１９（６）できるだけ新しい袋に

2-19-6-1「ところで、」と、典獄（てんごく：刑務所長）は言った。2-19-6-2「あなたはそう信じておいででしょうが、また御専門（ごせんもん）をお疑いしているわけではないのですが、なにぶんこれがわたしの責任でしてね、囚人がたしかに死んでいるかどうか、大急ぎでたしかめてみなければなりますまい」。2-19-6-3しばらくのあいだ、しんとした沈黙がつづいた。2-19-6-4ダンテスは、あいかわらず聴き耳（ききみみ）をたてながら、これは医者（いしゃ）が、も一度死体の検診（けんしん）をやっているのだと思った。2-19-6-5「御安心なさってけっこうです」と、医者が言った。2-19-6-6「死んでいます。2-19-6-7責任をもって断言します」。 2-19-6-8「ところが、」と、典獄はなお執拗（しつよう）に言うのだった。2-19-6-9「御存じでもありましょうが、こういうような場合にはただの検診だけではすまないことになっております。2-19-6-10外見（がいけん）の如何（いかん）はともかくとして、役目（やくめ）として、法律に規定されている手続（てつづき）だけはすましておいていただきます」。2-19-6-11「『こて』を焼いてください」と、医者が言った。2-19-6-12「事実（じじつ）、それはぜんぜん余計（よけい）な心配というものですが」。 2-19-6-13『こて』を焼けという命令、ダンテスはそれを聞いてふるえあがった。2-19-6-14忙（いそが）しそうな足音（あしおと）、扉（とびら）のきしみ、室（しつ）のなかを往（い）ったりきたりする音が聞こえて、しばらくすると、一人の獄丁（ごくちょう：刑務官）がはいってきた。2-19-6-15「『こて』と炭火（すみび）がまいりました」。2-19-6-16しばらくのあいだ沈黙（ちんもく）に返ったあとで、肉のジリジリ焼ける音が聞こえた。2-19-6-17そして、重苦（おもくる）しい、胸がわるくなるような臭気（しゅうき）が、ダンテスの恐るおそる聴き耳を立てている壁のところまでにおってきた。 2-19-6-18人肉（じんにく）の焼かれるにおいを嗅（か）ぐと、青年の額（ひたい）には汗（あせ）がにじんで、そのまま気を失いそうな感じだった。2-19-6-19「いかがです、もう『ちゃん』と死んでおりましょう？」と、医者が言った。2-19-6-20「こうやって『かかと』を焼いてみればたしかです。2-19-6-21この気の毒な狂人（きょうじん）も、これでようやく病気が癒（い）えて、牢屋（ろうや）からも解放されたというわけです」。 2-19-6-22「たしかファリアとかいいませんでしたか？」。典獄にいついてきた士官（しかん）の一人が言った。2-19-6-23「そうでした。2-19-6-24自分で言っていたところでは、古い家柄（いえがら）ということでした。2-19-6-25それになかなかの学者でしてね、例の宝のことをのぞいては、いろいろな点でかなり筋（すじ）の通（とお）っていた男でした。2-19-6-26だが、話がいったん宝のこととなると、正直（しょうじき）のところ、まったく手のつけられない男でした」。2-19-6-27「われわれが、偏執狂（へんしつ・きょう）と称（しょう）している病人（びょうにん）ですな」と、医者が言った。 2-19-6-28「なにかこの男について困ったことはなかったかね？」。2-19-6-29典獄はいつも司祭に食事を運んでいた獄丁にたずねた。2-19-6-30「どういたしまして」と、獄丁は答えた。2-19-6-31「いや、まったく思いもよらないことでして。2-19-6-32以前（いぜん）は、いろいろ話をして、おもしろがらせてくれました。2-19-6-33一度（いちど）宅（たく）の家内（かない：この場合、獄丁の奥さんのこと）が病気をいたしましたとき、処方（しょほう）を作ってくれました。2-19-6-34おかげで『すっぱり』癒（い）えました。 2-19-6-35「やれやれ」と、医者は言った。2-19-6-36「どうも御同業（ご・どうぎょう）とは気がつかなかった。2-19-6-37典獄、」と、彼は笑いながら、「一つそういう資格（しかく）で扱（あつか）ってやってはいただけませんか」。2-19-6-38「よろしい。2-19-6-39御安心ください。2-19-6-40できるだけ新しい嚢（ふくろ）に、ていねいに包んでやることにしましょう。2-19-6-41よろしいでしょうかな？」。2-19-6-42「それもお立会いの上でいたしますか？」と、獄丁がたずねた。2-19-6-43「言うまでもない。2-19-6-44だが、急いでやれよ。2-19-6-45一日中（いちにちじゅう）こんな室のなかにいるわけにもいかないから」。 2-19-6-46また往（い）ったりきたりする物音（ものおと）がした。2-19-6-47しばらくすると、布（ぬ）の揉（も）みあう音がダンテスの耳に聞こえた。2-19-6-48ベッドの『ばね』がきしみをたてた。2-19-6-49石だたみの上に、重い荷物（にもつ）を持ちあげるような『どっしり』した人の足音が聞こえた。2-19-6-50そして、その荷物をおろしたのか、ベッドがきしんだ。

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引用者：2016/7/7　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義