２１（６）マルタ生まれの者

2-21-6-1船は進路をつづけていたが、彼がはじめてその目で見とどけようとしたのは、船がどの方向を取っているかということだった。2-21-6-2船はシャトー・ディフから『どんどん』遠ざかって行きつつあった。2-21-6-3ダンテスはまったく疲れきっていた。したがって、彼のあげた喜びの叫びは、苦しさのあまりの溜息（ためいき）とまちがえられた。 2-21-6-4いまも言ったように、彼は甲板（かんぱん）の上に寝かされ、一人の水夫は彼の四肢（よんし：手足）を毛皮（けがわ）でこすってくれていた。2-21-6-5も一人の男、どうやらさっき「しっかりしろ！」と怒鳴（どな）ってくれたらしい男は、自分の口に水筒（すいとう）の液体（えきたい）を注ぎこんでくれていた。2-21-6-6第三の男、水先（みずさき）案内（あんない）兼（けん）船長といったような老年（ろうねん）の海員は、一種（いっしゅ）の自己本位（じこほんい）からといった同情（どうじょう）の気持で彼をながめていた。2-21-6-7それは、たとえ次の日は自分の番（ばん）かもしれないが、少なくもついいましがた、自分たちだけはうまくのがれることのできた不幸を振りかえってみているといった気持だった。 2-21-6-8水筒のなかのラム酒（さとうきびを原料にした酒）の幾滴（いくてき）かは、弱りきっていた青年の心臓（しんぞう）に新しい命を齎（もた）らしてくれた。2-21-6-9そして、前にしゃがんでいる水夫から毛の布片（ぬのへん）でこすってもらって、四肢にも『しなやかさ』がもどってきた。 2-21-6-10「君は何者（なにもの）だね？」と、下手（へた）なフランス語で船長がたずねた。2-21-6-11「マルタ生まれの船乗りです」。ダンテスは、これも下手なイタリー語で答えた。2-21-6-12「シラキュズ（シチリヤ島のシラクサのことであろう）からきました。2-21-6-13葡萄酒（ブドウしゅ）とパノリン（オリーブ油のことであろう）を積んでいました。2-21-6-14ところが、ゆうべの『しけ』にモルジウ岬（みさき）でやられました。2-21-6-15ほら、あそこの岩でやられたんです」。 2-21-6-16「どこから泳いできたんだね？」。2-21-6-17「あそこに見える岩からです。2-21-6-18うまくあそこにかじりつくことができました。2-21-6-19船長さんは、かわいそうに頭を割られてしまいました。2-21-6-20仲間も三人やられました。2-21-6-21生き残ったのはおそらくわたし一人でしょう。2-21-6-22そこへこの船が見えたのでした。2-21-6-23下手をすると、あの人っ子（ひとっこ）一人（ひとり）いない島のなかに長いこといることになるだろうと思って、運を天に任せて船の角材に取りつき、ここまでこようとしたんです。2-21-6-24ありがとうございました」と、ダンテスは言葉をつづけた。 2-21-6-25「おかげで命拾（いのちびろ）いをしました、水夫の人から髪を引っつかんでもらったとき、わたしはだめになっていたのでした」。2-21-6-26「それはおれだったんだ」。2-21-6-27気さくな、人のいい顔つきをした、黒い、長い頬鬚（ほおひげ）を生（は）やした水夫が言った。2-21-6-28「よかった、よかった。2-21-6-29沈んじまおうとしていたっけ」。2-21-6-30「そうでした」。2-21-6-31ダンテスはその男のほうへ手を差しのべながら言った。2-21-6-32「そうでした。2-21-6-33も一度お礼を言いましょう」。 2-21-6-34「いやじっさい、」と、水夫は言った。2-21-6-35「はじめはちょっと『タジタジ』したな。2-21-6-36なにしろ六寸（ろくすん：６Ｘ３．０３＝１８Ｃｍ）もあろうというその髯（ひげ）と、一尺（いっしゃく：３０Ｃｍ）もあろうという髪（かみ）の毛（け）だから。2-21-6-37『じみち』な人間（にんげん）というよりも、山賊（さんぞく）というに近かったからな」。2-21-6-38ダンテスは、自分がシャトー・ディフにはいってから、髪も刈（か）らなければ髯も剃（そ）らなかったことを思い出した。 2-21-6-39「そうなんです」と、彼は言った。2-21-6-40「ちょっと危（あぶ）ない目にあったとき、ノートル・ダム・デル・ピエテ・ラ・グ・ロタに、髪にも髯にも十年間手を入れないという願をかけていたのでした。2-21-6-41今日（きょう）は、その願明（がんあ）けの日に当っていました。2-21-6-42その記念の日に、危なく溺れ死にかけたというわけでした」。2-21-6-43「で、これからどうしてもらいたいというんだね」と、船長がたずねた。

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引用者：2016/7/17　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義