２１（２）ああ！ティブラン島

2-21-2-1牢（ろう）のなかで、ファリアは、青年がぐったりしているのを見ると、こうした言葉をくり返した。2-21-2-2「ダンテス君、だらけてはだめだぞ、逃げようとするとき、力がしっかり鍛（きた）えられていないと、あなたは溺（おぼ）れてしまうからな」。2-21-2-3重く、苦（にが）い潮（しお）の下（もと）で、この言葉（ことば）がダンテスの耳に響（ひび）いた。2-21-2-4彼は大急ぎで水面へ泳ぎのぼると、じっさい自分が力（ちから）を失ってはしないか、ためしてみようと思って抜き手を切った。 2-21-2-5そして、あの心にもない無活動の生活のため、まだ力（ちから）と敏捷（びんしょう）さとが失われなかったと知ったときはうれしかった。2-21-2-6そして、ずっと小さい子供のころ、よく水中（すいちゅう）で戯（たわむ）れ遊（あそ）んだときと同様、いまもなお自分が水を征服（せいふく）していることをはっきり感じた。2-21-2-7それに、恐怖（きょうふ）という足の速（はや）い追撃者（ついげきしゃ）が、ダンテスにさらに力をあたえた。2-21-2-8波（なみ）の背に身をもたせながら、なにかもの音が聞こえてきはしないかと耳を澄（す）ました。2-21-2-9波の頂（いただ）きに乗り上げるたびに、素早（すばや）い眼差しで見えるかぎりの水平を見わたし、深い暗（あん）のなかをうかがった。 2-21-2-10ほかの波よりいくらか高い一つの波がくるたびに、追手（おって：追跡者）の船ではないかと思った。2-21-2-11そして、さらに力をこめて泳ぎながら、シャトー・ディフから遠（とお）ざかって行った。2-21-2-12だが、こうしたことをくり返しているうちに、見るみる力は落ちて行った。2-21-2-13それでも彼は泳ぎつづけた。2-21-2-14いまはあの恐ろしい城（シャトー・ディフ）も、闇（やみ）のなかに溶（と）けこみ、それと見分けもつかなくなり、ただ、その在ることだけが感じられているだけだった。2-21-2-15一時間の時がたった。2-21-2-16その間（かん：あいだ）、ダンテスは、全身にみなぎる自由へのあこがれに駆り立てられて、あいかわらずそこと思い定めた方角（ほうがく）へ向かって波を割って進んでいた。 2-21-2-17《どうした、》と、彼は思った。2-21-2-18《もう一時間も泳いでいる。2-21-2-19だが向かい風ときているので、四分の一は遅れているにちがいない。2-21-2-20それにしても、方角さえ間違えなければ、もうティブラン島からそう遠くはないはずだ・・・・だが万一（まんいち）方角を間違えていたら！》。2-21-2-21戦慄（せんりつ）が全身を走った。2-21-2-22体を休めるため、しばらく浮身（うきみ）をしようと思った。2-21-2-23が、海はますます荒（あ）れてきて、そんなことなどとても不可能（ふかのう）なことがわかった。 2-21-2-24《よし!》と、彼は言った。2-21-2-25《やるところまでやってみるのだ。2-21-2-26腕のつづくかぎり、『ごむらがえり』のするときまで。2-21-2-27そして、沈めば沈んだまでのことだ！》。2-21-2-28そして、力をこめて、絶望的に泳ぎはじめた。2-21-2-29たちまち、いままでにもかなり暗かった空（そら）はさらに暗くなり、厚い、重い、隙間（すきま）のない雲が自分のほうへ垂（た）れ下（さ）がってくるように思われた。2-21-2-30と同時に、膝（ひざ）に烈（はげ）しい痛みを感じた。 2-21-2-31想像力（そうぞうりょく）は、稲妻（いなずま）のような速さで、弾（たま）が当ったのだな、もうすぐ鉄砲（てっぽう）の音が聞こえてくるにちがいない、と思わせた。2-21-2-32だが、その鉄砲の音も聞こえなかった。2-21-2-33ダンテスは手を伸ばした。2-21-2-34そして、なにか一つの抵抗を感じた。2-21-2-35一方の足を引っこめてみると、そこに地面が感じられた。2-21-2-36そして、いままで雲だとばかり思っていたものの何であるかがわかった。 2-21-2-37自分の前ニ十歩のところには、燃えさかったまま化石（かせき）になった焔（ほのお）のように、豪宕（ごうとう：気持ちが大きく、細かいことにこだわらず、思うままに振る舞うこと）怪奇な岩がそそり立っていた。2-21-2-38ティブラン島だ。2-21-2-39ダンテスは立ちあがって幾足（いくあし）か前へ進んだ。2-21-2-40そして神に感謝しながら、いまいかなる柔（やわ）らかいベッドよりもさらに柔らかく思われる尖（とが）った花崗岩の上に身を横たえた。2-21-2-41やがて、風にもかかわらず、嵐にもかかわらず、降り出した雨にもかかわらず、彼はすっかり疲れきって、体だけはしびれていたが、心にはこの思いがけない幸福をはっきり意識しながら、快い眠（ねむ）りに落ちて目を閉じた。

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引用者：2016/7/13　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義