたわずかばかりの好意だけで、じゅうぶん満足していたのだった。

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引用者：2016/7/18　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義