２１（８）ジャコポ

2-21-8-1「そりゃいけねえ」。2-21-8-2ダンテスを海から助けた男が言った。2-21-8-3「お前さん、おれたちよりも腕がいいや」。2-21-8-4「何をよけいなくちばしを入れる？2-21-8-5ジャコポ、手前（てめえ）の知ったこっちゃねえ」と、船長は言った。2-21-8-6「自分のいいと思った給金で約束（やくそく）するのがなんで悪い」。2-21-8-7「そりゃあそうでさ」と、ジャコポが言った。2-21-8-8「まあちょっと気のついたことを言ってみただけのことでさあ」。 2-21-8-9「そんならそれで、よけいなことを言ってるひまに、それ、手前（てめえ）着替（きが）えを持ってるなら、この素っ裸（すっぱだか）の若い衆（しゅう）に、ズボンと服を出してやれ」。2-21-8-10「着替えはないが、」とジャコポは言った。2-21-8-11「でも、シャツとズボンがありまさあ」。2-21-8-12「それだけあったらけっこうさ」と、ダンテスが言った。2-21-8-13「ありがとう」。2-21-8-14ジャコポは昇降口（しょうこうぐち）から滑るようにおりて行ったが、しばらくするとシャツとズボンを持って上ってきた。2-21-8-15ダンテスは、口（くち）に尽せぬうれしさで、それを自分の身につけた。 2-21-8-16「さあ、まだそのほかに何かいるかな？」。2-21-8-17「パンをください。2-21-8-18それにさっき飲んだあのすばらしいラム酒（しゅ）を一口（ひとくち）。2-21-8-19ずいぶん長いことなんにもやらずにいたんですから」。2-21-8-20なるほど、もう四十時間ほどにもなるのだった。2-21-8-21パンが運ばれた。2-21-8-22そしてジャコポは水筒（すいとう）を彼に渡した。 2-21-8-23「左舷（さげん）取り舵（とりかじ：船首を左へ向けるときのかじの取り方->反対は面舵（おもかじ）！」と、船長は、舵手（だしゅ）のほうをふり返りながら言った。2-21-8-24ダンテスは、水筒を口へ持っていきながら、そのほうをチラリと見た。2-21-8-25だが、水筒を飲みかけたばかりのところへ、「や！」と船長が不審（ふしん）を打った。2-21-8-26「なにかシャトー・ディフに起こったな？」。 2-21-8-27ダンテスの注意（ちゅうい）を惹（ひ）いた軽い白い雲は、いまシャトー・ディフの南（みなみ）砲台（ほうだい）の銃眼（じゅうがん）の上を取りまいてあらわれはじめたところだった。2-21-8-28やがて、はるかな砲声（ほうせい）が、ようやく船まで聞こえてきた。2-21-8-29水夫どもは頭をあげて、互いに顔と顔を見合わせた。2-21-8-30「なんだろう？」と、船長は言った。 2-21-8-31「囚人がゆうべ逃げたんですな」と、ダンテスが言った。2-21-8-32「それで警報発射をやったんだな」。2-21-8-33船長はそう言いながら、水筒を口にあてていた青年のほうを、『ちらり』と一瞥（いちべつ）した。2-21-8-34だが、青年は、なかにはいっていた酒（さけ）を、落ちつくはらって、いかにも満足そうに味わっていた。2-21-8-35で、たとえ、船長の心にふとした疑いの気持が湧（わ）いたにしても、それは、心に浮かんだかと思う間（ま）に消えてしまった。 2-21-8-36「いや、べらぼうに強いラムだな」と、シャツの袖（そで）で汗（あせ）の流れる額（ひたい）を拭（ふ）きながらダンテスが言った。2-21-8-37「どっちにしても、」と、船長はダンテスのほうを見ながらつぶやいた。2-21-8-38「こいつがその男であったにしても、それもかえっていいだろう。2-21-8-39骨っ節（ほねっぷし）の強い野郎（やろう）を手に入れたというわけだから」。 2-21-8-40疲れているという口実（こうじつ）で、ダンテスは舵（かじ）のところに坐らせてほしいと言った。2-21-8-41舵手（だしゅ）は、おかげで楽（らく）のできるのを喜びながら、船長の思惑（おもわく）をうかがった。2-21-8-42船長は、ダンテスに舵（かじ）を任（まか）せていいと顎（あご）で知らせた。

次へ

引用者：2016/7/17　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義